日本大百科全書(ニッポニカ) 「リカード派社会主義」の意味・わかりやすい解説
リカード派社会主義
りかーどはしゃかいしゅぎ
Ricardian socialism
イギリスの初期社会主義。19世紀前半、とくにナポレオン戦争後からチャーティスト運動最盛期にかけて産業革命が進展し、道具を使う手工業工場から機械を使う近代的大工場にかわるにつれて、従来の熟練職人が失業し、工業労働者が増加する一方、農村では土地囲い込みが進み、多くの農民が農地から追放され、農業労働者がこれにかわった。このような資本制生産の発達に対して職人や農民は激しく抵抗した。彼らの運動を理論的に裏づけた資本制社会批判思想を総称してリカード派社会主義という。このすべてがリカードの『経済学および課税の原理』(1817)に直接学んだわけではないが、労働のみが商品の交換価値を生産するものであり、資本家や地主は資本や土地の独占的所有により労働者を支配下に置き、利潤や地代として労働を不当に搾取するのであるから、所有はすべて労働者に帰属すべきだという思想(労働全収益権)が、リカードの投下労働価値説の現実的応用とみなされたためである。しかし、むしろスミスの『国富論』(1776)で展開された、初期未開から文明に至る社会の発展段階に応じた労働生産物の取得形態の変化説からの影響が強く、スミス派社会主義とすべきだという意見も有力である。また、労働全収益権の実現という目標では共通していても、それがどのような社会で実現できるかという点では、次の二つに大別される。(1)大資本や大土地の独占的所有を権力によって保障する政府を廃止し、自営職人や自営農民などの独立小生産者から構成される、自由な個人主義社会。ディルクCharles W. Dilke(1780―1864)、レブンストーンPiercy Ravenstone(生没不詳)およびホジスキンThomas Hodgskin(1787―1869)の主張がこれである。(2)オーエンの協同組合村構想を基礎にした、所有の共同と協業・分業に基づく自発的な協働とによって分配の平等を享受する共同社会。ホールCharles Hall(1745?―1825?)、トムソンWilliam Thompson(1775―1833)、ジョン・グレーJohn Gray(1799―1883)、エドモンズThomas R. Edmonds(1803―89)およびブレーJohn F. Bray(1809―95)の主張がこれである。
彼らの主張は著書によってよりも、むしろ安価な労働者新聞や貧民新聞などによって労働大衆に普及したと思われる。さらに当時の経済理論を応用して客観的正当性をもとうとした点で、それ以前のユートピア思想より前進しているが、同時に古典経済学のブルジョア的性格を十分克服できなかったため、資本制社会に対する批判が不徹底に終わった点で、1848年のチャーティスト運動高揚期およびフランス二月革命を境として体系化されていく科学的社会主義より浪漫(ろうまん)的と評しうる。転型期の社会主義思想といえる。
[鎌田武治]
『蛯原良一著『古典派資本蓄積論の発展と労働者階級』(1974・法政大学出版局)』▽『鎌田武治著『古典経済学と初期社会主義』(1968・未来社)』▽『高島善哉・水田洋・平田清明著『社会思想史概論』(1962・岩波書店)』▽『都築忠七訳編『資料イギリス初期社会主義』(1975・平凡社)』▽『平尾敏著『リカード派社会主義の研究』(1975・ミネルヴァ書房)』