マンネルヘイム(読み)まんねるへいむ(英語表記)Carl Gustaf Emil Mannerheim

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マンネルヘイム」の意味・わかりやすい解説

マンネルヘイム
まんねるへいむ
Carl Gustaf Emil Mannerheim
(1867―1951)

フィンランド元帥、政治家。第6代大統領。伯爵で実業家の父をもち、軍人としてロシア陸軍内で高位に昇進。日露戦争にも情報部門で参加。ロシア十月革命後帰国。フィンランドは1917年にロシアから独立するが、翌1918年のフィンランド内戦では白衛軍の指揮権を任され赤衛軍を鎮圧。のち政府の親独策とあわず辞任し西側諸国を歴訪、関係改善に尽力した。1918年末、国の執政に選出され共和制移行案を承認。翌1919年の第1回大統領選挙ではストールベルイ敗北。しばらく中央政界から引退した。1931年国防評議会議長に就任。しかし彼の軍備増強案は実現されなかった。1939年の対ソ交渉時には軍備不足から柔軟性を主張したが、政府は世論を背景に強硬姿勢を崩さず対ソ交渉は決裂。第一次(1939~1940)、第二次(1941~1944)のソビエト・フィンランド戦争で総司令官を務めたが、ドイツ軍のレニングラード進攻作戦には加担しなかった。ソ連の要求により、1944年大統領リュティRisto Heikki Ryti(1889―1956)が辞任すると、後任大統領として戦争を終結させる。戦後処理に苦慮し1946年辞任。のちスイスで自伝執筆等に従事、その地で客死した。

[玉生謙一]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マンネルヘイム」の意味・わかりやすい解説

マンネルヘイム
Mannerheim, Carl Gustaf (Emil)

[生]1867.6.4. ビルナス
[没]1951.1.27. ローザンヌ
フィンランドの軍人,政治家。 1889年ロシアの騎兵将校となり,日露戦争,第1次世界大戦に従軍。 1917年ロシア革命前に陸軍中将,軍団司令官となり,革命後は独立を宣言したフィンランドに帰り,ボルシェビキ軍の侵入を撃退した。 18年摂政の地位についたが,19年共和制樹立に伴い辞任。 31年予備役から国防会議議長に返り咲き,在任8年間にカレリア地峡要塞を構築した。第2次世界大戦では 70歳をこえた高齢にもかかわらず,2度にわたって対ソ連作戦を指揮。 42年同国唯一の元帥称号を授与され,44年から2年間共和国大統領に就任した。著書『アジア縦断,西から東へ』 Across Asia from West to East in1906-1908 (1940) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android