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アポロ計画 アポロけいかく Apollo program

6件 の用語解説(アポロ計画の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アポロ計画
アポロけいかく
Apollo program

人間を月に送り月の研究をするために立てられたアメリカの宇宙計画。 1960年7月,アメリカ航空宇宙局 (NASA) が初めて構想を明らかにしたが,事実上の第一歩を踏出したのは,61年ケネディ大統領が「60年代の終りまでに月着陸を実現させたい」と議会で演説してからである。

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デジタル大辞泉の解説

アポロ‐けいかく〔‐ケイクワク〕【アポロ計画】

NASA(米国航空宇宙局)の有人月飛行計画。1962年5月に始まり、1969年7月20日にアポロ11号が「静かの海」への軟着陸に成功。1972年の17号終了までに計12人が月面へ軟着陸した。

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百科事典マイペディアの解説

アポロ計画【アポロけいかく】

宇宙飛行士を月面に着陸させ,無事に地球に帰還させることを目的とした米国の宇宙計画。1961年5月にケネディ大統領が1969年末までに成功させることを宣言したのが始まりで,以後米国の威信をかけた国家的事業としてNASA(ナサ)が主体となり推進。
→関連項目アポロ宇宙船アームストロング月面車ケープ・カナベラルブラウンレンジャー計画ロックウェル・オートメーション[会社]

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世界大百科事典 第2版の解説

アポロけいかく【アポロ計画】

アメリカのNASA(ナサ)によって行われた有人月探査計画。3人乗りアポロApollo宇宙船を月周回軌道に乗せ,2人が月面に着陸して月探査を行い,作業終了後月を周回している司令船に戻り,この司令船で地球へ帰るというものである。この計画は人工衛星の打上げでソ連に遅れをとったアメリカの威信をかけたものでもあったが,月旅行という人類の夢を実現するとともに総計384kgの月の岩石および土壌をもち帰り,月の構造の解明や月の年齢の決定など人類の月に対する知識の向上に大きく貢献した。

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大辞林 第三版の解説

アポロけいかく【アポロ計画】

ナサ(NASA)が中心となって進めた月探査計画。1969年7月20日アポロ11号で人類最初の有人月面着陸ならびに探査に成功した。72年のアポロ17号で終了。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アポロ計画
あぽろけいかく
Apollo project

1960年代当時、月面に10年以内に人間を着陸させ、地球に安全に戻すという目標のもとにたてられたアメリカの一連の有人宇宙飛行計画の、最終段階のものをいう。すなわち、1人乗りマーキュリ計画(1958~1963)、2人乗りジェミニ計画(1961~1966)に続くのがアポロ計画で、1960年から始まり、1972年に終了した。これらの計画は、NASA(ナサ)(アメリカ航空宇宙局)を中心に進められた。またこれらの計画に投資された資金は、マーキュリ計画が3億9260万ドル、ジェミニ計画が12億8340万ドル、アポロ計画だけで250億ドルとNASAは発表している。ちなみに、アポロ計画以後のスカイラブ計画(1973)が26億ドル、米ソ共同のアポロ・ソユーズ(ドッキング)テスト計画(ASTP、1975)が2億5000万ドル、1972年からのポスト・アポロ計画といわれたスペースシャトル計画が、当初オービタ2機の製作と4回のテスト飛行終了(1982年7月)までで約100億ドルといわれ、この点でもアポロ計画がいかに巨大なプロジェクトであったかがわかる。[久保園晃]

アポロ計画に至る背景・経緯

1957年、ソ連がスプートニク1号、続いて2号(イヌが搭乗)を打ち上げたころ、アメリカは宇宙開発分野で大きな遅れをとっており、1958年にようやくエクスプローラ1号を打ち上げた。1961年、ソ連は史上初の有人宇宙船ウォストーク(ボストーク)1号(ガガーリンが搭乗、地球を1周して生還)で世界初の有人軌道飛行に成功し、アメリカの遅れは決定的になった。
 この遅れを回復し、アメリカの国威発揚と技術力の優位の確立のために、「1960年代の終わりまでに、月面に人間を着陸させ、安全に地球に戻すこと」を1961年5月に国家最優先計画としたのは、同年に大統領に就任したばかりのケネディであった。
 アポロ計画は政治的な決断として、目標(目的とスケジュール)が定められてスタートした。そしてスケジュール確保が最優先され、予算は無制限に近く潤沢に認められていった。ケネディ暗殺(1963)後、大統領ジョンソンもこの計画を推進し、1969年大統領に就任したニクソンも計画を中止することはなかった。当初の目標は、1969年7月20日のアポロ11号による人類初の月面着陸によって達成された。それはケネディの公約より5か月早く、これ自体はやはり称賛されるべきことであろう。
 アポロ計画は太陽系へ向けての人類発展の第一歩と考えられるが、けっして長期計画的な宇宙探査計画の一部ではなかった。ロケットの開発とアポロ計画全体の推進者の一人であるフォン・ブラウンは火星探査宇宙飛行計画構想をもっていた。もし当時の大統領が彼の構想を聞き、大英断でもって長期宇宙探査計画を立案し、そのなかの一つとしてアポロ計画をスタートさせていたならば、ポスト・アポロ時代は別の進み方をしていたであろう。
 アポロ計画は、米ソの冷戦のさなか、アメリカの国力が頂点にあるとき、ケネディの政治的決断でスタートし、その結果、人類は月面に降り立った。ニクソンはアポロ計画の後半をカットし、計画は1972年12月のアポロ17号による6回目の月着陸をもって中止された。アメリカ国民の期待からすれば月面には予想したほどの実用面からの成果がなく、かつ、一方にベトナム戦争出費による経済不安が募り、それらを理由とした反宇宙派の巻き返しという社会・政治状勢のためであった。
 アポロ計画はアメリカの威信をかけた巨大プロジェクトであったと同時に、人類史上の一つの時代を象徴するものであった。[久保園晃]

アポロ計画の実施


アポロ計画前史
1958年、アメリカ航空宇宙法が成立し、NASAが発足、まずマーキュリ計画が発表された。また大推力のロケットも技術的に実現可能との結果が出され、サターン型の製作方針が決まった。1959年には第一次宇宙飛行士7人が選抜され、1960年にはNASAがアポロ計画を発表、この時点では3人の飛行士を乗せて地球を周回するのが目標とされた。
 1961年5月5日、マーキュリ計画の3号としてアメリカ初の有人弾道飛行(約15分間、搭乗者はシェパードAlen B. Shepard、1923―1998)が成功。その直後のケネディ声明により、月面有人探査という国家目標が決定され、またフロリダ州のケープ・カナベラルがアポロ宇宙船打上げ基地に選定された。1962年1月、NASAは世界最大のロケットである3段式の「サターン型」の開発計画を発表した。それは全長約111メートル、発射時全備重量約3000トンという巨大なもので、ボーイング社(第1段)、ノース・アメリカン・ロックウェル社(第2段)、ダグラス社(第3段)、IBM社(計測部)が契約社となった。またマサチューセッツ工科大学のドレーパー研究所がアポロ宇宙船の誘導航法システムの開発機関に選ばれ、ノース・アメリカン・ロックウェル社が宇宙船の中の司令船と機械船の、グラマン航空技術会社が月着陸船の契約社に選ばれた。
 1962年2月20日、初の地球3周飛行をグレンJohn H. Glenn(1921―2016)が、フレンドシップ7号宇宙船で成功させ、続いて1963年5月15~16日には、クーパーL. Gordon Cooper(1927―2004)がフェイス7号宇宙船で、22周の地球周回記録をつくった。これによって2回の弾道飛行と4回の地球周回飛行を含む1人乗りマーキュリ計画を終了した。1964年からの2人乗りジェミニ計画は計10回の有人宇宙飛行で、宇宙船外活動、ランデブー飛行、ドッキングなどの諸技術を実験、開発し、1966年のジェミニ12号で終了した。
 なお1998年2月13日大統領クリントンは、1962年にフレンドシップ7号に乗船した現職の上院議員のグレンを1998年10月末打上げ予定のスペースシャトルに搭乗させると発表し、予定どおり10月29日から9日間、日本の向井千秋飛行士らとともに、グレンは史上最高齢(77歳)の宇宙飛行士としてスペースシャトルで宇宙飛行を行った。彼には36年ぶりの宇宙飛行となったが、無重量下での免疫、筋力や睡眠の低下など、宇宙環境での老化の研究を行った。[久保園晃]
アポロ計画
1967年は宇宙開発を急ぐアメリカ、ソ連にとって悪い年であった。1月27日、地上試験中のアポロ宇宙船内で火災が発生、グリソムVirgil Ivan Grissom(1926―1967)、ホワイトEdward Higgins White(1930―1967)、チャフィーRoger Bruce Chaffee(1935―1967)の3人がアメリカ初の宇宙開発の犠牲者となった。NASAは1500人による2か月半の精力的な調査から、100%酸素を満たした宇宙船内で電線がスパーク、瞬時に引火したためと発表、以後、システムの是正処置、スケジュール変更などの多くの突貫作業を行った。一方、ソ連は4月22日、ソユーズ1号を打ち上げ、1日間飛行後の再突入に失敗、コマロフВ.М.Комаров/V. M. Komarov(1927―1967)が史上初の宇宙での犠牲者となった。
 しかし同じ1967年11月、NASAは無人のアポロ4号を3段式のサターン型ロケットで打ち上げ、初飛行テストを行った。このテストでサターン型の統合性、各段ロケットの性能、大気圏突入時のアポロ宇宙船の機能、耐熱性、ケネディ宇宙センターの地上システムの機能などが実証、確認された。
 1968年1月、無人のアポロ5号が打ち上げられ、月着陸船のシステムと構造上の性能が確認され、4月のアポロ6号では再度、ロケットと宇宙船の性能、機能を試験した。10月、初の3人乗り有人宇宙船アポロ7号が打ち上げられ、11日間飛行したのち、正確な大気圏再突入に成功、エンジン再着火テストや初のテレビ生放送にも成功した。ボーマンFrank Borman(1928― )ら3人が搭乗した12月打上げのアポロ8号は人類初の月周回軌道飛行(10周)を行い、147時間の宇宙旅行ののち、帰還した。
 1969年3月、アポロ9号は宇宙船によるランデブー、ドッキング、月着陸船の初飛行その他の実験を実施、続く5月のアポロ10号は第2回の有人月周回飛行を行い、月表面から14.5キロメートルまで降下して月着陸のリハーサルを行った。以上のような積み重ねのうえに、ついにケネディの公約を果たすときがきた。7月16日、船長N・A・アームストロング、オルドリンEdwin E. Aldrin(1930― )、コリンズMichael Collins(1930― )が搭乗した3人乗りアポロ11号は予定どおり打ち上げられた。同月20日母船から切り離された月着陸船イーグル(アームストロング、オルドリンが搭乗)は、月面の「静かの海」の着陸予定点の南7.4キロメートルに着陸、船長のアームストロングは22時56分20秒(アメリカ東部標準時間)に左足から月面に降り立ち、「この一歩は小さいが、人類にとっては偉大な飛躍となろう」と地球に名言を送った。続いて降りたオルドリンとともに、2人は着陸船の脚部に取り付けられた銘板のカバーを外した。それには「惑星の地球からの人間、ここに月への第一歩をしるす。1969年7月、われらは全人類を代表し、平和のうちにここにきた」と刻まれていた。月面滞在2時間半あまりの間に、各種科学観測装置の設置、月岩石の採集などを行ったのち、月周回中のコリンズの待つ司令船に戻り、ふたたび地球への旅を続け、24日、3名とも無事帰還した。
 これ以降、1972年12月のアポロ17号までアポロ計画は続けられ、13号を除いて、いずれも月面での地質調査や試料の採集など、探査を行った。15号では、初めて月面移動車を使用した。1970年4月11日に打ち上げられた13号は、打上げ2日後、機械船内の酸素タンクの破裂という事故にあった。月面着陸が不可能になったのはもちろん、3人の飛行士の生命も危ぶまれた。彼らはテキサス州ヒューストンのミッション・コントロール・センターの飛行管制官と冷静、沈着に連絡処置を行った結果、緊急対策として月着陸船に移動して飛行を続け、着陸船の下降用エンジンを用いて飛行経路の修正を行い、月まで到達したうえで、月の引力を利用して地球への軌道に入り、全世界の人々の注目のなか、4月17日太平洋上に無事帰還した。こうした大事故に際しても生還させうる技術力および組織力を発揮したNASAの危機管理能力は特筆に値する。[久保園晃]

アポロ計画の成果

アポロ計画の功罪は、その開発当初からさまざまにいわれ続けているが、ここでは、その成果を中心にとりあげる。
 まず第一に、現代社会に生活するわれわれに対し、月面から写した最初の「地球」の写真は、単に地球の姿を示してくれただけでなく、地球が果てしない宇宙の静けさのなかに浮かぶ小さな緑と青のひよわい惑星でありながら、生きた存在であることを示したことである。すなわち、われわれの地球は人類が大事に守らなければならないもの、人間の生命、存在のたいせつさをいまさらのように如実に物語っていた。このことは、1980年代から始まった地球環境保護活動へのスタートとなったのである。
 第二は、システム・エンジニアリング・マネジメントsystems engineering managementまたはプロジェクト・マネジメントproject managementとよばれるプロジェクト事業の管理手法が集大成されたことであり、宇宙開発はもとより、他のあらゆる分野でのこの手法の活用を可能にし、大きな成果をあげている。一般にプロジェクトは、(1)目標・使命があること、(2)スケジュールが与えられること、(3)利用できる資源(人数、予算、施設など)に制約があること、(4)技術的不確定要素があること、(5)システム・インテグレーションsystems integration(システム統合)を伴うこと、という五つの特徴をもつ。このようなプロジェクトを達成するためには、段階的プロジェクト・プランニング(phased project planning、略称PPP。あるシステムを概念設計段階、仕様決定段階、基本設計段階、開発・製作・試験段階、運用段階の五段階ごとに審査・確認を行って次段階に進める手法)が、結果的には時間的にも経費的にも少なくてすむという貴重な経験から大成されたシステム開発管理法であり、宇宙開発のみならず人間社会のほとんどの大きなプロジェクトに利用され効果をあげている。
 第三は、アポロ計画でロケットや宇宙船などの宇宙機器として開発された器械類や、宇宙飛行士の健康管理に用いられた自動計測装置やテレメータ装置などの、医療をはじめとする可能な分野への応用、波及である。むろんこれは、宇宙開発にはこのようにいろいろな波及効果(スピンオフ)があるから投資をしてやる、という論理をとるものではない。波及効果は、国家的見地から定まる目標をもったある特定の宇宙開発を達成してこそ、おのずから生じ、人類の生活向上や文化の発展に貢献することになると考えるべきであろう。
 NASAはこの偉大なアポロ・サターン型ロケットの業績をたたえ、かつ21世紀への宇宙開発を、より発展させるために、全米各地に散在していたサターン型ロケットやアポロ宇宙船をフロリダ州のケネディ宇宙センター(KSC)に集めて一括展示する「アポロ・サターン・ビジターセンター」を1996年12月にオープンした。[久保園晃]
『岸田純之助著『宇宙開発』(1969・筑摩書房) ▽木村繁著『人類月に立つ』(1969・朝日新聞社) ▽毎日新聞社編『人類が月を歩いた――アポロ11号の全記録』(1969・毎日新聞社) ▽『ウェルナー・フォン・ブラウン博士講演集』(1970・日本放送出版協会) ▽ニール・アームストロング、マイケル・コリンズ、エドウィン・E・オルドリンJr.著、日下実男訳『大いなる一歩――アポロ11号全記録』(1973・早川書房) ▽佐貫亦男著『宇宙への野望』(1978・ダイヤモンド社) ▽R・ハットン著、竹内均訳『宇宙開発』(1981・三笠書房) ▽バズ・オルドリン、マルカム・マコネル著、鈴木健次・古賀林幸訳『地球から来た男――宇宙への挑戦』(1992・角川書店) ▽ヘンリー・クーパー著、立花隆訳『アポロ13号――奇跡の生還』(1994・新潮社) ▽野田昌宏編『ODYSSEY(オデュッセイ) 1967―1972 CD-ROMで体験するアポロ計画の全貌』(1994・アスキー) ▽アンドルー・チェイキン著、亀井よし子訳『人類、月に立つ』上下(1999・日本放送出版協会) ▽中村浩美著『最新 宇宙開発がよくわかる本』(1999・中経出版) ▽ポール・D・スピューディス著、水谷仁訳『月の科学――月探査の歴史とその将来』(2000・シュプリンガー・フェアラーク東京) ▽的川泰宣著『月をめざした二人の科学者――アポロとスプートニクの軌跡』(中公新書) ▽NASAThe Early Years : Mercury to Apollo-Soyuz(1987, Information Summaries, NASA, PM-001-A, Kennedy Space Center, FL.)』

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世界大百科事典内のアポロ計画の言及

【宇宙開発】より

…すでに1959年にソ連のルナ3号は月の裏側の写真を地球に送ってきており,66年にはルナ9号が月面上に軟着陸して初の月の表面の写真を送ってきた。アメリカはアポロ計画の予備観測として,レンジャー,サーベイヤー,ルナオービターの月観測計画を実行した。1961年から始まったレンジャー計画は,探査機が月に衝突するまでの写真をとることを主目的として合計9機が月に送られたが成功率は低く,9号機でようやく衝突までの完全な写真がとれた。…

【巨大科学】より

… 巨大科学という言葉が考案された1960年代前半には,すでにそれに該当するプロジェクトがいくつも存在し,その言葉が普及する社会的条件が整っていた。とくに61年よりアメリカ航空宇宙局(NASA)が始めたアポロ計画(人類の月着陸を究極目標とする計画)は,巨大科学の新たな見本例とされた。巨大科学という言葉が1960年代,ジャーナリズムに乗って流行語となった背景として,アポロ計画の存在を無視することはできない。…

【月】より

…この地質年代も,さらに詳しい地形の重なり合いから,もっと細かく分けることもできる。【古在 由秀】
[月の岩石]
 アポロ計画によって月の表面の6ヵ所から月の岩石や表土が地球にもち帰られ,詳しく調べられた。また,ソ連の無人探査機も3ヵ所から少量の月の表土や岩石片をもち帰っている。…

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