ミャンマー西部ラカイン州を中心に暮らすイスラム教徒少数民族。ミャンマーは人口の約9割が仏教徒で、政府はロヒンギャを自国民族と認めておらず、長年差別や迫害の対象となってきた。2017年8月のロヒンギャ武装集団「アラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)」と治安部隊の衝突後、約74万人が難民として隣国バングラデシュに逃れた。ジェノサイド(民族大量虐殺)に当たるとしてミャンマーは訴えられ、国際司法裁判所で係争中。パキスタンやサウジアラビアで暮らすロヒンギャも多い。(カラチ共同)
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おもにミャンマー連邦共和国の西沿岸部にあたるラカイン州の北西部に住むイスラム系少数民族。2015年5月、難民が南タイの海岸沖で木造船に乗って漂流する事件が発生したとき以来、ロヒンギャは国際的な注目を浴びるようになった。翌2016年10月にはミャンマー(ビルマ)西部のラカイン州北西地域とバングラデシュ南部が接する国境地帯において、ロヒンギャ武装集団によるミャンマー国境警備隊襲撃事件が起き、政府軍と治安警察の報復によって数万人の一般ロヒンギャ住民がバングラデシュ側に難民となって流出した。続く2017年8月には同様の襲撃事件がアラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA:Arakan Rohingya Salvation Army)によって発生し、ふたたび政府軍と治安警察による一般住民に対する大規模な報復が行われ、そのため約半年間に90万人以上のロヒンギャ難民がバングラデシュに流出、その帰還は実現していない(2019年12月時点)。大規模な難民流出としてのロヒンギャ問題は、1978年と1991年にも生じているが、国連をはじめ国際社会がそれを深刻な問題として認識するようになったのは、2015年以降の一連の事態を経てである。
ロヒンギャをめぐる問題そのものは、20世紀なかばから存在する。彼らは前述のラカイン州北西地域に住むムスリムの集団で、推定人口は100万~110万人とみなされているが、ミャンマー政府は独立後の十数年間を除き、彼らを「土着民族」として認めず、排他的姿勢をとり続けている。仏教徒を中心とする多数派世論も彼らを「土着民族」ではなくバングラデシュからの「不法移民」とみなし、強い反感を示している。そのためロヒンギャは長期にわたる抑圧にさらされ、2015年にはそれまで与えられていた臨時国籍証も剥奪(はくだつ)された。一方、バングラデシュ政府はロヒンギャをミャンマー国民とみなしている。
民族的出自がベンガル地方で、言語もベンガル語(バングラデシュの公用語)のチッタゴン諸方言の一つを使用し、ロヒンギャという民族名称の使用も文書の上では1950年までしかさかのぼれない彼らであるが、その起源は古い。この地で15世紀前半から18世紀後半まで栄えたアラカン王国(ムラウー朝、1430~1785年)の時代に、仏教徒とともにムスリムも居住していたため、のちにロヒンギャを名のるようになる集団の起源は、そこまでさかのぼることができる。
アラカン王国は仏教王権で知られる王国であるが、初代から11代目までの王が仏教名に加えイスラム名も併用していたことに特徴がある。王国の支配空間も現在のバングラデシュ南部にまで及び、人やモノがその空間を自由に移動していたため、王国内にはムスリムも居住し、宮廷内で役職につく者もいた。海上の交易相手がムスリム中心であったため、国王としては商業においては自らイスラム名を名のったほうが有利だと判断したのである。これは仏教とイスラムが王国内で共存していたことの証(あかし)でもある。しかし、16世紀後半以降、ムガル帝国(インドのイスラム王朝、1526~1858年)の力がベンガル湾沿岸地域に強まると、王国はそれに対抗すべく仏教王権であることを強調し始め、それを機に王国内で仏教徒とムスリムがそれぞれのアイデンティティを強めていくことになった。
1785年にアラカン王国はビルマ平野部のコンバウン朝に滅ぼされ、1826年からラカインはイギリスの植民地支配を受ける。イギリス領インドとの境界が同一植民地領域内の「州境」に過ぎなくなったため、19世紀前半以後、ラカイン北西部にはベンガル地方から大量の移民が入り、ムスリムのコミュニティを築き上げた。アラカン王国期からのムスリムを「第一層」と考えれば、このイギリス領植民地期(1826~1948年)にベンガルから流入した大量の移民は「第二層」ととらえることができる。
20世紀に入り、1942~1945年に日本軍がイギリス領ビルマに攻め入り、ラカインを占領・支配すると、同軍はラカイン人仏教徒の一部を武装化させた。イギリス軍はベンガルに避難したムスリムの部隊を結成し、両者はラカイン北西部で戦うことになる。この事態を経てラカイン北西部は混乱に陥り、その状況は1948年のビルマ独立前後においても続いた。1947年に独立した東パキスタン(現、バングラデシュ)からの新規流入移民が大量に同地に流入し、これが「第三層」のムスリムとなる。
結果的に「三つの層」から成るムスリム・コミュニティがこの地に成立するに至り、このころからロヒンギャという自称が使われるようになった。その後、1971年に起きた第三次印パ戦争(バングラデシュ独立戦争)の際にも、多くの移民がラカイン北西部に流入している。こうした歴史があるため、ミャンマー国民の多くは彼らを「バングラデシュからの不法移民」としてとらえる傾向が強い。
ロヒンギャ難民の故郷帰還を考える場合、帰還後の彼らの安全の保証がもっとも重要である。それは「物理的な安全」はもちろんのこと、彼らの「アイデンティティの安全」にも配慮されたものでなければならない。ミャンマー政府は2017年8月、元国連事務総長コフィ・アナンが委員長を務めた諮問委員会の出した答申に従い、難民の帰還促進に加え、ロヒンギャに国籍を与える方向性を示している。しかし、その具体的な基準は明らかにされていない。また、ロヒンギャという民族名称を使わせない方針なので、「ベンガル人」などの別の民族名を強制する可能性が高い。自分たちの「民族の名のり」を否定されてまで、ロヒンギャがミャンマーに戻ろうとするか否かは不明である。今後、帰還作業が進んでも、ロヒンギャ問題の本質的解決までにはいくつもの乗り越えなければならない壁がある。
[根本 敬 2020年1月21日]
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(大迫秀樹 フリー編集者/2017年)
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