ポチョムキン(読み)ぽちょむきん(英語表記)Григорий Александрович Потёмкин/Grigoriy Aleksandrovich Potyomkin

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポチョムキン」の意味・わかりやすい解説

ポチョムキン
Potëmkin, Grigorii Aleksandrovich

[生]1739.9.24. チジョボ
[没]1791.10.16. ベッサラビア
ロシアの政治家,軍人公爵。ポーランド貴族の血をひいて白ロシアに生れた。 1762年エカテリーナ2世 (大帝) のクーデターに参加して女帝に認められ,68~74年のトルコとの戦争で手柄を立て,大将,伯爵に任じられた。この年 (1774) から2年間エカテリーナの第5番目の恋人となり,76年には新ロシア (ウクライナ) ,アゾフアストラハン総督に就任。 83年にはクリミアのロシアへの併合を実現し,タウリチェスキー (クリミア) 公の称号を受けた。 84年元帥。軍政改革を行うとともに黒海艦隊を創設。 87~92年の露土戦争では総司令官となったが,不決断から A.V.スボーロフ将軍のじゃまをする結果となった。 91年エカテリーナの命令でトルコとの平和条約締結におもむく途中,病没

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポチョムキン」の意味・わかりやすい解説

ポチョムキン
ぽちょむきん
Григорий Александрович Потёмкин/Grigoriy Aleksandrovich Potyomkin
(1739―1791)

ロシアの政治家、外交官エカチェリーナ2世寵臣(ちょうしん)。1762年ピョートル3世を殺害してエカチェリーナ2世を即位させる陰謀に加わったことから、エカチェリーナ2世に認められた。1770年からエカチェリーナ2世に接近して絶対主義強化尽力プガチョフの乱を鎮圧したり、ザポロージエ(現、ザポリージャ)のコサック本拠を解体してウクライナにロシアの農奴制を導入した。1783年にはクリミアのロシアへの併合を実現した。

[外川継男]

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