レオポルド3世(英語表記)Leopold Ⅲ

改訂新版 世界大百科事典 「レオポルド3世」の意味・わかりやすい解説

レオポルド[3世]
Leopold Ⅲ
生没年:1901-83

ベルギーの第4代国王在位1934-51年。アルベール1世長子で,父の急死により即位。第2次大戦勃発後も中立政策を固守したが,ドイツ軍の電撃作戦を前に,ベルギー軍の最高司令官として,内閣による亡命の勧めを蹴ってドイツに無条件降伏した。その後ドイツ軍に連行されて幽閉され,ドイツ敗北後スイスに移った。しかし,大戦終了後,ドイツへの降伏が攻撃の的となって退位問題を引き起こし,50年の国民投票により僅少差(賛成57.68%)でやっと復位が認められた。しかし,帰国したレオポルドは復位を断念し,51年皇太子ボードゥアンに譲位した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レオポルド3世」の意味・わかりやすい解説

レオポルド3世
レオポルドさんせい
Leopold III

[生]1901.11.3. ブリュッセル
[没]1983.9.25. ブリュッセル
ベルギーの国王 (在位 1934~51) 。アルベール1世の長子で,1934年父の死後王位についた。第2次世界大戦勃発とともにベルギー軍最高司令官となったが,40年5月ドイツ軍侵入後 18日間で無条件降伏し,44年ベルギーの解放とともにドイツに居を移したため国民の信望を失った。戦後ベルギーの国会は国王の帰国を拒否したが,50年の国民投票で復位派が過半数を占めたので帰国した。しかし反対がなおも強く,同年8月皇太子ボードアンに国王の権限を譲り,51年7月正式に退位した。

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20世紀西洋人名事典 「レオポルド3世」の解説

レオポルド3世
Leopold Ⅲ


1901.11.3 - 1983
ベルギー国籍。
ベルギー国王。
在位1934年〜51年。アルベール1世の長子。イギリスイートン・カレッジに学ぶ。ベルギーの中立政策を推進、世界平和を訴えるが、第二次世界大戦中の’40年にドイツに侵攻され、亡命政権への参加を拒否したのち無条件降伏。’40〜44年王宮に軟禁される。’45年釈放されるものの大戦中の行動が非難され、ベルギー国会の復位拒否にあいスイスに亡命。’50年国民投票により帰国と復位を許されるが、翌’51年に皇太子ボードゥアンに譲位する。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「レオポルド3世」の解説

レオポルド3世(レオポルドさんせい)
Leopold Ⅲ

1901~83(在位1934~51)

ベルギー国王。第二次世界大戦でドイツ軍の侵入を受け,無条件降伏。ドイツで軟禁生活を送ったが,戦後も復位がならず,亡命を余儀なくされた。1950年国民投票によって帰国が許され復位したが,反対が強く,翌年長子に譲位。

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367日誕生日大事典 「レオポルド3世」の解説

レオポルド3世

生年月日:1901年11月3日
ベルギーの国王(在位1934〜51)
1983年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のレオポルド3世の言及

【ボードゥアン[1世]】より

…1951年即位。レオポルド3世とアストリッド王妃(スウェーデン王女)の長子。第2次大戦中はドイツ軍の捕虜として父とともにオーストリアに幽閉される。…

※「レオポルド3世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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