日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
レズビアン・ゲイ・スタディーズ
れずびあんげいすたでぃーず
lesbian and gay studies
1970年代からとくに英語圏で大きく進展した、多くは同性愛者自身による同性愛の研究。同性愛の歴史を実証的に検証する一方で、同性愛を固定した実体ではなく社会的・文化的な構築物ととらえる立場(構築主義)から、政治的分析を行う傾向も生まれた。これらの研究はゲイ・レズビアン・コミュニティの発展とも結びついた。ジェフリー・ウィークスJeffrey Weeks(1945― )、ジョン・デミリオJohn D'Emilio(1948― )といった研究者は、過去の同性愛を記述するだけでなく、ミシェル・フーコーの影響のもと、ホモフォビア(同性愛嫌悪)の社会的布置を検討した。この傾向は皮肉なことに、80年代のHIV(ヒト免疫不全ウイルス)/エイズ(後天性免疫不全症候群)の流行によって加速された。HIVによって同性愛者への差別が顕在化し、その結果逆に多くのゲイ・レズビアンが新たにカム・アウトして規範的セクシュアリティの批判に向かったのである。アクト・アップなどのアメリカのエイズ対策活動団体は、それまで行動をともにすることが比較的少なかったゲイとレズビアンを連帯させ、文化理論を育てる場にもなった。その後英米の多くの大学にレズビアン・ゲイ・スタディーズの専攻課程が置かれ、とくに文学研究においては一つの制度として確立されている。
レズビアン・ゲイ・スタディーズは、つねに同性愛者のアイデンティティに基づく政治活動との関係に規定されている。詩人で批評家のアドリエンヌ・リッチAdrienne Rich(1929― )は「レズビアン連続体」という概念によって、レズビアン関係をフェミニストの連帯のモデルとして描いたが、異性愛・同性愛の差異を縮小する傾向と、むしろ差異を強調する傾向の双方が見られる。同性愛者にとどまらず多様な性的マイノリティの連帯を指向する思想は、クイアと呼ばれることが多い。
今日の性をめぐる言説に広く影響を与えたアメリカの思想家ジュディス・バトラーのパフォーマティビティ(行為遂行性)論は、構築主義的立場から、身体は生物学的に固定された所与のものではなく、日々の行動の反復によって構築されていると主張しているが、この思想はレズビアンによる男女の性役割の模倣への考察から生まれている。ジェンダーとセクシュアリティを固定的にとらえれば、異性愛制度を批判しているはずのレズビアンが、男っぽい(ブッチ)、あるいは女っぽい(フェム)立ち居ふるまいを模倣するのは奇妙な事態として疑問視される。しかし同性愛も無から生じるのではなく、すでに存在する文化を利用しなければ成立しないと考えれば、異性愛文化の模倣を一概に否定せず、積極的な意味をみいだすこともできる。このようにバトラーの思弁的な身体論は、きわめて具体的な政治的文脈から生まれている。
[村山敏勝]
『キース・ヴィンセント・風間孝・河口和也著『ゲイ・スタディーズ』(1997・青土社)』▽『ジュディス・バトラー著、竹村和子訳『ジェンダートラブル――フェミニズムとアイデンティティの攪乱』(1999・青土社)』▽『イヴ・コゾフスキー・セジウィック著、外岡尚美訳『クローゼットの認識論――セクシュアリティの20世紀』(1999・青土社)』