キーツ(読み)きーつ(英語表記)John Keats

日本大百科全書(ニッポニカ) 「キーツ」の意味・わかりやすい解説

キーツ
きーつ
John Keats
(1795―1821)

イギリスの詩人バイロンシェリーと並んでロマン派を代表する。貸馬車業者の馬屋に勤める馬丁長を父として10月31日ロンドンに生まれた。8歳で父に、14歳で母に死別し、早くから不幸な生活を味わう。最初、医師の徒弟となり、のち医学生として病院に学び、薬剤師の資格まで手に入れたが、しだいに詩作に興味を覚えるようになる。

 1817年、処女詩集『ジョン・キーツ詩集』を発表したが、反響は乏しく、翌年、月の女神が羊飼いの美青年エンディミオンに恋して彼を独占するため永遠に眠らせておいたというギリシア神話に想を得て、長編物語詩『エンディミオン』4巻(4060行)を重ねて世に問うたが、世評は芳しいとはいえなかった。同年、ファニー・ブローンという女性と激しい恋に落ちたが、それは幸福な恋愛ではなかった。また最愛の弟トムを肺結核で失うといった事情も重なって、18年から19年にかけてのキーツは暗澹(あんたん)たる思いに沈むことが多かった。にもかかわらず、そのような思いが彼の作品に一段と深みを加えるに至ったことも事実である。19年は彼の「驚異の1年」といわれて、数編の物語詩、バラッド(民謡風物語詩)、オード頌詩(しょうし))などの傑作を次々に生み出した。これらの秀作の多くを収めて翌年公にした『レイミア、イザベラ、聖女アグネス祭の前夜その他の詩集』は、イギリスのロマン派詩人の作品中、一つの頂点を形づくるものである。しかし、彼から弟を奪ったのと同じ病が、すでに彼自身をもむしばみ始めていた。医師の意見によれば、生存の唯一のチャンスは温暖なイタリアに転地することであり、友人たちの好意によって、20年9月にイギリスをあとにし、11月にはイタリアに到着したが、病はついにあらたまって、21年2月23日の夜ローマの宿舎で25年の生涯を閉じ、同地のイギリス人墓地に埋葬された。墓には、生前の希望により、「水の上にその名を誌(しる)されたる者ここに横たわる」という句が刻まれている。

 未完に終わった作品中注目すべきものに、ギリシア神話に基づいた物語詩『ハイピリオン』およびその改作『ハイピリオンの没落』がある。とくに後者は、キーツの思想的な到達点を暗示するもので、もし完成されていたならば彼の代表作になっていたかもしれない。さらに、この詩人を理解するために逸することができないのは、その『書簡集』(1848、没後刊)である。事件や人物の生き生きとした描写がみられるばかりでなく、断片的ながらきわめて示唆に富んだ詩論を多く含んでいて、19世紀イギリスの文学思想の重要な一面を示している。

[御輿員三]

『ブランデン著、菊地亘訳『英米文学ハンドブック キーツ』(1956・研究社出版)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キーツ」の意味・わかりやすい解説

キーツ
Keats, John

[生]1795.10.31. ロンドン
[没]1821.2.23. ローマ
イギリス・ロマン派の詩人。 1811年外科医の徒弟となり医師の資格を得たが開業せず,詩人を志した。 17年の『詩集』 Poemsに始り,『エンディミオン』 Endymion (1818) ,『レイミア,イザベラ,聖アグネス祭前夜その他の詩』 Lamia,Isabella,The Eve of St. Agnes and Other Poems (20) を次々に出版。『エンディミオン』は『ブラックウッズ・マガジン』『クォータリー・レビュー』誌上で酷評された。最後の詩集には不朽の名作オード数編が収められている。肺結核療養のためイタリアに転地,そこで客死した。 25歳の短命ながら天賦の偉才を遺憾なく発揮してシェークスピアに比肩するといわれる詩業を樹立した。詩に関する深い洞察を含んだ『書簡集』 Lettersも重要。

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