イタリアのカトリック哲学者。ミラノ大学で哲学博士の学位を取得したのち、ハイデッガーの知己を得てドイツのフライブルクで研究を続け、イタリアにハイデッガー哲学を紹介した。しかしハイデッガーがナチスに関与するに至って二人の関係は断絶し、1938年にはグラッシはベルリンに移り、さらに1948年以来ミュンヘン大学の教授を務めた。またドイツの代表的な叢書(そうしょ)ロボールトの編集者でもあった。彼は古代哲学やイタリア人文主義の研究を通じて、人間精神の根源を近代的な合理性にではなく、むしろ人間が世界に対してもつビジョン、イメージにあるとする。世界のイメージを形成する人間のもっとも基礎的な行為は「隠喩(いんゆ)的行為」とよばれ、言語もまた、どれほど抽象化された科学的言語であっても、その本質は隠喩的である。こうして人間精神の活動は、そのつど新たな歴史状況のなかで、これに適合した新たなイメージを発見するところに本質がある。したがって、その本質は論理的思考にではなく、むしろレトリックにある。哲学者とは、なによりも修辞学者であり文献学者である。人文主義の根もまさにこの点にある。この立場からマルキシズム批判も行ってきた。著書には『古代の美論』(1962)、『イメージの力』(1970)などがある。
[西村清和]
イタリアの昆虫学者、寄生虫学者。ロベラスカに生まれ、パビアで医学を学び、卒業後、ドイツで動物学、解剖学を研究した。その後カタニア大学動物学、比較解剖学教授を経て、1895年ローマ大学比較解剖学教授となった。解剖学者として硬骨魚類の脊椎(せきつい)の発達を研究する一方、昆虫学者としてシロアリの生態研究などを残した。彼の主要研究は寄生虫学にあり、とくにヒトのマラリア病原虫はハマダラカによって媒介されることを明らかにした(1898)。マラリア撲滅に献身した彼は、ローマ郊外の共同墓地への埋葬を望んだ。
[大林雅之]
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…不透明な下塗りの上に透明色をごく薄い層にして重ねると色調や明暗の微妙な変化が得られる。この技法をフランス語でグラッシglacisという。一方,油絵具を粘度の高いまま用いると盛上げ(インパスト),筆跡の強調(タッチ),ナイフを用いた厚塗り,塗りつぶしなどの手法を美的効果として利用できる。…
…45年のイタリア解放とともにミラノに戻り演劇活動を始める。47年にはP.グラッシとともにミラノ市当局に働きかけて〈ピッコロ・テアトロ〉(ミラノ・ピッコロ座)を設立。以後ヨーロッパ各国の古典,新作をきわめて高い水準で演出して,グラッシとともにピッコロ座を世界最高峰の劇団の一つに育て上げた。…
※「グラッシ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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