ラウレル(読み)らうれる(英語表記)Jose P. Laurel

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラウレル」の意味・わかりやすい解説

ラウレル
Laurel, José Paciano

[生]1891.3.9. 南ルソン
[没]1959.11.6. マニラ
フィリピン政治家。 1915年フィリピン大学卒業,20年エール大学で学位取得。 25年フィリピン議会上院議員に選ばれ,内務長官,36年最高裁判事を経て,第2次世界大戦中,日本軍占領下でフィリピン大統領をつとめた (1943~45) 。戦後反逆罪に問われたが,48年大赦令で放免。 49年の大統領選挙に国民党候補として出馬自由党の E.キリノ敗退。 51年上院議員,R.マグサイサイ大統領擁立に努力し,同大統領就任後,54年の対日賠償交渉団首席全権,55年には経済使節団を率い,対米経済関係改善のための協定交渉にのぞみ,ラウレル=ラングレー協定を締結。 57年引退。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラウレル」の意味・わかりやすい解説

ラウレル
らうれる
Jose P. Laurel
(1891―1959)

フィリピンの政治家。ルソン島バタンガス州生まれ。1915年フィリピン大学、1920年アメリカのエール大学でそれぞれ法学を修める。1925年上院議員、1934年制憲議会議員を経て1936年最高裁判事。その反米姿勢が評価され日本軍政下の1943~1945年大統領に就任。1946年対敵協力者として訴追されたが、1948年恩赦を受けた。翌1949年大統領選に出馬し、キリノに敗れる。1954年日比賠償会議首席代表。1955年米比通商協定改定(ラウレル‐ラングレイ協定)に署名した。

[黒柳米司]

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