日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミンゲッティ」の意味・わかりやすい解説
ミンゲッティ
みんげってぃ
Marco Minghetti
(1818―1886)
イタリアの政治家。ボローニャ地方の大地主階級出身。教皇国家の自由主義的改革運動に参加し(1846~1847)、ピウス9世の立憲的政府の公共事業相になった(1848)が、首相ロッシの暗殺後辞任し、カルロ・アルベルトの軍隊に入って対オーストリア戦争に参加した。その後、カブールに会い(1852)、その要請で中部イタリアに関する覚書を書いた(1856)。ピエモンテの内務省に入り(1859)、カブールの中部併合政策に重大な役割を演じた。最後のピエモンテ政府と、最初のイタリア王国政府の内相と財務相を相次いで務め(1860~1863)、内相としては新国家の行政的再編成にあたって地方分権の導入を主張したが認められず、かわりに中央集権が採択された。続いて首相になり(1863~1864)、ローマからのフランス軍の撤退を決めた「9月協定」をナポレオン3世と結ぶが、同協定の規定する遷都問題がトリノの暴動を引き起こし、辞職を余儀なくされた。ふたたび首相になり(1873~1876)、財務相を兼任した第二次政権の末期に、イタリア統一後初めて国家財政の収支均衡に成功し、右派(穏健派出身の議員)政権時代の最後を飾った。その後の左派(マッツィーニ派などの急進派出身の議員)政権の時代に、ミンゲッティは議会内反対派の先頭にたち、国家の道徳的改革の必要を説いた。主著『国家と教会』(1878)においてカブールの宗教的自由主義に類似の見解を表明したが、右派政治家のなかでは異色の広い見識を備えた開明的自由主義者であった。
[重岡保郎]