ルイコフ(読み)るいこふ(英語表記)Алексей Иванович Рыков/Aleksey Ivanovich Rïkov

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルイコフ」の意味・わかりやすい解説

ルイコフ
Rykov, Aleksei Ivanovich

[生]1881.2.13. サラトフ
[没]1938.3.15. モスクワ
ソ連の共産主義指導者,政治家。カザン大学在学中,ロシア社会民主労働党入党,革命運動に従ったとの理由で退学させられ,ジュネーブで V.I.レーニンの教えを受けた。その後帰国して革命運動を行い,1905年第3回党大会 (ロンドン) で中央委員に選ばれたが帰国後捕えられた。脱獄亡命,逮捕を繰返し,17年の二月革命のときは流刑中であった。十月革命で初代内務人民委員となり,18~21年最高国民経済会議議長,21~24年人民委員会議議長代理兼労働・国防委員会議長代理,23年党政治局員。レーニンの死後,その跡を継いで人民委員会議議長となったが,新経済政策から5ヵ年計画に移る問題で N.I.ブハーリンらとともに I.スターリンに反対したため,右翼偏向と批判されて失脚。 30年 12月には政治局から追放され,38年3月右翼トロツキスト陰謀事件でブハーリンらとともに捕えられ,銃殺された。 56年名誉回復。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルイコフ」の意味・わかりやすい解説

ルイコフ
るいこふ
Алексей Иванович Рыков/Aleksey Ivanovich Rïkov
(1881―1938)

ソ連の政治家。1900年、カザン大学法学部に入り、革命運動に参加、ボリシェビキに属した。おもに国内で活動し、逮捕、流刑、逃亡を繰り返した。08~13年、ボリシェビキ内ではメンシェビキなどに対する調停派の指導者となった。17年の二月革命後は、モスクワの党活動を指導、同年の十月革命で内務人民委員となったが、他のソビエト内諸党との連立政府の組織を主張して辞任した。18年、最高国民経済会議議長。21年より人民委員会議議長代理を務め、レーニンの死(1924)後、同議長(首相)となる。実務家として理論家のブハーリンとともに右派を指導、スターリンと結んでトロツキージノビエフ、カーメネフらを追放したが、27~28年には穏健な工業化路線を唱えてスターリン派に敗れ、29年政治局員を、30年人民委員会議議長を解任された。その後、郵便電信人民委員(1931~36)の職にあったが、37年に党を除名、38年第三次モスクワ裁判で死刑に処せられた。88年、名誉回復。

[藤本和貴夫]

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