フランスの実証主義哲学者,批評家,歴史家。アルデンヌ県ブージエに生まれる。スピノザ,ヘーゲル,コンディヤック,ミル等の影響をうけ,コント風の実証主義者であるとともに,すぐれた思弁家として,心理的事象も物理的事象と同じく〈驚くべき必然性〉を有し,複雑な現実の様相も分析と抽象によって単一な要素に還元され,この本源的原因から逆に存在のすべての形式を演繹(えんえき)的に説明しうるとする決定論をとなえた。彼の意図は,歴史学を心理学として成立させ,その研究方法を実証科学,とくに博物学との類似に求めることにあったが,そこから歴史発展の一般的諸条件としての〈人種,環境,時代〉の三大原動力や,その中におかれる個人の精神的能力の基本的要素としての〈主要機能〉の観念に達した。二月革命後の反動期において彼の哲学思想は異端視され,やむなく《ラ・フォンテーヌの寓話》(1853)を学位論文としたが,そこにはすでに彼の理論の具体的素描が見いだされる。これを契機として《批評および史論集》(1858),その続編(1865)などにおさめられた批評的労作がつぎつぎに発表されたが,それらは,彼のゆたかな想像力と事実に対する鋭敏な感覚に支えられて,フランスの文学批評に注目すべき一時期を画した。大著《イギリス文学史》(1864)および《芸術哲学》(1865-69)は,彼の理論と方法を民族の文化に一貫して適用した力強い著作である。科学的批評の原理はテーヌによって明らかにされ,文学の歴史的・社会的研究はここに一応の体系化をみた。1870年には哲学上の主要著作《知性論》が出たが,この年の普仏戦争の敗戦と翌年のパリ・コミューンに衝撃をうけた彼は,その原因の究明をめざして未完の大作《現代フランスの起源》(1876-93)に余生を費やした。フランス革命に対する彼の批判は,極度に否定的なものとなって現れたが,その雄弁な歴史叙述には高い文学的価値が認められる。
執筆者:細田 直孝
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フランスの哲学者、批評家、歴史家。フランスの写実主義・自然主義文学に理論的根拠を与えた思想家。4月21日、アルデンヌ県ブージエに生まれる。高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)に首席入学の俊秀であったが、彼のコンディヤック風な感覚論哲学が当時の講壇哲学の主流折衷主義と相いれなかったため学界の迫害を被り、大学教授への道をふさがれる。1864年美術学校で美学、芸術史講座を担当するまで論壇で活躍する。
明確な哲学的方法による折衷主義、実証主義批判の書が『19世紀のフランス哲学者』(1857年刊、1868年改題)。『イギリス文学史』5巻(1864~1869)は日本の坪内逍遙(つぼうちしょうよう)らに至るまで世界の文芸思潮に影響を及ぼした。序論で、文学、芸術は人種、環境、時代の三大因子と作家、芸術家の主要機能によって規定されると説く。『芸術哲学』(1882)は美術学校の美学、芸術史講義の結実であり、フランスにおける革命の病根を過去に探る未完の『現代フランスの起源』(1875~1893)は保守的側面を代表する書である。ほかに哲学的、心理学的著作『知性論』(1870)がある。アカデミー会員。1893年3月5日パリで没。
[横張 誠 2015年5月19日]
『平岡昇訳『イギリス文学史序論』(『世界思想教養全集 第9(近代の文芸思想)』所収・1963・河出書房新社)』▽『広瀬哲士訳『芸術哲学』(1937・東京堂)』▽『岡田真吉訳『近代フランスの起源』2冊(角川文庫)』
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1828~93
フランスの哲学者,歴史家,文芸評論家。コントの実証主義的方法を文芸評論に適用し,民族,環境,時代の3概念を導入して,文学を科学的・実証的に研究することを始めた。主著『英文学史』など。
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…たまに訪れる人があっても,結果として孤独感を深めることの方が多かった。ところが87‐88年ころになるとフランスのテーヌが好意的な評価を示し,デンマークのG.M.ブランデスが講義に取り上げ,再び顧みられる兆候が現れはじめた。しかしその直後89年1月ニーチェはトリノの街頭で発狂する。…
…J.J.ウィンケルマンは,晩年の労作《古代美術史》(1764)において,メソポタミア,エジプト,ギリシア,ローマなど,地域と時代によってはっきり整理された歴史区分と,それぞれの区分のなかで一定の発展形態を示す様式の原理に基づく最初の美術史を確立した。19世紀に入ると,ヘーゲル哲学の強い影響の下に,芸術発展の歴史を技術の進歩によって説明しようとするG.ゼンパーの《技術による諸芸術様式論》(1861‐63)や,芸術を民族,環境,時代の条件に還元しようとするH.テーヌの《芸術哲学》(1865)のような体系化の試みが進められる一方,19世紀後半,個々の作品をとくにその細部表現の特徴によって作者決定をしようとしたG.モレリをはじめ,B.ベレンソン,M.J.フリートレンダーなどの優れた鑑識家たちによる作品の〈戸籍調べ〉の進歩により,独立した学問としての美術史の基礎が築かれた。また,図版(版画)を組織的に利用することは,セルー・ダジャンクールの《モニュメントによる美術史》(1811‐29)で最初に試みられたが,世紀末には,すでに写真図版が重要な役割を果たすようになっていた。…
※「テーヌ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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