第二次世界大戦後のイタリアを代表する作曲家。ベネチア生まれ。とくに共産党の政治思想と現代音楽の接点にたったことで有名である。パドバ大学で法律を学ぶかたわらベネチア音楽院でマリピエロに師事、のちにマデルナとシェルヘンにつく。1950年ドイツのダルムシュタットで『シェーンベルクの作品41のセリーによる変奏曲』が初演されて以来、戦後前衛音楽の代表的作曲家として知られるようになった。同世代のブーレーズと同じくポスト・ウェーベルン的セリー技法を用いた作品が多いが、歌詞の処理にイタリアの叙情が感じられる。代表作に、独唱と合唱と管弦楽のための『中断された歌』(1955~56)、オペラ『イントレランツァ』(1960~61)、ソプラノとピアノと管弦楽のための『力と光の波のように』(1971)、弦楽四重奏曲『断章‐静寂、ディオティマヘ』(1979)、ギリシア神話のプロメテウスの物語をモチーフにした『プロメテオ』(1983)、ロシアの映画監督タルコフスキーに捧げられた『進むべき道はない、だが進まなくてはならない』(1987)、ギターと合奏のための『ステファンのための墓石』(1989)などがある。
[細川周平]
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イタリアの作曲家。ベネチアの音楽院でマリピエロに師事し,第2次大戦後,B.マデルナに学ぶ。1950年代にはダルムシュタットの国際現代音楽夏期講習,ミラノの電子音楽スタジオに参加。また共産党員として政治的情熱を音楽の創作活動に注ぐ。50年の管弦楽曲《カノン風変奏曲》でシェーンベルクの十二音技法を採用したが,24楽器のための《遭遇》(1955)で後期ウェーベルンの点描音楽,バイオリンと管弦楽のための《変奏》(1957)で全面セリーと技法を推進するうちに,12音の均質な表現に変わっていった。一方,ガルシア・ロルカの詩による合唱曲《墓碑銘》(1953),反ナチ死刑囚の手紙による合唱曲《中断された歌》(1956),ミクスト・メディアによる《輝ける建物》(1964),舞台音楽《愛に満ちた大きな太陽に》(1975)などで強いヒューマニズムの表現を行っている。
執筆者:小場瀬 純子
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…その先例としてM.バビットの《四つの楽器のためのコンポジション》(1948)があるが,決定的影響力はブーレーズの作品にあった。 ミュジック・セリエルの技法による作品としては,これをより自由に用いたブーレーズの《ル・マルトー・サン・メートル》(1954)があるが,最も厳格に,しかも多彩なくふうをこらして作曲したのはノーノLuigi Nono(1924‐90)で,彼の《イル・カント・ソスペーソ》(1956)はその代表作である。しかし,ミュジック・セリエルの技法は,音のすべての面をセリー化するという点で,音楽の自由な運動性,表現性に適さず,50年代終りにはその力を失った。…
※「ノーノ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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