ワイラー(読み)わいらー(英語表記)William Wyler

デジタル大辞泉 「ワイラー」の意味・読み・例文・類語

ワイラー(William Wyler)

[1902~1981]米国の映画監督フランス生まれ。作「嵐が丘」「ローマの休日」「ベン=ハー」など。

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精選版 日本国語大辞典 「ワイラー」の意味・読み・例文・類語

ワイラー

  1. ( William Wyler ウィリアム━ ) アメリカの映画監督。フランス生まれ。文芸物、歴史物などを幅広く制作。作品「嵐が丘」「ローマの休日」「ベン=ハー」など。(一九〇二‐八一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワイラー」の意味・わかりやすい解説

ワイラー
わいらー
William Wyler
(1902―1981)

アメリカの映画監督。フランスのミュルーズ(当時ドイツ領)に生まれ、ローザンヌとパリで教育を受ける。20歳で渡米して映画界に入り、1925年監督となる。二巻ものの西部劇を多く撮ったあと長編に移り、まもなく頭角を現す。『孔雀(くじゃく)夫人』(1936)、『嵐(あらし)が丘』(1939)、『偽りの花園』(1941)といった小説や舞台劇の映画化にみごとな成果をあげ、家庭ドラマを基調にそれぞれ戦意高揚、帰還兵の社会復帰を描いた『ミニヴァー夫人』(1942)、『我等(われら)の生涯の最良の年』(1946)では、アカデミー作品賞・監督賞を受賞。これらの多くで名撮影家グレッグ・トーランドGregg Toland(1904―1948)を起用、その奥行の深い明晰(めいせき)な画面を利用して、密度の高い空間処理を特徴とする、ショット内演出の新しい映画美学を打ち立てた。その後もロマンチック・コメディ『ローマの休日』(1953)、西部劇『大いなる西部』(1958)、歴史もの『ベン・ハー』(1959。アカデミー作品賞・監督賞受賞)、スリラーコレクター』(1965)、ミュージカルファニー・ガール』(1968)など多彩なジャンルに非凡な力量を示したが、『探偵物語』(1951)、『必死の逃亡者』(1955)、『噂(うわさ)の二人』(1961)といった舞台的場面設定の演出にもっとも表現力に富んだ面をみせた。

[宮本高晴]

資料 監督作品一覧

稲妻の男 Lazy Lightning(1926)
戦友のために The Stolen Ranch(1926)
新時代 Blazing Days(1927)
君を尋ねて三千里 Anybody Here Seen Kelly?(1928)
仮の塒(ねぐら)(熱血阿修羅王) The Shakedown(1929)
恋のからくり The Love Trap(1929)
砂漠の生霊 Hell's Heroes(1929)
嵐 The Storm(1930)
北海の漁火 A House Divided(1931)
鉄血士官校 Tom Brown of Culver(1932)
やりくり宝船 Her First Mate(1932)
巨人登場 Counsellor at Law(1933)
白蛾(はくが) Glamour(1934)
お人好しの仙女 The Good Fairy(1935)
この三人 These Three(1936)
孔雀夫人 Dodsworth(1936)
大自然の凱歌(がいか) Come and Get It(1936)
デッドエンド Dead End(1937)
黒蘭の女 Jezebel(1938)
嵐ヶ丘 Wuthering Heights(1939)
西部の男 The Westerner(1940)
月光の女 The Letter(1940)
偽りの花園 The Little Foxes(1941)
ミニヴァー夫人 Mrs. Miniver(1942)
メンフィス・ベル The Memphis Belle : A Story of a Flying Fortress(1944)
我等の生涯の最良の年 The Best Years of Our Lives(1946)
女相続人 The Heiress(1949)
探偵物語 Detective Story(1951)
黄昏 Carrie(1951)
ローマの休日 Roman Holiday(1953)
必死の逃亡者 The Desperate Hours(1955)
友情ある説得 Friendly Persuasion(1956)
大いなる西部 The Big Country(1958)
ベン・ハー Ben-Hur(1959)
噂の二人 The Children's Hour(1961)
コレクター The Collector(1965)
おしゃれ泥棒 How to Steal a Million(1966)
ファニー・ガール Funny Girl(1968)
L・B・ジョーンズの解放 The Liberation of L. B. Jones(1969)

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改訂新版 世界大百科事典 「ワイラー」の意味・わかりやすい解説

ワイラー
William Wyler
生没年:1902-81

アメリカの映画監督。西部劇から文芸映画まで,あらゆるジャンルをこなす典型的なハリウッドの職人監督でありながら,〈巨匠〉あるいは〈芸術派〉とよばれた稀有(けう)な存在である。当時はドイツ領であったフランスのアルザスの生れ。パリで母の遠縁に当たるハリウッドの大立物(ユニバーサルの設立者)カール・レムリに会い,ユニバーサルの宣伝部をへて,1925年に23歳で監督となり,40本あまりの〈2巻もの〉の西部劇をつくった。

 36年,サミュエル・ゴールドウィンと契約し,女流劇作家リリアン・ヘルマンの処女作《子供の時間》の映画化《この三人》(1936。なお,この作品は1961年にも再度映画化され,日本では《噂の二人》の題で封切られた)をはじめとして,シンクレア・ルイスのベストセラー小説の映画化《孔雀夫人》(1936),シドニー・キングズリーのヒット舞台劇の映画化《デッド・エンド》(1937),エミリー・ブロンテの小説の映画化《嵐が丘》(1939),サマセット・モームの小説(《手紙》)の映画化《月光の女》(1940),さらにリリアン・ヘルマンの舞台劇(《小狐たち》)の映画化《偽りの花園》(1941)等々の文芸映画や,西部劇の秀作《西部の男》(1940)など,多彩な分野で数多くの話題作をつくった。〈完全主義者〉とよばれたワイラーの〈スタイル〉の形成にもっとも力のあったのは《この三人》以来多くの作品で協力したカメラマン,グレッグ・トーランドGregg Toland(1909-48。オーソン・ウェルズの《市民ケーン》のカメラマンとしても知られる)であるといわれる。ワイラーが好んだ焦点深度の深い〈パン・フォーカス〉(英語ではdeep focus)撮影は,必然的にカメラの長回しが前提となり,俳優の持続的な演技力が要求されるので,〈ナインティ・テーク・ワイラー〉(90回も撮り直すワイラー)などとよばれて,主役のスターとの間にしばしば物議をかもした。しかし,ワイラーがアカデミー監督賞を受賞した《ミニヴァー夫人》(1942),《我等の生涯の最良の年》(1946),《ベン・ハー》(1959)では,主演俳優(グリア・ガースン,フレドリック・マーチ,チャールトン・ヘストン)がいずれもオスカーを受賞している。

 ワイラーはそのほか,《探偵物語》(1951),《必死の逃亡者》(1955)などのサスペンス・ドラマ,シオドア・ドライサーの小説(《キャリー》)の映画化《黄昏》(1952),オードリー・ヘプバーンを一躍大スターにしたロマンチック・コメディ《ローマの休日》(1953),大型西部劇《大いなる西部》(1958),異常心理をテーマにした異色の青春映画《コレクター》(1964),ミュージカル《ファニー・ガール》(1968)等々,数々の話題作を発表したが,この〈巨匠中の巨匠〉も60年代に入ると作品的に衰えを見せ,黒人問題をあつかった《L.B.ジョーンズの解放》(1970)が最後の作品になった。3度のアカデミー監督賞のほかに,特別功労賞としてアービング・タルバーグ賞(1965)とAFI(アメリカ映画協会)の功労賞(1976)を受賞している。
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百科事典マイペディア 「ワイラー」の意味・わかりやすい解説

ワイラー

米国の映画監督。フランスのアルザス生れ。西部劇から文芸映画まで多様なジャンルを職人的にこなす技術と芸術性を両立させ,アカデミー賞を3度受賞した。S.ルイス原作の《孔雀夫人》(1936年),L.ヘルマンの舞台劇の映画化《偽りの花園》(1941年),《我等の生涯の最良の年》(1946年),サスペンス・ドラマ《必死の逃亡者》(1955年),A.ヘプバーンをスターにした《ローマの休日》(1953年),大型西部劇《大いなる西部》(1958年),《ベン・ハー》(1959年),異常心理をテーマにした《コレクター》(1964年)などの作品がある。
→関連項目シャーウッドパーカーヘストンペック

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ワイラー」の意味・わかりやすい解説

ワイラー
Wyler, William

[生]1902.7.1. フランス,ミュルーズ
[没]1981.7.27. アメリカ合衆国,カリフォルニア,ビバリーヒルズ
アメリカ合衆国の映画監督。フランスに生まれ,1928年アメリカに帰化。アカデミー賞監督賞,作品賞をいずれも 3回受賞した。『砂漠の生霊』Hell's Heroes(1930),『北海の漁火』A House Divided(1931)で監督の地位を確立。以後舞台劇の映画化に優れた才能を示し,『お人好しの仙女』The Good Fairy(1935),『この3人』These Three(1936),『孔雀夫人』Dodsworth(1936),『偽りの花園』The little foxes(1941)などの秀作を発表,第2次世界大戦後は『我等の生涯の最良の年』The Best Years of Our Lives(1946,アカデミー賞作品賞,監督賞)が代表作。ほかの作品に『ミニヴァー夫人』Mrs. Miniver(1942,アカデミー賞作品賞,監督賞),『探偵物語』Detective story(1951),『ローマの休日』Roman Holiday(1953),『友情ある説得』Friendly persuasion(1956),『大いなる西部』The Big Country(1958),『ベン・ハー』Ben Hur(1959,アカデミー賞作品賞,監督賞)。

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世界大百科事典(旧版)内のワイラーの言及

【オーバーエスターライヒ[州]】より

…ザルツカンマーグートの名が示すごとく,ここには塩山で有名なハルシュタットHallstattがあり,今でも岩塩が採掘されている。 州住民の大半は,ドナウ川の両岸にひろがる台地の畑作酪農業に従事しているが,高原地方はワイラーWeilerとよばれる散居制の小村落が主であり,ドナウ沿岸平野地域の集村と対照的な定住様式を形づくっている。大家族で父権が強く,散居制のところでは集村のような共同体秩序が弱いために,村人の紐帯は教会と学校によって代替されることになる。…

【集落】より

…(1)農場または家屋敷farmstead,homestead マイツェンの孤立荘宅に当たる。(2)小村hamlet ドイツのワイラーWeilerまたはドルッベルDrubbelに相当し,村落villageよりも小規模で,多くは6~8戸よりなり,小規模のため教区を形成しないもので,教会や学校は通常もたない。(3)クラッヘンclachan 20戸までの小農民からなる不規則な平面形をもった集落で,大きいものは村落と変わらないものもある。…

【村】より

… ところで,中世における各種の文書史料ならびに17,18世紀に作製された残存の耕地図などにより,ヨーロッパの集落形態を考えてみると,それには大きく分けて次の三つのタイプが,中世以来存在していたことがわかる。すなわちその一つは,ほぼ30戸前後の農民家屋敷がおのおの自家の菜園地を伴いながら,〈むら〉の中心部に核をなして密集し,その周囲を垣根や柵で取り囲み,その外側にいくつかの共同耕区がひろがり,さらにその外側に森林,牧草地,荒蕪地などの入会地をもつという,三圃農法に最も適合的な〈集村Haufendorf〉であり,第2は10戸前後のルーズなまとまりで,共同の入会地や耕区もあるが,各戸別の耕地も不規則に散在する〈小村〉,すなわちゲルマン地域で〈ワイラーWeiler〉,イギリスで〈ハムレットhamlet〉などと呼ばれる形態であり,第3のタイプは,家屋敷の周囲に各戸の菜園地やブロック状の大小さまざまな耕地,あるいは牧草地などをもち,一戸一戸が分散して,団体規制のきわめてゆるい〈散村Einzeldorf〉である。このほか,干拓や開墾により計画的に道路に沿って規則正しく各戸の家屋敷,菜園地,耕地,牧草地などをもつ〈街村Strassendorf〉,あるいはスラブ系諸族の地域にみられる〈円村Rundling,Runddorf〉などのタイプがあるが,西ヨーロッパの主要な集落形態は,上述の三つと考えてよい。…

【ローマの休日】より

…1953年製作のアメリカ映画。ウィリアム・ワイラーWilliam Wyler(1902‐81)監督作品。ヨーロッパを親善旅行中の某国の若い王女(オードリー・ヘプバーン)とアメリカの新聞記者(グレゴリー・ペック)とのラブ・ロマンスを,ローマの美しい観光名所を背景に,軽快にほほえましく描くロマンティック・コメディで,オリジナルストーリーは,〈赤狩り〉のブラックリストに載せられていたドルトン・トランボDalton Trumbo(1905‐76)が,イアン・マクレラン・ハンターの仮名で書いたものである。…

【偽りの花園】より

…アメリカ映画。ウィリアム・ワイラー監督。1941年製作。…

【ゴールドウィン】より

…映画製作における脚本の重要性を強調し,ロバート・シャーウッド,リリアン・ヘルマンといった有能な作家や脚本家の起用を心がけたことも注目される。ウィリアム・ワイラー監督と組んだ時代(1936‐48)が彼のキャリアの絶頂期とされ,《孔雀夫人》(1936),《嵐が丘》(1939),《偽りの花園》(1941),《我等の生涯の最良の年》(1946)等々の名作を生み出している。アメリカ市民権を得る必要からアメリカ史を読むために,英語を〈自前で〉学んだというゴールドウィンの文法的まちがいや誤用だらけの名言名句や映画的アイデアは,〈ゴールドウィニズム〉と呼ばれ,いまなおハリウッドではひと口話やエピソードの形で伝えられており,〈学はないが真の映画的教養を備えた優れた映画人〉として評価されている。…

【ドキュメンタリー映画】より

…のちこの組織は戦時情報局に吸収されているが,ジョン・スタインベックの脚本によるハーバート・クライン《忘れられた村》(1941)が自主製作されたことも注目される。戦争中は,フランク・キャプラ製作・監修の《われらはなぜ戦うか》シリーズ(1942‐45)を中心に,ジョン・フォードの《ミッドウェーの戦い》(1942)をはじめ,ウィリアム・ワイラー,ジョン・ヒューストン,アナトール・リトバク(1902‐74)等々,ハリウッドの監督による戦争ドキュメンタリーがつくられた。 イギリスでは,情報省の支配下で,ハリー・ワットの《今夜の目標》(1941),ロイ・ボールティングの《砂漠の勝利》(1943),キャロル・リードとガースン・ケニン編集による英米合作の《真の栄光》(1945)などがつくられた。…

【ローマの休日】より

…1953年製作のアメリカ映画。ウィリアム・ワイラーWilliam Wyler(1902‐81)監督作品。ヨーロッパを親善旅行中の某国の若い王女(オードリー・ヘプバーン)とアメリカの新聞記者(グレゴリー・ペック)とのラブ・ロマンスを,ローマの美しい観光名所を背景に,軽快にほほえましく描くロマンティック・コメディで,オリジナルストーリーは,〈赤狩り〉のブラックリストに載せられていたドルトン・トランボDalton Trumbo(1905‐76)が,イアン・マクレラン・ハンターの仮名で書いたものである。…

【我等の生涯の最良の年】より

…1946年製作のアメリカ映画。第2次世界大戦中に空軍将校として,ドイツ爆撃に関する2本の長編記録映画《メンフィス・ベル》《サンダーボルト》を製作・監督したウィリアム・ワイラーの戦後第1作。1944年8月の《タイム》に載った帰還水兵たちの記事を読んで,〈復員〉をテーマにした映画の企画を思いたったサミュエル・ゴールドウィンの依頼をうけ,小説家マッキンリー・キャンターが書いた434ページの無韻詩《グローリー・フォー・ミー》(1945)を,ピュリッツァー賞受賞の劇作家で《若き日のリンカーン》(1940),《レベッカ》(1940)などの脚本家でもあるロバート・E.シャーウッドが脚色した。…

※「ワイラー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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