日本大百科全書(ニッポニカ) 「レウクトラの戦い」の意味・わかりやすい解説 レウクトラの戦いれうくとらのたたかい 紀元前371年のスパルタとテーベとの戦い。エパミノンダスはテーベに民主政を敷いてボイオティアを支配した。スパルタはテーベがボイオティアを代表することを警戒してこれを認めず、そのためテーベは再度結ばれた「大王の和約」(アンタルキダスの条約)に加盟しなかった。これを口実にスパルタはボイオティアに侵入したが、新たに斜方陣形をとったエパミノンダスにレウクトラLeuktraで敗れた。これ以降ギリシアの覇権はテーベに移り、スパルタは凋落(ちょうらく)した。[古山正人][参照項目] | アンタルキダスの条約 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レウクトラの戦い」の意味・わかりやすい解説 レウクトラの戦いレウクトラのたたかいBattle of Leuktra 前 371年南ボイオチアのレウクトラの平野でテーベ軍とスパルタ軍との間で行われた戦い。テーベ軍は名指揮官エパメイノンダスのもと,革新的な戦略によってスパルタ王クレオンブロトス配下のスパルタ軍を敗走させ,以後テーベがスパルタに代ってギリシアの覇権を握ることになった。またこの戦いはスパルタの重装歩兵密集隊 (ファランクス) のもっていた名声に決定的な打撃を与えた。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報