ペッテンコーファー(読み)ぺってんこーふぁー(英語表記)Max Josef von Pettenkofer

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ペッテンコーファー」の意味・わかりやすい解説

ペッテンコーファー
ぺってんこーふぁー
Max Josef von Pettenkofer
(1818―1901)

ドイツ衛生学者、化学者。バイエルン地方リヒテンハイム生まれ。1843年ミュンヘン大学を卒業。その後ウュルツブルク大学で医化学を研究、ギーセン大学ではリービヒ師事。この時期に生理化学に関する実験研究のなかから、胆汁酸、ヒトの尿中の馬尿酸、クレアチンクレアチニンに関する報告を行った。1847年ミュンヘン大学医化学員外教授になり、1852年に同正教授に任ぜられた。衛生上の問題の決定に化学的知識が必要であることを認識し始め、しだいに衛生方面の諸問題、大気と水中の炭酸ガス、住居内の換気衣服の理学的関係などに関して実験研究を行い、さらに都市の地下の換気、ミュンヘン市の上下水道の調査研究を試みるなど、化学・生理学の知識に裏づけられた実験方法を確立し、衛生学を実験科学にしていった。1865年ミュンヘン大学の初代衛生学教授に任ぜられ、この分野で他の大学に先鞭(せんべん)をつけた。他方、1855年から始めたコレラ伝染の研究では、コレラの病原を地下水に求め、コッホのコレラ菌説に反対、自説を証明するためにコレラ菌を飲んだ。自己の信条に従って83歳でピストル自殺した。日本の衛生学の創設者緒方正規(おがたまさのり)や軍医作家森鴎外(おうがい)は彼の下に留学、師事した。

[大鳥蘭三郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ペッテンコーファー」の意味・わかりやすい解説

ペッテンコーファー
Max Joseph von Pettenkofer
生没年:1818-1901

ドイツの衛生学者。化学的方法を衛生学に導入した最初の一人で,環境衛生の改善が死亡率を低下させるという立場から,ミュンヘンの衛生行政を著しく発展させた。農民の子として生まれ,当初は俳優を志したが,後に薬剤師となり,さらに医学を学ぶ。ビュルツブルク大学とギーセン大学で,J.vonリービヒについて生理学的・化学的研究に従事し,1852年ミュンヘン大学生化学教授となる。弟子であり友人でもあるフォイトCarl von Voit(1831-1908)とともに人体用呼吸計を開発し,人間の代謝と栄養に関する一連の重要な実験を行い,近代衛生学における実験化学的方法の基礎を築いた。また《衛生学雑誌》と《生物学雑誌》の刊行に際して指導的役割を果たし,82年にはツィームセンHugo von Ziemssenとともに《衛生学提要》を出版。後者は長期にわたって,衛生学の標準的教科書として高い評価をうけた。感染症の発生については,R.コッホらの病原細菌説とは対立する理論を展開し,人体の側の要因と環境の要因を重視した。彼はこの立場から,環境衛生の改善を市民や行政当局に説き,とりわけ73年にミュンヘン市民に向けて行った啓蒙的講演〈都市にとっての健康の価値について〉は有名である。彼はこれらの講演の中で,ロンドンにおける上下水道工事による死亡率の改善の経験をもとにして計算を行い,ミュンヘンでは1年に34万6800フローリンの節約が可能なことを明らかにした。また,健康の保持と改善のための投資ほどすぐれた投資はないと主張した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ペッテンコーファー」の意味・わかりやすい解説

ペッテンコーファー
Pettenkofer, Max von

[生]1818.12.3. リヒテンハイム
[没]1901.2.10. ミュンヘン近郊
ドイツの衛生学者,化学者。衛生学に初めて実験科学の方法を取入れ,近代衛生学の基礎を築いた。 1843年ミュンヘン大学で学位を取得,47年同大学定員外教授で医化学担当,53年同正教授,65年衛生学教授。 R.コッホらの細菌病原説に反対し,腸チフスのような伝染病は地下水が低位にあるときに起り,その病原体は患者から健康人に直接侵入するのではなく,土中で繁殖してから地下水を通じて伝播されるという説を唱え,自説を立証するため,みずからコレラ菌培養肉汁を飲んでみせた。また,ミュンヘン市の下水道を完成させ,腸チフスを一掃した。生化学面でも胆汁や蛋白質についての業績を残したが,「無用の者は去るべし」という平素の信条を実践して自殺した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「ペッテンコーファー」の意味・わかりやすい解説

ペッテンコーファー

ドイツの医学者。ミュンヘン大学に学び,同大学教授。都市の上下水道の整備,栄養の向上など社会的および政治的状態が人の健康と死亡率に大きな影響を与えることを主張。近代的な衛生学の基礎を作った。ほかに大人1日の栄養必要量の測定など,栄養化学の研究もある。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のペッテンコーファーの言及

【換気】より

…しかし,通常の室内では人体の呼吸のみによって有害な濃度になるとは考えられず,不快の直接的原因とは考えにくい。(3)人間毒説 炭酸ガス有毒説はフランスの化学者A.L.ラボアジエが18世紀に唱えたものであったが,19世紀に入ってM.vonペッテンコーファーは,呼吸による炭酸ガスの増加は無害であり,呼気には未知で微量な有害物質があると考えた。これを人間毒と呼び,呼気の炭酸ガス量に比例して発生するという仮説を唱え,炭酸ガス濃度0.07~0.1%を許容値とした。…

【下水道】より

… ドイツでは1842年にイギリス人のリンドレーWilliam Lindley(1808‐1900)の指導の下でハンブルクで下水道建設が始まった。またミュンヘンではM.vonペッテンコーファーの主張で58年から下水道建設が始まり,ベルリンでも同じころ建設が始まった。アメリカでは1801年にフィラデルフィアで下水道が最初に設置され,57年にニューヨークのブルックリン地区に,1年遅れてシカゴ市に建設され,60年までにはアメリカの主要な12都市で公共下水道が整備された。…

【都市問題】より

…それに基づき48年の〈公衆衛生法〉など各種住宅改善政策が出され,55年からロンドンで,次いで各市で下水道建設が始められた。ドイツでも衛生学者M.vonペッテンコーファーの同じような都市問題の指摘により,ミュンヘン(1858)をはじめ,各市で下水道工事,環境改善事業が始まる。さらに,こうした都市問題の広がりに対し,それを解決する改良主義的理想都市案も,R.オーエンの〈工場村〉案をはじめ19世紀を通じ各種出された。…

※「ペッテンコーファー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android