改訂新版 世界大百科事典 「ポチョムキン」の意味・わかりやすい解説
ポチョムキン
Grigorii Aleksandrovich Potyomkin
生没年:1739-91
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ロシアの政治家、外交官。エカチェリーナ2世の寵臣(ちょうしん)。1762年ピョートル3世を殺害してエカチェリーナ2世を即位させる陰謀に加わったことから、エカチェリーナ2世に認められた。1770年からエカチェリーナ2世に接近して絶対主義の強化に尽力、プガチョフの乱を鎮圧したり、ザポロージエ(現、ザポリージャ)のコサックの本拠を解体してウクライナにロシアの農奴制を導入した。1783年にはクリミアのロシアへの併合を実現した。
[外川継男]
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…女帝は農業を重視して自由経済協会をつくり(1765),土地測量を行い,商工業については営業の自由を原則とした。外政ではポーランド分割と2度の露土戦争で西方と南方に大きく領土を広げたが,ウクライナと黒海北岸はルミャンツェフP.A.Rumyantsev総督とポチョムキンによってロシア化と開発・植民が進められ,黒海はウシャコフF.F.Ushakov提督などの働きでロシアの内海化した。女帝はシベリア・極東にも注意をはらい,92年にはA.ラクスマンが女帝の親書をたずさえて根室に来航した。…
… 日本海海戦でバルチック艦隊が全滅すると,政府批判はいっそう高まり,6月9~11日にはポーランド第2の都市ウッチで労働者がバリケードをつくって警官隊と衝突,300人以上の死者を出した。一方,6月14日黒海艦隊の戦艦ポチョムキンで水兵の反乱がおこり,オデッサ市民と交歓し,政府を慄然とさせた。8月6日,きわめて限定された内容の諮問議会(ブルイギン国会)の設置が発表されたが,それではとても国民の満足はえられなかった。…
※「ポチョムキン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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