ローズベリー(読み)ローズベリー[はく](その他表記)Rosebery, Archibald Philip Primrose, 5th Earl of

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ローズベリー」の意味・わかりやすい解説

ローズベリー(伯)
ローズベリー[はく]
Rosebery, Archibald Philip Primrose, 5th Earl of

[生]1847.5.7. ロンドン
[没]1929.5.21. サリー,エプサム
イギリスの政治家。 1868年祖父爵位を継ぎ,71年上院議員。自由党所属。 81年 W.グラッドストン内閣のスコットランド担当内務次官,85年建設相,86,92~94年外相となり,シャムエジプトをめぐって対フランス強硬外交を展開。 94~95年グラッドストンの跡を継いで首相となったが,アイルランド問題をめぐって閣内で意見が対立,翌年辞任。南アフリカ戦争に際しては自由帝国主義者として戦争を支持,自由党の内部分裂を生んだ。

ローズベリー
Rosebery

オーストラリア,タスマニア州西部の町。ハーキュリーズなど周辺の鉛,亜鉛,金,銀の鉱山のための鉱山町。亜鉛はホーバートのリスドン精錬所へ送られ,鉛はバーニーから移出される。人口 2102 (1986) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ローズベリー」の意味・わかりやすい解説

ローズベリー
ろーずべりー
5th Earl of Rosebery Archibald Philip Primrose
(1847―1929)

イギリスの政治家。第4代ローズベリー伯爵の孫として生まれる。オックスフォード大学を卒業、祖父の爵位を継いで、自由党上院議員として活躍した。1886年、1892~1894年に外相を務めたのち、1894年首相に就任したが、閣内の分裂が表面化し、実績をあげられぬまま翌1895年に辞任した。一貫して帝国主義政策を唱え、「自由帝国主義者」の中心人物として、南アフリカ戦争(ブーア戦争)を強く支持した。1905年に自由党を離れ、ロイドジョージの「人民予算」に対しては批判派側に回った。伝記作家としても知られ、ピールナポレオン(1世)などについての著作がある。

[木畑洋一]

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