日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラルゴ・カバリェロ」の意味・わかりやすい解説
ラルゴ・カバリェロ
らるごかばりぇろ
Francisco Largo Caballero
(1869―1946)
スペインの政治家、労働組合指導者。マドリードの漆食(しっくい)工から、1894年以後社会党の専従活動家となる。議会を通じて漸進的に社会改革を図る改良主義の立場から、社会党の選挙基盤として労働者・農民の政治的、組織的統一を重視し、党傘下の労働組合UGT(ウヘテ)(労働者総同盟)の拡大強化に腐心した。1910年代の反王制運動の中心となり、共和諸派と提携して多くの大ストライキ闘争を指導した。1925年党委員長、UGT書記長となり、1931年の共和革命に大きな役割を果たした。初期共和政権の労働大臣に任じられたが、右翼共和政権の成立(1933)により下野した。
改革停滞に失望した労働者・農民運動の革命化に直面すると、一転してプロレタリア革命を主張し、「スペインのレーニン」とよばれた。1935年末結成された人民戦線を「革命の手段」として支持したが、内戦(1936.7~39.3)が勃発(ぼっぱつ)するとこれを革命戦争ととらえ、民主主義防衛戦とする共産党との対立を深める一方、アナキスト系労働組合CNT(セネテ)(全国労働連合)との「革命的統一」に傾いた。1936年9月人民戦線政府首相となったが、1937年5月、バルセロナ市におけるアナキストと共産党との武力抗争事件の責を負って辞任した。共和国の敗北(1939)後、フランスに亡命、1940年フランスを占領したドイツ軍により強制収容所へ送られた。連合軍により解放されたパリで1946年客死した。
[山本 哲]
『S・G・ペイン著、山内明訳『スペイン革命史』(1974・平凡社)』▽『若松隆著『内戦への道』(1986・未来社)』