日本大百科全書(ニッポニカ) 「ホジスキン」の意味・わかりやすい解説
ホジスキン
ほじすきん
Thomas Hodgskin
(1787―1869)
リカード派社会主義者。12歳でイギリス海軍に志願し、士官に昇進したが、1812年に艦長に反抗したかどで退役処分になった。退役後、水兵の強制徴募や艦長への絶対服従を強制する海軍紀律を批判し、功利主義法思想による改革案を『海軍紀律に関する小論』An Essay on Naval Discipline(1813)にまとめた。エジンバラ大学で哲学などを勉強してロンドンに戻り、労働運動指導者や哲学的急進主義者と交友の多いプレースFrancis Place(1771―1854)の助力で1815年10月から3年間ナポレオン戦争直後のヨーロッパ大陸を旅行し、民衆の目で政治・社会を観察した。帰国後エジンバラで、戦後反動期の大陸での体験をイギリスと対比した『北ドイツ旅行』Travels in the North of Germany(1820)を著した。スコットランド啓蒙(けいもう)の影響を受けた彼は功利主義法思想を脱却して、労働だけが所有の根源であるとする自然権的所有と個人の自由を基盤にした無政府主義を主張し、リカードの差額地代論やマルサスの人口論を否定し、スミスの絶対地代論と労働価値論に依拠して地代と利潤の不当性を明確にした。1822~1823年ころからロンドンに住み、新聞記者のかたわら労働者教育のための雑誌の発行や学校の設立に参加した。また、労働の正当な報酬を獲得するための労働者の団結を弁護した『労働擁護論』Labour Defended against the Claims of Capital(1825)は、当時の労働運動に影響力をもった。
[鎌田武治]