ドイツの物理学者。ライプツィヒ大学に学び、1933年ハイゼンベルクの下で博士号を取得。原子核の理論的研究に取り組み、1935年荷電粒子どうしの衝突による光子の放出や電子・陽電子対生成などの過程を半古典的に求める近似式を発表(ワイツゼッカー‐ウィリアムス近似)。さらに1938年には原子核の結合エネルギーについての質量公式(ワイツゼッカーの質量公式)を発表するとともに、H・A・ベーテとは独立に、恒星のエネルギー源を恒星内部での原子核反応とする熱核反応論を形成した。1944年惑星系の成因について乱流理論を駆使して星雲説の立場から理論をつくりあげ、ティティウス‐ボーデの法則や角運動量の分布を説明した。第二次世界大戦中は軍の下で原子力エネルギーの利用の研究に取り組んだ。1957年から1967年にかけてハンブルク大学哲学教授を務めるなど、戦後は科学哲学の分野で活躍した。のちにマックス・プランク「科学技術の世界における生活条件」研究所長を務めた。また1957年の旧西ドイツ核武装反対の「ゲッティンゲン宣言」の署名者の一人である。
[小林武信]
『C・F・ヴァイツェッカー著、西川富雄訳『自然の歴史』(1968・法律文化社)』▽『C・F・ヴァイツゼカー著、野田保之・金子晴勇訳『科学の射程』(1969・法政大学出版局)』▽『C・F・ヴァイツゼカー著、斎藤義一・河井徳治訳『自然の統一』(1979・法政大学出版局)』▽『C・F・ヴァイツゼッカー著、遠山義孝訳『心の病としての平和不在――核時代の倫理学』(1982・南雲堂)』▽『C・F・ヴァイツゼカー著、座小田豊訳『時は迫れり――現代世界の危機への提言』(1988・法政大学出版局)』▽『C・F・ワイツゼッカー著、山辺建訳『人間的なるものの庭――歴史人間学論集』(2000・法政大学出版局)』▽『C・F・ワイツゼッカー著、遠山義孝訳『核時代の生存条件――世界平和への構想』(講談社現代新書)』▽『C・F・ワイツゼッカー著、富山小太郎・粟田賢三訳『原子力と原子時代』(岩波新書)』▽『広瀬隆著『恐怖の放射性廃棄物――プルトニウム時代の終り』(集英社文庫)』
ドイツの政治家。ベルリンの高等学校卒業後、イギリス・オックスフォード大学、フランス・グルノーブル大学に学んだが、第二次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)で徴兵され、将校として参戦した。戦後ゲッティンゲン大学に学び1954年卒業。銀行、製薬会社に勤める一方、キリスト教民主同盟(CDU)に入党、若き日のコール連邦議員(のちの首相)と知り合い、その推薦で1969年以降連邦議員となる。1981~1984年西ベルリン市長として、26年続いていた社会民主党市政を保守路線に転換させて注目された。1984年第6代大統領に選ばれ、翌1985年敗戦40周年記念日にナチス・ドイツの蛮行を深く反省する演説を行い、内外に感銘を与えた。1989年大統領再選、同年秋に始まった東欧圏の崩壊とベルリンの壁撤去、翌1990年のドイツ統一には、ヨーロッパと東ドイツ国民への配慮から、慎重な姿勢をとりコール首相とは対照的だった。1990年統一ドイツの大統領に推され、1994年任期終了とともに辞任した。父エルンストはナチ時代の外交官、兄カールは高名な核物理学者である。
[藤村瞬一]
『『荒れ野の40年――ヴァイツゼッカー大統領演説全文』(『岩波ブックレット54』1986・岩波書店)』▽『マルティン・ヴァイン著、鈴木直ほか訳『ヴァイツゼッカー家』(1993・平凡社)』
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