アメリカの劇作家。ニューヨーク生まれ。ハーバード大学在学中に第一次世界大戦が起こったため中退。カルタゴの将軍ハンニバルのローマ進撃を扱った喜劇『ローマへの道』(1927)でデビューしたあと、第二次世界大戦勃発(ぼっぱつ)をめぐるさまざまな人間の反応を描いた『愚者の喜び』(1936)などの作品を通じて戦争批判の姿勢を示した。そのほか、激動する社会状況のもとで挫折(ざせつ)する人間をメロドラマ風に描いた『化石の森』(1935)、ロシアのフィンランド侵略と自由主義思想の関係を扱った『夜はもうこない』(1940)、青春時代のリンカーンを描いた『イリノイ州時代のリンカーン』(1938)を発表。ほかに伝記『ルーズベルトとホプキンズ』(1948)、アカデミー脚本賞を受けたW・ワイラー監督の映画『我等(われら)の生涯の最良の年』(1946)のシナリオがある。ピュリッツァー賞を四度受賞している。
[有賀文康]
『村上光彦訳『ルーズヴェルトとホプキンズ』全2巻(1957・みすず書房)』
アメリカの劇作家。風刺的な喜劇から出発してしだいに深刻な内容の劇に転じた。体制に順応しない人物の運命を描いた《化石の森》(1935年初演,1936年A. メーヨー監督で映画化),西洋文明の破滅をとらえた《白痴の喜び》(1936年初演,1939年C. ブラウン監督で映画化),青年時代のA.リンカンを主人公にした《イリノイのエーブ・リンカン》(1938年初演,1939年J. フォード監督で映画化《若き日のリンカーン》)などを発表。第2次大戦中はF.D.ローズベルト大統領の演説の起草者ともなった。その後の劇作品には見るべきものはないが,ヒッチコック監督《レベッカ》(1940)やW.ワイラー監督の代表作となった《我等の生涯の最良の年》(1946)などの映画脚本で活躍し,後者ではアカデミー脚本賞を受賞した。
執筆者:喜志 哲雄
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…ロナルド・コールマン,デビッド・ニーブン,ダニー・ケイを育てたスターづくりの名人で,ミュージカル(映画およびレビュー)のための〈ゴールドウィン・ガールズ〉もかかえていた。映画製作における脚本の重要性を強調し,ロバート・シャーウッド,リリアン・ヘルマンといった有能な作家や脚本家の起用を心がけたことも注目される。ウィリアム・ワイラー監督と組んだ時代(1936‐48)が彼のキャリアの絶頂期とされ,《孔雀夫人》(1936),《嵐が丘》(1939),《偽りの花園》(1941),《我等の生涯の最良の年》(1946)等々の名作を生み出している。…
…第2次世界大戦中に空軍将校として,ドイツ爆撃に関する2本の長編記録映画《メンフィス・ベル》《サンダーボルト》を製作・監督したウィリアム・ワイラーの戦後第1作。1944年8月の《タイム》に載った帰還水兵たちの記事を読んで,〈復員〉をテーマにした映画の企画を思いたったサミュエル・ゴールドウィンの依頼をうけ,小説家マッキンリー・キャンターが書いた434ページの無韻詩《グローリー・フォー・ミー》(1945)を,ピュリッツァー賞受賞の劇作家で《若き日のリンカーン》(1940),《レベッカ》(1940)などの脚本家でもあるロバート・E.シャーウッドが脚色した。3人の復員軍人――若い空軍将校,もと銀行員の陸軍軍曹,両手を失った水兵――の三者三様の人生と社会復帰,いわばアメリカの切実な〈戦後〉を描いたこの映画は,月並みなハッピー・エンドに見られる〈解決〉の甘さも指摘されたが,その一方では,ワイラーの〈1シーン,1シークエンス〉に徹した映画的リアリズムが高く評価され,作品賞,監督賞をはじめ九つのアカデミー賞を受賞して興行的にも成功した。…
※「シャーウッド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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