デジタル大辞泉
「メンツェル」の意味・読み・例文・類語
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メンツェル
- ( Adolf von Menzel アドルフ=フォン━ ) ドイツの画家。フリードリヒ大王時代の歴史・風俗を描いた木版画・油彩画で知られる。また、印象主義的技法を示す自然主義的作品にもすぐれる。(一八一五‐一九〇五)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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メンツェル
Adolph Friedrich Erdmann von Menzel
生没年:1815-1905
ドイツの画家。ブレスラウに生まれ,主としてベルリンで活躍。父親の石版画工房を引き継いで,版画家,挿絵画家として出発。1842年,《フリードリヒ大王伝》挿絵によって名を高めた。以後,多くの版画,挿絵を手がけるとともに油彩画の分野にも進出し,《サンスーシ宮殿でのフルート演奏会》(1852)等,プロイセン王家関係の歴史画によって知られた。他面,《バルコニーのある部屋》(1845)など,初期には,自由な感覚を見せる自然主義的作品も多く描いており,今日では,主題的にも技法的にも印象主義を予告するようなそれらの作品の方が高い評価を受けている。
執筆者:有川 治男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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メンツェル
Menzel, Adolf (Friedrich Erdmann) von
[生]1815.12.8. ブレスラウ(現ポーランド,ウロツワフ)
[没]1905.2.9. ベルリン
ドイツの画家,版画家。 1830年に家族とともにベルリンに移住。 32年に家業を継いで石版工となった。 39~42年に K.クーグラーの著書『フリードリヒ大王伝』の挿絵のために 400図の版画を制作。その後も大王の業績を版画や油絵で描き,40年以降は油絵で市民生活や街頭風景を扱った写実画も描いた。また線描画,水彩画にもすぐれた。主要作品は『フリードリヒ大王の軍隊』 (1842~57,ペン素描石版画) ,『サンスーシ宮の円卓会議』 (50) ,『鉄工場』 (75,ベルリン国立美術館) 。
メンツェル
Menzel, Wolfgang
[生]1798.6.21. ワルデンブルク
[没]1873.4.23. シュツットガルト
ドイツの評論家,文学史家。シュツットガルトの『文学新聞』の編集者。国家主義的立場からゲーテを批判し,「若きドイツ」派から攻撃された。ドイツ文学史に関する著書がある。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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メンツェル
ドイツ写実主義を代表する画家,版画家。ブレスラウ(現ポーランド領ブロツワフ)の石版工の家に生まれ,ベルリンで活躍。木版画ではクーグラーの著書《フリードリヒ大王伝》の挿絵400点(1840年―1842年),油絵では《フルート・コンサート》(1852年,ベルリン,国立絵画館蔵)などフリードリヒ大王を主題にした一連の作品群の他に,労働者の姿をとらえた《鉄圧廷工場》(1875年,同館蔵)などを残した。
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メンツェル
めんつぇる
Wolfgang Menzel
(1798―1873)
ドイツの著述家、州議会議員。シュレージエン出身。学生組合の創立者の1人。彼の当初の自由主義精神は七月革命ののち保守色を強め、「青年ドイツ派」を追放。晩年ふたたび自由主義的となり、自由主義者と保守派の仲介的立場をとったといわれる。2種の『ドイツ文学』(1828、1858~59)は一面的で学問的価値は乏しいといわれるが、豊富な資料の利用価値は認められてきている。
[佐々木直之輔]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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