ボスポロス王国(読み)ボスポロスおうこく

改訂新版 世界大百科事典 「ボスポロス王国」の意味・わかりやすい解説

ボスポロス王国 (ボスポロスおうこく)

黒海北岸のアゾフ海近辺に位置するいくつかのギリシア植民市と原住民部族とが,前480年代に植民市の一つパンティカパイオン(ケルチ)によって統合されてできた王国。近隣諸部族の進出を阻止して,ギリシア本土と円滑な穀物貿易を行うことが統合の契機となった。前438年にトラキア系スパルトコス王朝の統治が始まり,前4世紀にはレウコン1世,パイリサデス1世らの王が現れて王国の勢力を大幅に拡大させた。原住民の従事する農業,牧畜漁業などの生産物に加えて,都市で製造される工芸品に対する需要は高く,ギリシア本土の諸都市と活発な貿易活動を行った。たとえば,アテナイへは穀物,肉・魚(ともに塩漬け),奴隷などが輸出され,またアテナイからはオリーブ油,ブドウ酒,手工業製品が輸入された。前3世紀後半に入ると,経済活動の停滞,軍事力の低下が始まってしだいに周辺遊牧民の侵入撃退が困難となり,前110年ころ,パイリサデス5世は王国をポントス王ミトリダテス6世に譲り渡した。この措置は奴隷サウマコスの率いる下層民のスキタイ系住民を中心とする蜂起を引き起こしたが,ミトリダテス6世によって鎮圧された。前63年,ミトリダテス6世がローマに敗れて自殺すると,この地はローマの支配下に編入された。ローマ帝国もとで2,3世紀には主として小アジアやスキタイ族との貿易によって経済的繁栄を迎えるが,この頃からサルマタイサルマート)族の侵入が始まった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボスポロス王国」の意味・わかりやすい解説

ボスポロス王国
ボスポロスおうこく
Kingdom of Bosporos

アゾフ海と黒海を結ぶケルチ海峡地方の古代王国。ボスポロス=キンメリオスと呼ばれたこの地方に,前7~6世紀多くのギリシア都市が建設され,それらがパンチカパイオン (現ウクライナのケルチ) の僭主スパルトコスによって統合されて前 438年に王国が成立した。前4世紀まで黒海を制圧,主としてアテネに穀物,魚,奴隷を輸出して繁栄をきわめた。ヘレニズム時代にいたっても王制は存続したが,前3世紀中頃から内乱スキタイ圧迫によって衰退,前 110年頃王家は滅亡し,王国はポントスの王ミトラダテス6世の支配下に吸収された。1世紀に成立した新王朝はローマ帝国の保護の下で 300年間存続した。 342年以降,一時他国の支配を受けたが,ビザンチン帝国領となった。エーゲ海から遠くへだたっていたが,先住民農奴の労働のうえにギリシア文化を維持した特異な存在であった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のボスポロス王国の言及

【クリミア半島】より

…【渡辺 一夫】
[歴史]
 クリミアの古い呼名は古代ギリシア人の命名によるタウリカTaurikaであり,クリミア(要塞の意)といわれるようになったのは,13世紀のモンゴルによる支配が始まって以後のことである。前8~前7世紀ころ,キンメリア人を追いはらってスキタイ人が移住してきたが,つづいてギリシア人の植民都市建設がすすみ,半島東部のパンティカパイオンPantikapaionを中心にボスポロス王国が生まれた。半島西部にも植民市ケルソネソスChersonēsosができ,のち独立の都市国家となった。…

※「ボスポロス王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android