マック(読み)まっく(英語表記)Cornelius Alexander Mack

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マック」の意味・わかりやすい解説

マック
まっく
Cornelius Alexander Mack
(1862―1956)

アメリカのプロ野球選手(右投右打)、監督。大リーグ(メジャー・リーグ)のナショナル・リーグのワシントン・ステイツメン、プレイヤーズ・リーグのバッファロー・バイソンズ、ナショナル・リーグのピッツバーグ・パイレーツでおもに捕手としてプレー。1894年からはパイレーツ、1901年からはフィラデルフィアアスレチックス(現オークランド・アスレチックス)で監督として采配(さいはい)を振るった。背広姿で、50年以上も指揮をとり続けた歴代最多勝監督である。

 12月22日、マサチューセッツ州イーストブルックフィールドで生まれる。1886年、ナショナル・リーグのワシントン・ステイツメンに入団。1896年までプレーしたが、準レギュラー以上の活躍をすることはできなかった。パイレーツに在籍していた1894年からは監督を兼任。現役を引退すると同時に、監督の職からも離れた。その後、ミルウォーキーにあったマイナー球団の監督をしていたが、1901年にアメリカン・リーグが発足する際に誘われ、球団所有権の一部が与えられ、そのチームをフィラデルフィアに移して加盟した。1902年、05年にリーグ優勝、10年、11年、13年とワールド・シリーズで優勝、14年にもリーグ優勝を果たし、最初黄金時代を築いた。しかし、1915年から7年連続最下位となる。主力選手が実力を伸ばして強くなり、年俸が高騰しそうになると放出、そして若手を育成していくという経営スタイルであった。1929年と30年に2年連続してワールド・シリーズを制し、31年にもリーグ優勝と、ふたたび黄金時代を迎えた後も、32年から50年で辞任するまでの19年間で10回も最下位となった。それでも、53年の監督在任期間は2位のジョン・マグローを20年も上回る歴代最長記録であり、通算勝利が歴代1位の3731まで積み上がったのも当然である。

 選手としての11年間の通算成績は、出場試合723、安打659、打率2割4分5厘、本塁打5、打点265。監督としての通算成績(53年)は、3731勝3948敗、リーグ優勝9回、ワールド・シリーズ優勝5回。1937年に野球殿堂入り。

[山下 健]

『コニー・マック著、内村裕之訳『コニー・マック自伝 大リーグ生活六十六年』(1978・ベースボール・マガジン社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マック」の意味・わかりやすい解説

マック
Mack, Heinz

[生]1931.3.8. ローラル
ドイツの美術家。ジュッセルドルフ美術学校で学んだのち,ケルン大学哲学専攻。 1957年 O.ピーネとともにグループ「ゼロ」を結成。作品は光への関心で一貫し,特に波状のガラスを通して見られる光の屈折や反射の効果を作品の原理とした。サハラ砂漠での反射する金属の塔 (光の塔) の設立など,環境芸術的なプランにまで発展している。 69年にベルリン美術学校の教授となった。

マック
Mack von Leiberich, Karl, Freiherr

[生]1752.8.24. 中部フランケン,ネンスリンゲン
[没]1828.10.22. ザンクトペルテン
オーストリアの軍人。対トルコ戦争やライン戦争に従軍。次いで 1798年ナポリ王フェルディナンド4世 (フェルディナンド1世,両シチリア王国の) の命でローマを占領したが,その保持に失敗してフランス軍に降伏。 1805年南ドイツのオーストリア軍を指揮してフランス軍と交戦,ウルムで降伏した。

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