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オーストラリアの政治家。9月21日、ブリスベーン北部のナンボー生まれ。11歳のときに父親を交通事故で失い、経済的には恵まれなかったが、奨学金を得てキャンベラのオーストラリア国立大学で中国語と中国史を学ぶ。1981年、連邦政府外務貿易省に入省し、在スウェーデン、在中華人民共和国大使館に外交官として勤務。1988年に退職後、労働党党首ウェイン・ゴスのスタッフ、クイーンズランド州政府の内閣官房長官、監査法人の中国コンサルタントなどを経て、1998年、連邦下院議員に初当選する。
2006年に労働党党首に就任。2007年の連邦議会選挙で同党が第一党となり、12月にオーストラリア第26代首相に就任した。大学時代に中国文化を学び、中国語に堪能であることから、親中派とされる。アメリカの対イラク政策にも批判的で、公約どおり2008年6月からイラク駐留のオーストラリア軍の撤兵を開始した。また、環境問題にも関心が高く、就任当日に京都議定書に署名。また、過去の差別政策に関して、アボリジニなど先住民族に謝罪を行った。2010年6月、支持率の低下により労働党党首の座をギラードに譲り渡し、首相を辞任。同年9月に第二次ギラード内閣外相に就任。
[編集部]
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