フランスの哲学者、自然学者。南フランス、シャンテルシエの農家の出身。1614年アビニョンで神学博士となり、エクス大学の哲学教授、ディーニュの主任司祭、パリのコレージュ・ロアイヤルの数学教授を歴任する。水星の太陽面通過の観測や音速測定など個別的業績もあるが、彼の歴史的意義はおもに思想的側面にある。1649年以降、宇宙論において地動説を擁護し、自然学においてはエピクロスの原子論を採用し、反アリストテレスの論陣を張った。後者の影響は大きく、原子論の歴史的復活に大いに力があった。真空の存在を認めないデカルト説とも対立した。さらに認識論においてデカルトの「生得観念」に反対し、認識の起源を感覚に求めた。この点で、ロックらの経験哲学の先駆をなした。司祭として、神に自然の統括をゆだねるという矛盾をもっていたが、17世紀の機械論的唯物論者の代表者であった。
[肱岡義人]
フランスの哲学者。本名ガッサンGassend。南仏の小都市ディーニュ近くの農民の子として生まれ,同地の教会の主任司祭,パリの王立学院(現在のコレージュ・ド・フランス)の数学の教授になり,パリで没した。1624年に処女作《アリストテレス学徒にたいする逆説的論考》を発表して,懐疑主義の立場からアリストテレス哲学を攻撃したが,この形而上学否定,理性の全能否定の態度は,長くその思想の基調となり,42年にはデカルトの《省察》をめぐってデカルトと論争し,また経験論の開祖ロックにも影響を与えた。1626年ころから世界と人間を説明する最良の仮説として,長らく禁忌の思想であったエピクロスの学説に注目し,大著《哲学集成》(1659)その他を書いて,これとキリスト教との調和をはかった。こうしてその自然学はエピクロスの原子論をほぼ受け継いでいるが,同時に神による原子の創造が認められ,また神の摂理や宇宙の目的論的説明も導入されている。人間の精神についても,物質的で肉体とともに滅びる精神の上に,キリスト教的な霊魂が付け加えられ,またその道徳論も,エピクロス説が本来もっている精神性をいっそう強調したものとなっている。しかしこのような配慮にもかかわらず,この禁断の思想の復活は17世紀後半のリベルタン(自由思想家)に少なからぬ影響を及ぼした。またその原子論はイギリスのR.ボイルやニュートンにも影響を与えたといわれる。
執筆者:赤木 昭三
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…人文主義者たちは,ルクレティウスの《物の本性について》を愛読書とした。そして,フランスの機械論者で反アリストテレス主義者P.ガッサンディの手になる《哲学集成》(1658)の中でエピクロス的原子論が熱っぽく紹介される。ガッサンディのよき論敵デカルトは,機械論的な側面を共有していたものの,真空を認めぬ点で,遂に原子論を容認するに至らなかったが,ガッサンディによって公的に復活した古代原子論は,たちまちヨーロッパの知識人の心をとらえた。…
※「ガッサンディ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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