モノー(読み)ものー(英語表記)Gabriel Monod

日本大百科全書(ニッポニカ) 「モノー」の意味・わかりやすい解説

モノー(Jaques Lucien Monod)
ものー
Jacques Lucien Monod
(1910―1976)

フランスの分子生物学者。ソルボンヌ大学(パリ大学)に学ぶ。アメリカ留学後、1937年大腸菌の2種類の糖に対する二段生育(ジオキシー)の現象をみいだし、適応酵素の研究を開始した。第二次世界大戦中はパルチザンに参加して闘う。1945年パスツール研究所に入所し、A・M・ルウォフのもとで大腸菌のβ(ベータ)-ガラクトシダーゼ生成の研究に取り組む。その後、誘導物質存在下の酵素の生成を遺伝的に解析して、1961年F・ジャコブとともにオペロン説を提出した。これはタンパク質生成の遺伝子レベルでの制御機構の存在を示すものであった。ついで1963年には、アロステリックタンパク質の概念を提出し、タンパク質の構造変化に伴う制御のシステムを示した。1965年、ジャコブ、ルウォフとともに「酵素とウイルスの合成に関する遺伝的制御の研究」によりノーベル医学生理学賞を受けた。1971年、パスツール研究所所長に任命された。著書Le hasard et la nécessité』(1971年。邦訳『偶然と必然』)は広く生物学から哲学にわたる問題を提起し、各国で大きな反響をよんだ。そのなかモノーはすべての生命は、遺伝子の無方向な突然変異(偶然)とその選択(必然)の結果であり、われわれ自身この広大な宇宙にあって、まれな、孤立した、無目的な存在であり、自ら価値を選びとっていかなければならないと述べた。

[石館三枝子]

『渡辺格・村上光彦訳『偶然と必然』(1972・みすず書房)』


モノー(Gabriel Monod)
ものー
Gabriel Monod
(1844―1912)

フランスの歴史家。ル・アーブルに生まれる。パリ大学を卒業後、高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)の助手を経て、教授に就任。学界の世話役を演じ、1876年に『ルビュ・イストリック』(歴史評論)誌を創刊。同誌は正統史学の本流として、フランスのみならず、諸外国の歴史家をも会員に吸収し、アカデミスムの牙城(がじょう)を形づくった。手堅い考証や史料操作や事実の検証に基づく論文のほか、学界動向や書評を載せ、没後現在に至るまで、各国の史学者に問題意識や論題を提供し続けている。モノーの専門は中世史で、主著に『メロビング史の史料批判』二巻(1872~85)がある。そのほか『ジュール・ミシュレ』二巻(1875)や『歴史の巨匠 ルナン、テーヌ、ミシュレ』(1894)をはじめ、19世紀の史家の評伝をも何編か残し、史学史に貢献した。どの評伝もじみで堅実、史料的には精密でも生彩に欠け、とくに史家の内観にまで立ち入って世紀の歴史活動の必然条件をえぐりだす労に欠ける。

[金澤 誠]

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