改訂新版 世界大百科事典 「ルーネベリ」の意味・わかりやすい解説
ルーネベリ
Johan Ludvig Runeberg
生没年:1804-77
フィンランドの詩人。スウェーデン語で書いた。貧しい船長の子として生まれ,1822年トゥルク大学に入学して西洋古典文学を学んだ。同期にリョンロートやスネルマンがいて,後にこの3人はフィンランド独立の気運を高めた民族意識高揚期の中心的人物となる。23年末から2年余り,貧しさゆえに学業を中断し,中部フィンランドの寒村で家庭教師をした。この地の美しい自然と人情,フィンランド古代伝承詩,そしてセルビア民謡との出あいが,ロマン派詩人誕生の下地となった。《詩集》3巻(1830-43),《サーリヤルビ村のパーボ》(1831)などの抒情詩は,西欧ロマン派詩人V.ユゴー,キーツ,プーシキンに比肩し,後にノーベル賞作家ヘイデンスタムによって〈スウェーデン語詩芸術のレオナルド・ダ・ビンチ〉と称された。《スキーでヘラジカを追う射手》(1832),《クリスマスの夜》(1841)ほかの叙事詩は,農民生活をリアルに描き,〈フィンランド語文学の父〉キビに始まる農民リアリズム作品に先行していた。しかし,その名を不朽にしたのは《ストール旗手物語》(1848-60)であった。フィンランドを舞台にしたスウェーデン・ロシア戦争(1808-09)を扱い,敵味方の別なく,祖国愛に燃える兵士たちの誠実で忍耐強い勇敢な活躍をユーモラスに賛美した長編物語詩で,国民の祖国愛を駆り立てた。《詩集》所収の〈われらの国〉(1848年以来フィンランド国歌)とともに民族意識高揚の源泉となり,ルーネベリは国民詩人として敬愛された。誕生日の2月5日は1886年以来〈ルーネベリの日〉と呼ばれる祝日となった。1830年代からルーネベリ崇拝の気運が自然発生し,56年のこの日から,ゆかりの土地で諸団体主催でさまざまな様式の祝賀祭が行われてきたが,現在では下火となっている。
執筆者:高橋 静男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報