改訂新版 世界大百科事典 「ローマガラス」の意味・わかりやすい解説
ローマ・ガラス
Roman glass
ローマ時代にローマ帝国領内で作られたガラス器の総称。前1世紀に吹きガラス技法がローマ帝国領内の地中海東海岸のガラス産地で発明されてから,ローマ帝国が東西に分裂する4世紀まで,現在のシリア,エジプト北岸,スペイン,イタリア,フランス,ドイツ,イギリス地方で作られたガラスをローマ・ガラスと呼び,それ以降の5~6世紀の東・西ローマ帝国領内で作られたガラスを後期ローマ・ガラスと呼ぶ。生産地の名称をつけて,シリア・ガラス,ゴール・ガラス,フランク・ガラス,アングロ・サクソン・ガラスなどと呼称されることもある。ローマ・ガラスは,ほとんどすべてがソーダ・ガラスで作られていて,多くは色ガラスを素材としている。色ガラスも,今日使われている大部分の色が作り出されていた。製法は吹きガラス法によって作られたものが圧倒的に多く,その他押型成形法,鋳造法などによるものもある。製品内容は,食器が主体であるが,高度な彫琢技術を駆使して制作された高級な美術工芸作品もある。カメオ・グラスの優品である,大英博物館所蔵の〈ポートランド・バーズ〉(1世紀ころ)や,分厚いガラス器の表面を削り込んで,器の表面全体に透し彫の文様を彫り出すディアトレタdiatreta技法による〈リュクルグスLycurgusの杯〉(4世紀ころ)などはその代表的な例である。また,ガラス鏡や窓ガラス,医理化学用器具,照明器具,装身具,モザイクなど,今日一般に使用されているガラス製品の原型が,ほとんどこの時代に作り出されていた。ローマ・ガラスの生産量は,それ以前の時代に比べて,数万倍にも達し,広大な地方にその吹きガラス技法が伝播していったために,ガラスの生産地も地中海周辺のみならず,広くユーラシア大陸全域に誕生していった。そのため,ガラス製品の値段は後1世紀以前の値段に比較して,約200分の1に下落し,一般庶民でも使えるほどの値段になったことを,ローマの博物学者大プリニウスが《博物誌》の中に記述している。東洋へのローマ・ガラスの伝播は,早くも1世紀前後の前漢時代に,吹きガラス技法やその製品が伝えられている。中国広東省広州市横枝崗の前漢墓からは,コバルト・ブルーのカット・グラス碗3点が発掘されているのをはじめ,北魏時代の大同,山東地方からも数例が出土している。また,ベトナムのメコン・デルタ地帯からも数例のローマ・ガラスの出土が伝えられているほか,アフガニスタンのベグラーム遺跡からは1~4世紀のローマ・ガラスが数十例も出土している。朝鮮半島の三国時代新羅の遺跡からは,十数例の後期ローマ・ガラスの出土があり,日本でも奈良県橿原市の新沢千塚126号墳より2点の後期ローマ・ガラスが出土したほか,仁徳天皇陵内からも,同様のローマ・ガラスが2点出土したことが確認されている。北欧への伝播も多く,デンマーク,ノルウェー,スウェーデン各地の1~4世紀の遺跡から数百例のローマ・ガラスの出土が報告されている。このように,1世紀ころには,ほとんどユーラシア大陸全域に伝播し,それに併せてガラス技法も徐々に各地に伝えられていった。ローマ・ガラスは,いわば現代のガラス産業の最初の基礎を築いたといっていいであろう。
執筆者:由水 常雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報