ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マリ・ド・メディシス」の意味・わかりやすい解説
マリ・ド・メディシス
Marie de Médicis
[没]1642.7.3. ケルン
フランス王アンリ4世の妃。メディチ家のトスカナ大公フランチェスコの娘で,1600年 12月アンリ4世と結婚し,のちのルイ 13世を含めて6人の子をもうけた。 10年アンリ4世の暗殺死によってルイ 13世が9歳で即位すると摂政となり,寵臣 C.コンチーニとその妻レオノーラ・ガリガイの手をかりて国王の旧臣を遠ざけ,アンリ4世が積上げた対ハプスブルク政策を放棄した。 14年ルイ 13世が成人してもマリは依然摂政をつとめていたが,17年ルイ 13世はコンチーニを暗殺し,マリをブロアに追放した。 19年マリはルイ 13世に対する反乱を企てたが敗れた。 22年リシュリューの仲介で王国評議会に参加することになったが,リシュリューの権力拡大を恐れて失脚をはかり失敗,投獄され,31年7月逃亡,ブリュッセル,ロンドン,ケルンで余生をおくった。なお,リュクサンブール宮殿は彼女の建設によるものである。
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