日本大百科全書(ニッポニカ) 「ホウ素中性子捕捉療法」の意味・わかりやすい解説
ホウ素中性子捕捉療法
ほうそちゅうせいしほそくりょうほう
boron-neutron capture therapy
ホウ素化合物は正常な細胞よりもタンパク合成が盛んになった腫瘍(しゅよう)細胞に多く取り込まれやすい性質がある。そこで、ホウ素化合物をあらかじめ点滴等で投与しておき、正常細胞と腫瘍細胞との取り込みの差が大きくなった段階で熱外中性子線を体外から照射すると、体内でエネルギーを失い熱中性子となり、おもに腫瘍細胞内に多く取り込まれたホウ素10(10B)と衝突して核破砕反応が生じる。この反応を利用した治療がホウ素中性子捕捉療法である。核破砕反応で発生したα(アルファ)線とリチウム粒子は、単位長さあたりに与えるエネルギー(linear energy transfer:LET)が高いため、がん細胞の低酸素や細胞周期による治療効果への影響が少ない高LET放射線治療であり、これらの粒子の飛程(放射線が体内を通過できる距離)が10マイクロメートル以下であるために、ホウ素を取り込んだ細胞を選択的に破壊することができる。
熱中性子が原子核に捕捉される確率は中性子に対する反応断面積(σ(シグマ):barn)に左右されるため、生体を構成するH、C、O、Nなどの他の元素と比較してきわめて大きいσを有するホウ素が注目され、腫瘍細胞に選択性の高いホウ素化合物の研究が進められた。1968年には20面体の特異な構造をもつホウ素クラスターである通称BSH(disodium mercaptoundecahydrododecaborate)がおもに脳腫瘍に対する治療で用いられたが、腫瘍細胞への選択性は低かった。その後、放射線感受性の低い悪性黒色腫に対する治療を目的に開発されたメラニン色素の前駆体であるチロシン類似体のBPA(para-boronophenylalanine)が、他の悪性腫瘍にも取り込まれ、腫瘍細胞への選択性も高いことが判明し、中性子捕捉療法の代表的なホウ素化合物となった。また、BPAをフッ素18(18F)で標識したポジトロン標識化合物である18F-BPAが開発され、これを使用したPET検査を応用し、ホウ素の腫瘍への取り込みから治療の適応判断に利用できるだけでなく、腫瘍内のホウ素濃度を推測して、体内での線量分布を計算できるプログラムも登場した。
ホウ素中性子捕捉療法は、隣接する正常細胞への影響を最小限にしつつ選択的に腫瘍細胞を消滅させることができる大変優れた治療法であるが、中性子線を発生させるには原子炉が必要であったため、かつては治療施設が限られていた。しかしその後、原子炉を使用せずに、陽子を加速器で加速してターゲットとよばれる金属(ベリリウム、リチウム等)に衝突させることで治療に必要な中性子を発生させる新しい治療機器が開発され、一般の病院でも設置できるようになった。国内では、2020年(令和2)3月に医療機器としての承認がなされ、同年6月から切除不能な局所進行または局所再発の頭頸部(とうけいぶ)がんに対する治療として保険適用となった。ただし、照射された熱外中性子は体内での飛程距離に限界があるため、体表から7センチメートル以内に病巣が存在することや、15センチメートル以内の照射孔で病変全体が照射できることなどの条件が付記されている。
[石川 仁 2023年2月16日]