マクローリン(読み)まくろーりん(その他表記)Colin Maclaurin

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マクローリン」の意味・わかりやすい解説

マクローリン
まくろーりん
Colin Maclaurin
(1698―1746)

イギリス数学者。スコットランドのキルモダン生まれ。グラスゴー大学卒業後、1717年、19歳でアバディーンのマリシャル・カレッジ数学教授となる。1720年に『系統的幾何学』を出版、円錐(えんすい)曲線、三次曲線などを扱い、ニュートンの与えた定理を証明した。1725年エジンバラ大学教授。1742年『流率法』を出版、微積分学に対するバークリーの批判(無限小の比はありえない)に反論するため微積分学を幾何学的に基礎づけ、この時期のイギリスにおける解析学離れを決定的にした。なお、級数展開に関する「マクローリンの定理」もこの書で述べられている。1748年の『代数論』では、行列式によって連立方程式を初めて扱っている。潮汐(ちょうせき)の理論など物理学上の貢献もある。

高山 進]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マクローリン」の意味・わかりやすい解説

マクローリン
Maclaurin, Colin

[生]1698.2. キルモダン
[没]1746.6.14. エディンバラ
ニュートンの数学,力学を発展させたイギリスの数学者。幼少の頃から天才として知られ,11歳でグラスゴー大学に入り,19歳でアバディーンのマリスチャル大学の教授になる。2年後ロンドン・ロイヤル・ソサエティ会員になり,ニュートンと知合う。ニュートンの推薦によってエディンバラ大学教授 (1725) 。彼の最も重要な業績は『一般線形曲線の説明を含んだ系統的幾何学』 (20) であるが,このなかで彼は,ニュートンの『プリンキピア』と類似の定理を展開し,円錐曲線を生成する方法を導入した。彼のもう1つの重要な業績『流率論』 (42) は,「ニュートンの微積分は誤った推論によるものだ」という G.バークリーの批判に答えるために書かれたものであるが,初めて極大・極小を判定する方法を示し,いわゆるマクローリンの級数を導入した。 1745年,ジャコバイトがエディンバラを攻めたとき,マクローリンは先頭に立って防衛戦を戦い,反乱軍がエディンバラを占領すると,イングランドに逃れたが,逃走の疲れから健康を害し,翌年エディンバラに戻って 48歳の生涯を閉じた。

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