ワイツゼッカー(読み)わいつぜっかー(英語表記)Carl Friedrich von Weizsäcker

デジタル大辞泉 「ワイツゼッカー」の意味・読み・例文・類語

ワイツゼッカー(Richard von Weizsäcker)

[1920~2015]ドイツ政治家。連邦議会副議長・西ベルリン市長を経て、1984年西ドイツ大統領に就任した。1990年から1994年にかけて統一ドイツ初代大統領。ドイツ敗戦40周年記念演説で「歴史における責任」を説き、高い評価を受けた。バイツゼッカー。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワイツゼッカー」の意味・わかりやすい解説

ワイツゼッカー(Carl Friedrich von Weizsäcker)
わいつぜっかー
Carl Friedrich von Weizsäcker
(1912―2007)

ドイツの物理学者ライプツィヒ大学に学び、1933年ハイゼンベルクの下で博士号を取得。原子核の理論的研究に取り組み、1935年荷電粒子どうしの衝突による光子放出や電子・陽電子対生成などの過程を半古典的に求める近似式を発表(ワイツゼッカー‐ウィリアムス近似)。さらに1938年には原子核の結合エネルギーについての質量公式(ワイツゼッカーの質量公式)を発表するとともに、H・A・ベーテとは独立に、恒星のエネルギー源を恒星内部での原子核反応とする熱核反応論を形成した。1944年惑星系の成因について乱流理論を駆使して星雲説の立場から理論をつくりあげ、ティティウス‐ボーデの法則や角運動量の分布を説明した。第二次世界大戦中は軍の下で原子力エネルギーの利用の研究に取り組んだ。1957年から1967年にかけてハンブルク大学哲学教授を務めるなど、戦後は科学哲学の分野で活躍した。のちにマックスプランク「科学技術の世界における生活条件」研究所長を務めた。また1957年の旧西ドイツ核武装反対の「ゲッティンゲン宣言」の署名者の一人である。

[小林武信]

『C・F・ヴァイツェッカー著、西川富雄訳『自然の歴史』(1968・法律文化社)』『C・F・ヴァイツゼカー著、野田保之・金子晴勇訳『科学の射程』(1969・法政大学出版局)』『C・F・ヴァイツゼカー著、斎藤義一・河井徳治訳『自然の統一』(1979・法政大学出版局)』『C・F・ヴァイツゼッカー著、遠山義孝訳『心の病としての平和不在――核時代の倫理学』(1982・南雲堂)』『C・F・ヴァイツゼカー著、座小田豊訳『時は迫れり――現代世界の危機への提言』(1988・法政大学出版局)』『C・F・ワイツゼッカー著、山辺建訳『人間的なるものの庭――歴史人間学論集』(2000・法政大学出版局)』『C・F・ワイツゼッカー著、遠山義孝訳『核時代の生存条件――世界平和への構想』(講談社現代新書)』『C・F・ワイツゼッカー著、富山小太郎・粟田賢三訳『原子力と原子時代』(岩波新書)』『広瀬隆著『恐怖の放射性廃棄物――プルトニウム時代の終り』(集英社文庫)』


ワイツゼッカー(Richard von Weizsäcker)
わいつぜっかー
Richard von Weizsäcker
(1920―2015)

ドイツの政治家。ベルリンの高等学校卒業後、イギリス・オックスフォード大学、フランス・グルノーブル大学に学んだが、第二次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)で徴兵され、将校として参戦した。戦後ゲッティンゲン大学に学び1954年卒業。銀行、製薬会社に勤める一方、キリスト教民主同盟CDU)に入党、若き日のコール連邦議員(のちの首相)と知り合い、その推薦で1969年以降連邦議員となる。1981~1984年西ベルリン市長として、26年続いていた社会民主党市政を保守路線に転換させて注目された。1984年第6代大統領に選ばれ、翌1985年敗戦40周年記念日にナチス・ドイツの蛮行を深く反省する演説を行い、内外に感銘を与えた。1989年大統領再選、同年秋に始まった東欧圏の崩壊とベルリンの壁撤去、翌1990年のドイツ統一には、ヨーロッパと東ドイツ国民への配慮から、慎重な姿勢をとりコール首相とは対照的だった。1990年統一ドイツの大統領に推され、1994年任期終了とともに辞任した。父エルンストはナチ時代の外交官、兄カールは高名な核物理学者である。

[藤村瞬一]

『『荒れ野の40年――ヴァイツゼッカー大統領演説全文』(『岩波ブックレット54』1986・岩波書店)』『マルティン・ヴァイン著、鈴木直ほか訳『ヴァイツゼッカー家』(1993・平凡社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ワイツゼッカー」の意味・わかりやすい解説

ワイツゼッカー
Weizsäcker, Richard von

[生]1920.4.15. シュツットガルト
[没]2015.1.31. ベルリン
ドイツの政治家。大統領(在任 1984~94)。男爵家の名門に生まれる。父は外交官,兄は世界的な原子物理学者で哲学者のカール・F.ワイツゼッカー。イギリスのオックスフォード大学,フランスのグルノーブル大学で短期間学んだのち,第2次世界大戦中の 1938年にドイツ軍に入隊。のち,将校としてアドルフ・ヒトラー暗殺未遂事件に加わり,秘密警察に追われた。戦後の 1945~49年ゲッティンゲン大学で学び,法学博士号を取得。ドイツ連邦共和国(西ドイツ)で弁護士として,また経済界で活躍したのち,1964年プロテスタント教会会議議長に選出され政界に入る。1969~81年キリスト教民主同盟の連邦議会議員。1979~81年副議長。1981~84年西ベルリン市長として東西両ドイツの関係改善に努めた。1984年西ドイツ第6代大統領就任。1989年再選。1990年10月初代統一ドイツ大統領に就任し,1994年任期満了により退任。歴史をふまえた倫理的発言で知られ,1985年5月の終戦 40周年記念演説で「過去に目を閉ざす者は現在に対しても盲目となる」と述べ,ドイツ国民に過去の戦争責任を正視し,その責任を引き受けるよう説いた。また 1992年11月,人種差別に反対する集会では極右による外国人攻撃を非難する演説を行なった。

ワイツゼッカー
Weizsäcker, Viktor Freiherr von

[生]1886.4.21. シュツットガルト
[没]1957.1.9. ハイデルベルク
ドイツの医学者,神学者。1923年ハイデルベルク大学精神医学教授,1941年ブレスラウ大学教授。医学者であるとともに神学博士でもあり,患者を単に客体としてではなく人格として取り扱うべきであると説き,精神身体医学への道を開いた。

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百科事典マイペディア 「ワイツゼッカー」の意味・わかりやすい解説

ワイツゼッカー

ドイツの政治家。シュツットガルト生れ。父エルンストはヒトラー時代に外務次官,バチカン大使などを務め,戦後,戦争犯罪人として有罪になっている。長兄カールは著名な原子物理学者・哲学者であり,一門には高名な神学者もいて,知的で宗教的な雰囲気の家系である。ワイツゼッカーはベルリン,オックスフォード,グルノーブル,ゲッティンゲンの各大学に学び,第2次大戦にも従軍。1939年9月1日ドイツ軍のポーランド侵入の際は,3歳上の次兄ハインリヒと国境を越えるが,翌2日,兄は戦死した。戦後,法学生の身分であったが父の弁護団の助手となり,裁判資料を扱ううち,ナチス時代のドイツ側文書に触れてその犯罪を知る。1950年実業界入りし,1964年プロテスタントの教会大会議長となり,1966年キリスト教民主同盟の党員として政界入りした。1981年西ベルリン市長に,1984年5月には大統領に選出された。敗戦40周年にあたる1985年5月8日,ドイツの罪を心に刻むことが和解の前提であると演説して世界の注目を集める。1989年再選され,1990年の東西ドイツ再統合の条約に調印した。1994年退任し,翌年来日して講演している。
→関連項目ワイツゼッカー

ワイツゼッカー

ドイツの物理学者。1945年マックス・プランク研究所員,1957年ハンブルク大学教授。1938年ベーテと独立に恒星のエネルギー源を熱核反応によって説明,1944年ガス状物質が自転している間に渦を生じて惑星をつくったとする太陽系形成理論を発表。弟R.von ワイツゼッカーはドイツ大統領(1984年―1994年)。

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