日本大百科全書(ニッポニカ) 「リパブリック・スチール」の意味・わかりやすい解説
リパブリック・スチール
りぱぶりっくすちーる
Republic Steel Corp.
アメリカの鉄鋼メーカー。1960~1970年代に日本やドイツなど外国鉄鋼メーカーの製品が参入してくるまでは、アメリカ市場での寡占体制を築いていた。1984年に鉄鋼メーカーとして全米第3位にあったLTV(鉄鋼・航空宇宙・エネルギーなどの多角企業)に買収された。
[奥村皓一]
鉄鋼メジャーとしての発展
リパブリック・スチールの前身は、1899年にリパブリック・アイアン・アンド・スチール社Republic Iron and Steel Co.としてニュー・ジャージー州に設立された。1930年代には、バーガー・マニュファクチュアリングと合併し、セントラル・アロイ・スチール、ブーン・ヒューラーの鉄鋼生産部門を取得して社名をリパブリック・スチールに改称。製鉄所をオハイオ、イリノイ、アラバマ、ニューヨークの各州に置き、鉄鋼二次製品工場を全米に配置、鉄鋼原料の鉄鉱石、石灰石、原料炭の50%以上を自給した典型的なアメリカの大手鉄鋼資本であった。1981年には、ガルフ石油(後にシェブロンが買収)との間でノース・リバー炭鉱の開発・採掘にまで乗り出し、小型の民間航空機を製造する子会社をもつに至るなど、多角経営により発展した。
[奥村皓一]
1980年代の没落
1980年代は、リパブリック・スチールの独立鉄鋼企業としての最晩年の時代であった。当時全米第5位の鉄鋼メーカーであったリパブリック・スチールは合金やステンレスでも大手であったが、自動車・機械・装置産業向けの製品が中心で、景気変動に左右されやすい体質をもっていた。1980年代のドル高とアメリカ自動車産業の弱体化、機械・装置産業の海外流出で、鉄鋼最大手のUSスチールとともにリパブリック・スチールも凋落(ちょうらく)の運命を免れなかった。
1984年、リパブリック・スチールは、1980年代のアメリカ鉄鋼業界再編・転換のトップを切って、当時全米第3位の鉄鋼メーカー、ジョーンズ・アンド・ラフリンJones and Laughlinを擁したLTVに買収された。LTV鉄鋼部門のジョーンズ・アンド・ラフリンとリパブリック・スチールの合体によって、全米第2位の鉄鋼メーカー「LTVスチール」が設立された。
LTVは石油掘削装置などエネルギー部門を売却してリパブリック・スチールを買収し、鉄鋼事業に全力を投入しようとした。1985年LTVは、鋼管事業、特殊鋼事業、鉄板・棒鋼事業の3部門に組織を分割して、ジョーンズ・アンド・ラフリンの主力製鉄所であったアリキッパ製鉄所の閉鎖や不採算部門の売却で合理化を目ざしたが、スクラップ化に費用がかさみ、ビルド(新規設備投資)の資金が不足して回復に失敗。LTVの財務状況はその後悪化の一途をたどり、1986年に事実上倒産した。アメリカ鉄鋼大手の倒産は1985年のホーリング・ピッツバーグ社に続くものであった。
[奥村皓一]
棒鋼メーカーとしての再生
1980年代末、紆余(うよ)曲折の末にリパブリック・スチールは復活することになる。LTVは連邦破産法手続の下で事業のスリム化を実行し、表面処理・鋼板部門は日本の住友金属工業(現、日本製鉄)との合弁による近代化、増産計画へ移行した。一方、棒鋼部門については労働組合への売却を取り決めた。その結果、1989年には棒鋼製造を主軸とする新会社リパブリック・エンジニアード・スチールスRepublic Engineered Steels, Inc.が、労組側が76%の議決権を握る「労組経営の新企業」として復活することとなった。
リパブリック・エンジニアード・スチールスは1999年、神戸製鋼所とUSX(現、USスチール)の合弁鉄鋼メーカーであるUSS神戸スチールと、ベスレヘム・スチールの棒鋼部門から発展したバー・テクノロジーズの2社と合併、新会社リパブリック・テクノロジーズ・インターナショナルRepublic Technologies International(RTI)が設立された。RTIは高級棒鋼、線材の一貫メーカーとしてアメリカ最大のシェアを誇ったが、市況悪化による需要減少を背景にやがて経営難に陥り、2001年連邦破産法第11条の適用による更正救済を申請。翌2002年には投資会社のもとに設立されたリパブリック・エンジニアード・プロダクツRepublic Engineered Productsが、RTIの事業を継承した。リパブリック・エンジニアード・プロダクツは2005年にメキシコの鉄鋼会社であるICH社に買収され、ICH社が属するシメックSimec・グループの子会社となった。
[奥村皓一]