(読み)ツキ(英語表記)moon

翻訳|moon

デジタル大辞泉 「月」の意味・読み・例文・類語

つき【月】

地球衛星。赤道半径は1738キロ、質量は地球の約81分の1。恒星を基準とすると地球の周りを周期約27.3日(恒星月)で公転する。自転と公転の周期が等しいので、常に一定の半面だけを地球に向けている。太陽の光を受けて輝き、太陽と地球に対する位置によって見かけの形が変化し、新月さく)・上弦満月ぼう)・下弦の現象を繰り返す。この周期が朔望げつで、約29.5日。昔から人々に親しまれ、詩歌・伝説の素材とされる。太陰。月輪。 秋》「―ぞしるべこなたへいらせ旅の宿/芭蕉
他の惑星の衛星。「土星の
月の光。月光。つきかげ。「がさし込む」「の明るい晩」
暦で、1年を12に分けた一。太陽暦では、「大の月」を31日、「小の月」を30日、ただし2月だけ平年は28日、閏年うるうどしは29日とする。
1か月。「に一度の会議」
約10か月の妊娠期間。「満ちて玉のような子を産む」
紋所の名。1の形を図案化したもの。
月のもの。月経。
せるおすひの裾に―立ちにけり」〈・中・歌謡〉
[類語]月輪夕月立ち待ち月居待ち月寝待ち月残月有明の月新月三日月上弦下弦弦月弓張り月半月満月望月明月名月春月朧月寒月かささぎの鏡桂男かつらおとこ玉蟾ぎょくせん玉兎ぎょくと玉輪ぎょくりん月輪げつりん姮娥こうが細愛壮子ささらえおとこ嫦娥じょうが蟾兎せんと玉桂たまかつら玄兎げんと瑶台ようだい

げつ【月】[漢字項目]

[音]ゲツ(漢) ガツ(グヮツ)(慣) [訓]つき
学習漢字]1年
〈ゲツ〉
天体の一。つき。「月光月食月齢観月残月新月風月満月名月
時間の単位。一年を一二分した期間。「月間月給隔月今月歳月年月来月臨月
〈ガツ〉
1に同じ。「月天子
2に同じ。「月日がっぴ五月正月
〈つき(づき)〉「月影月見月夜夕月三日月
[難読]神無月かんなづき如月きさらぎ海月くらげ月代さかやき文月ふづき水無月みなづき睦月むつき望月もちづき

がち〔グワチ〕【月】

《謡曲「松風」の「月は一つ、影は二つ、三つ(満つ)しほの」からという》江戸時代、上方の遊里で、揚げ代1匁の下級女郎のこと。汐(3匁)・影(2匁)の下位。
《「がんち(頑痴)」の音変化か》色道に慣れないこと。不粋なこと。また、その人。野暮。
「―の男は泥みたる風をして」〈浮・禁短気・五〉

つく【月】

「つき」の上代東国方言。
「かの児ろと寝ずやなりなむはだすすき浦野の山に―片寄るも」〈・三五六五〉
名詞の上に付いて、月の意を表す。「夜」「夜見」

げつ【月】

七曜の一。また、「月曜」の略。

がつ【月】[漢字項目]

げつ

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

共同通信ニュース用語解説 「月」の解説

「月」

寓意ぐういに満ちた叙事詩としても読むことができる長編小説。2018年に出版された。

物語は「園」に入所する「きーちゃん」の独白を基調に進む。全く動けず、目が見えず、思うように話せないきーちゃんは、自分を見た者が「ありきたりの〈善意〉」から発する「おさだまりの文言〈オキノドクニ…〉」や「あからさまな嘆息」で自身の姿を想像する。

「在りつづける」ことを誰かに請われているわけでもなく、誰にも分かってもらえない痛みを抱えながら「在る」ことを考え続けるきーちゃんは「だれよりもそっちょく」な職員「さとくん」に心を許している。だがさとくんはある日「〈敵対者〉の空気」をまとってやって来る。

更新日:


地球の周りを約27日かけて公転する地球唯一の衛星。同じ周期で自転している。地球からの距離は約38万キロ。直径は約3476キロと地球の約4分の1の大きさで、重力は約6分の1。クレーターが多く白っぽく見える部分は「高地」、玄武岩で覆われて黒く見える部分は「海」と呼ばれる。大気はほとんどなく、昼は約110度、夜は氷点下約170度と気温差は200度以上になる。近年観測データの解析などから、南極付近に水が氷の形で存在する可能性が示唆されている。

更新日:

出典 共同通信社 共同通信ニュース用語解説共同通信ニュース用語解説について 情報

精選版 日本国語大辞典 「月」の意味・読み・例文・類語

つき【月】

  1. 〘 名詞 〙
  2. [ 一 ] 天体の月。また、それに関する物、事柄。
    1. 地球にいちばん近い天体で、地球のただ一つの衛星。半径一七三八キロメートル、玄武岩質で組成され、大気はない。二七・三二日で自転しながら、約二九・五三日で地球を一周し、その間、新月・上弦・満月・下弦の順に満ち欠けする。太陽とともに人間に親しい天体で、その運行に基づいて暦が作られ、神話、伝説、詩歌などの素材ともされる。日本では「花鳥風月」「雪月花」などと、自然美の代表とされ、特に秋の月をさすことが多い。太陽に対して太陰ともいう。つく。つくよ。月輪。また、ある天体の衛星のこともいう。→補注( 2 )。《 季語・秋 》
      1. [初出の実例]「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎいでな」(出典:万葉集(8C後)一・八)
    2. の神。日本の神話では月夜見尊(つきよみのみこと)をいう。
    3. の光。月影(つきかげ)。月光。
      1. [初出の実例]「月入れたる槇の戸口けしきばかり押しあけたり」(出典:源氏物語(1001‐14頃)明石)
      2. 「月冴ゆる氷のうへにあられ降り心くだくる玉川のさと」(出典:長秋詠藻(1178)上)
    4. ( 古くは、それがの満ち欠けに関係があると信じられたところから ) 月経。月のさわり。月のもの。月水。
      1. [初出の実例]「汝が著(け)せる襲(おすひ)の裾に都紀(ツキ)立ちにけり」(出典:古事記(712)中)
    5. 香木の名。分類は伽羅(きゃら)。香味は苦甘辛。六十一種名香の一つ。
      1. [初出の実例]「月(ツキ)、上々伽羅、聞いかにも古くかろく花やかに御座候」(出典:建部隆勝香之筆記(香道秘伝所収)(1573))
    6. 紋所の名。をかたどり、またに種々の物を配して図案化したもの。月に星、連子に月、半月、三日月、霞に月、月にほととぎす、月に水など。
      1. 月に星@連子に月
        月に星@連子に月
    7. ( 「月の句」の意 ) 連歌、俳諧で、をよんだ句。月の定座では、の句をよむことが原則になっている。
      1. [初出の実例]「卯七曰く、蕉門に宵闇を月に用ひ侍るや」(出典:俳諧・去来抄(1702‐04)故実)
    8. ( 「謡曲・松風」の「月は一つ、影は二つ満つ汐の夜の車に月を載せて」に拠ったしゃれ ) 下級の遊女である端女郎(はしじょろう)の等級を表わす名。近世、大坂新町で、揚げ銭一匁のものをいう。塩(しお)、蔭(かげ)より下位。
      1. [初出の実例]「難波にては、端の女郎も汐・影・月(ツキ)などやさしくいふに」(出典:浮世草子・好色万金丹(1694)五)
    9. 江戸の吉原の主要な紋日(もんび)で、八月十五夜と九月十三夜とをいう。また、その夜の月。この夜の月見に多くの客を寄せようと、遊女は苦心する。
      1. [初出の実例]「月の前かこち顔なるうれのこり」(出典:雑俳・柳多留‐三〇(1804))
    10. 近世の菓子「最中月(もなかのつき)」の略。
      1. [初出の実例]「菓子屋には月女郎屋は朝日也」(出典:雑俳・柳多留‐五一(1811))
    11. 商人が用いる数の符牒。
      1. (イ) ( 陰暦八月を月見月(つきみづき)というところから ) 八。
      2. (ロ) ( 「つきよこ(月横)」の略。宿屋・芸人仲間が用いる ) 四。
  3. [ 二 ] 時間の単位、暦法の月。
    1. [ 一 ]が地球を一周する時間。基準点の取り方によって朔望月(さくぼうげつ)・分点月・恒星月・近点月・交点月がある。ふつう一月と称するのは、朔望月。約二九・五三日を基準にしたものをいう。古来、種々の暦法があって、そのきめ方はひととおりでない。太陰暦では、大の月を三〇日、小の月を二九日とするが、大小の置き方は平朔法と実朔法とで異なる。太陰暦に二種あり、太陽年との調和を考慮しないものを純太陰暦、または太陰暦という。世界で広く用いられたのは太陰太陽暦で、太陽年との調和をはかるために閏月(うるうづき)を置き、その年は一三か月となる。日本の旧暦はこれであった。太陽暦では、朔望月とは無関係に一太陽年を一二分してひと月とする。今日世界で広く採用されているのは、一、三、五、七、八、一〇、一二月を大の月、三一日とし、四、六、九、一一月を小の月、三〇日とし、二月のみは平年二八日、閏年二九日とする法である。年と日との中間の単位。また、その一単位。「ひと(一)」「ふた(二)」「み(三)」などの和数詞につき、また古くは「いつか(一箇)」「にか(二箇)」「さんか(三箇)」などのあとにつけて用いる。「ひとつき」「さんかつき(三箇月)」など。
      1. [初出の実例]「あらたまの 年が来経(きふ)れば あらたまの 都紀(ツキ)は来経(きへ)ゆく」(出典:古事記(712)中)
      2. 「コウズイ jǔiccatçuqino(ジュウイッカツキノ) アイダ セカイニ タタエテ」(出典:サントスの御作業の内抜書(1591)二)
    2. [ 二 ]を一年に配し、それぞれに固有の番号または名称を与えたもの。
      1. [初出の実例]「其の年の其の月、天皇の命を被(かがふ)りて」(出典:古事記(712)下)
      2. 「このつきまでなりぬることとなげきて」(出典:土左日記(935頃)承平五年二月一日)
    3. [ 二 ]のうち、妊娠一〇か月目の産月(うみづき)、八か月を期限として質物の流れる八か月目、あるいは喪(も)の明ける最後の一か月などのように、機の熟する期間。あることが起こり、またはあることが行なわれるのに適当な期間。
      1. [初出の実例]「月も待たずぬげと宣旨くだるもあやし」(出典:讚岐典侍(1108頃)下)
      2. 「あらいとおしやながさるる人 有明の月にもたらぬ子を生て〈慶友〉」(出典:俳諧・犬子集(1633)九)
    4. 毎月の忌日に行なう死者の供養。
      1. [初出の実例]「三月に成ぬれば、例の月に参りたれば」(出典:讚岐典侍(1108頃)下)
    5. つきがこい(月囲)」の略。

月の補助注記

( 1 )月は、「つき」のほか、古来さまざまに呼ばれた。つく、つくよ、つくよみ、つくよみおとこ、つきひと、つきひとおとこ、ささらえおとこ、かつらおとこ、ののさま、つきしろ、月輪、月霊、月魄(げっぱく)、月陰、太陰、陰宗、陰魄、玉輪、玉魄、玉盤、月兎(げっと)、玉兎、陰兎、玉蟾(ぎょくせん)、蟾蜍(せんじょ)、蟾宮、蟾窟(せんくつ)、蟾兎、桂月(けいげつ)、桂輪、桂魄、桂窟、桂蟾、姮娥(こうが)、嫦娥(こうが・じょうが)、姮宮(こうきゅう)、嫦宮(こうきゅう・じょうきゅう)など。
( 2 )現代では、地球以外の惑星(わくせい)に付随する衛星をもいい、「人工の月」の意で、人工衛星をさすこともある。


がちグヮチ【月】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 江戸時代、上方遊里で、端女郎(はしじょろう)の内の階級の一つにいう。汐、影の次位で分(わけ)の上位。揚げ代が一匁(もんめ)であったところから、謡曲「松風」の「月は一つ、影は二つ、三つ汐」によった称という。がちの女郎。一寸。
    1. [初出の実例]「端(はし)に上中下あり、〈略〉先塩といふは三匁、陰といふは二匁、月といふは一匁」(出典:浮世草子・好色由来揃(1692)一)
  3. ( 形動 ) ( 一説に「頑痴(がんち)」の変化した語とも。「瓦智」はあて字 ) 遊里の世態人情に通じていないこと。田舎くさく、あかぬけしないこと。また、そのさま。野暮。
    1. [初出の実例]「或人の云、月(グヮチ)成男、はやく水(すい)に成事。是如何」(出典:評判記・寝物語(1656)五)

月の補助注記

( について ) 月輪(がちりん)の下略で、初心の人を山だしというところから、山だしの月になぞらえ、水(すい)(=粋)である傾城にその面影を映して、もまれて後、粋に至る存在の意〔評・難波鉦〕からという。


つく【月】

  1. [ 1 ] 「つき(月)」をいう、上代東国方言。
    1. 天体の月。
      1. [初出の実例]「小筑波の嶺ろに都久(ツク)立し間夜は多(さはだ)なりぬをまた寝てむかも」(出典:万葉集(8C後)一四・三三九五)
    2. 時間の月。
      1. [初出の実例]「枕大刀(まくらたし)腰にとりはきま愛しき背ろがまきこむ都久(ツク)のしらなく」(出典:万葉集(8C後)二〇・四四一三)
  2. [ 2 ] 〘 造語要素 〙 名詞の上に付いて月の意を表わす。「つく夜」「つくよみ」など。

月の補助注記

ツク単独の例は奈良時代東国方言形に見られるだけである。中央語にツクヨ、ツクヨミなど名詞に前接して月の意味を表わす形が用いられており、ツクの形がツキ(キは乙類)よりも古い時代の面影を残すものか。


げつ【月】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙 陰陽道で七曜の一つ。また、七曜を一週間に配したものの二番め「月曜」の略。
    1. [初出の実例]「九月十日〔月〕 夜半長崎着」(出典:夏目漱石日記‐明治三三年(1900))
  2. [ 2 ] 〘 接尾語 〙
    1. 暦の月の数をかぞえる単位。つき。…か月(げつ)
      1. [初出の実例]「Ichiguet(イチゲツ)、Niguet(ニゲツ)」(出典:ロドリゲス日本大文典(1604‐08))
    2. 暦の月の順序をいうのに用いる語。がつ。
      1. [初出の実例]「いまは十二げつなり」(出典:日本読本(1887)〈新保磐次〉一)

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「月」の意味・わかりやすい解説

月 (つき)
moon

地球のまわりを回る天体で,太陽に次いで明るい天体である。その公転の周期はほぼ1ヵ月であるところから時間の単位としても使われ,また,この単位をもとにして,1年は12ヵ月に分けられている。

月は地球のまわりを回る唯一の天然の衛星で,地球の中心と月の中心との間の平均距離は38万4400km,地球の赤道半径の60.2682倍である。この赤道半径と月の軌道の平均半径の比率を考えると,月の軌道は大きく,したがって太陽の力の影響も大きく受け,月を全体として分類すると外衛星となる。外衛星は遠隔衛星ともいい,その特色は公転周期が比較的長く,軌道面の母惑星に対する傾斜角がほぼ一定であるということである。外衛星に対し,母惑星に近く,公転周期が短いものを内衛星(近接衛星)という。

太陽の引力の影響を大きく受けるので,軌道の大きさ,形なども時間とともにかなり変わるのだが,軌道の離心率の平均値は0.0549,月の軌道面は白道面と呼ばれ,黄道面との傾斜角の平均値は5°8.′7である。上に述べた月と地球の平均距離は,そもそも平均距離ともいうべき楕円軌道の半長径の時間的平均値で,半長径も公転ごとに少しずつ変化している。ケプラーの第3法則によると,公転周期は半長径とともに変化するが,その平均値は与えることができる。

公転周期は基準となる方向をどこにとるかによって異なった値をとる。動かないと思われる恒星の方向を基準にする恒星月の平均値は27.32166日,歳差で動く春分点の方向を基準とした分点月の平均値は27.32158日,動いている太陽の方向を基準にとった公転周期である朔望(さくぼう)月の平均値は29.53059日である。この朔望月は月が満ち欠けを繰り返す周期で,暦の上での1ヵ月は朔望月であることが多い。

月自体の半径は平均1738kmで,形はほぼ球になっており,山とか谷とかを除けば,球からのずれはせいぜい2~3kmである。この月は,上記の公転周期と同じ周期で自転をしている。このようにゆっくりと自転をしているので,月は多少扁平な形となってもよいのであるが,理論的に計算すると,極半径と赤道半径の差は16mである。また,月から見て地球はいつも同じ方向にあり,月はいつも同じ面を地球に向けているので,地球の潮汐によって地球に向いている赤道の直径は,これに垂直な直径より長いはずといわれていた。ところが,月のまわりを回ったNASAのうち上げたアポロやルナ・オービターの測定によると,地球を向いた面は平均の球から2.6kmほどへこみ,反対側はほぼこれと同じくらいとび出していることがわかった。したがって,月では球の中心と重心とが2kmほどずれている。

月の質量は地球の81.302分の1,7.348×1022kgである。この質量は,アポロなどが月面に近づくときの加速度から推定したものである。これから月の平均密度を計算すると地球の約6割の3.34g/cm3である。また,月面での重力は地球での6分の1で,同じ質量のものでも重量は6分の1になる。

月は太陽の光を反射して輝いているので,月,太陽,地球の位置関係によって輝く部分が違ってくる。これが位相の変化で,その周期が朔望月である。太陽,月,地球がこの順に並んだときは,月の輝いた面は地球からは見えず新月である。この日が朔である。朔から数えた時間を日の単位で表したものが月齢である。新月の月は太陽とほぼ同じく東の空から出て夕方西の空に入る。これから3日ほどたつと西のほうだけが輝く三日月になり,夕方太陽の沈んだ直後に西の空に見える。新月から1週間もたつと半分だけ輝く上弦の半月になり,夕方太陽が西に沈むころに南中する。新月から14.765日たつと,月が太陽と反対側の位置にきて満月となる。月齢がほぼ15日なので,満月の夜は十五夜と呼ばれ,太陽が西に沈むころに東の空に現れる。その後月の出の時刻はさらにおくれ,下弦の半月は夜半に東の空に現れ,朝方南中する。さらに下弦で三日月形になると日の出前に東の空に現れ,また新月にもどる。

月の明るさは,満月でもっとも明るくなるのはもちろんであるが,欠けてくると明るさは急激に減り,輝く部分が半分になると,明るさは満月のときの10分の1になる。満月時の明るさは-12.6等で太陽と14.2等の違いがあり,太陽の明るさの48万分の1の明るさということになる。これから計算すると月面の平均の光の反射率は7%ということになる。この値は満月以外ではさらに低くなる。この値は,大気のない水星とほぼ同じで,他の惑星の値に比べてたいへん小さい。例えば地球では40%,金星では85%である。

月の出入りの時刻は朔望月によって変化するが,同じ月齢でも時刻はかなり違ってくる。月の出入りの時刻は1日当り約51分ずつおくれるが,この値にも大きな幅がある。太陽が地平線上にある昼の長さが四季によって異なるように,月が地平線上にある時間の長さも1ヵ月の周期で変わるからである。太陽の見かけの軌道である黄道面は赤道面と23°26.′4傾いており,月の軌道面である白道面はこれと平均5°8.′7傾いている。白道面が黄道面と交わっている線はいつも一定の方向を向いておらず,18.6年で360°動く速度で時計の針の動く方向に動いている。そこで,赤道面と白道面との傾きも18.6年の周期で変化している。月が南から北に向かって黄道面をよぎる昇交点が春分点に一致すれば,白道面と赤道面の傾きは23°26.′4+5°8.′7=28°35.′1となり,昇交点が秋分点と一致すれば傾きは23°26.′4-5°8.′7=18°17.′7となる。このために,月が赤道面からいちばん北に,あるいは南にずれる角度はかなり変わる。白道面と赤道面との傾きが28°35.′1あるときには,月が地平線上にある時間の1ヵ月周期の変化の振幅はかなりな量にのぼる。

月の軌道は楕円でほぼ近似できるのであるが,太陽の引力だけでなく惑星の引力などの作用で軌道は正確には楕円でなくなる。前に述べた白道面の黄道面に対する昇交点が18.6年の周期で動いていることも,主として太陽の作用である。また,楕円の長軸の方向も,9年の周期で公転と同じ向きに360°動く。軌道の離心率は平均としては0.055なのであるが,太陽の作用で0.043と0.067の範囲で変化する。軌道が円ではないために,月の公転の動きは一様ではない。平均の角速度で動いているとした仮想の月と実際の月とでは,平均6°17′まで差がでてくる。これは中心差と呼ばれる。

 月の運動理論を正確に求めることは非常にむずかしい。現在まで使われているのは1923年から採用されているE.W.ブラウンの理論であるが,最近フランスのシャプロンJ.Chaprontらがより精密な理論を完成し,各国で採用されようとしている。

月の自転運動はかなり複雑なのであるが,大ざっぱにみれば次の三つの法則によって支配されているといってよい。(1)月の自転軸の方向は月に対しても空間に対しても固定しており,自転周期は公転周期に等しい。(2)月の赤道と黄道とは一定の角度1°32.′1をなしている。(3)黄道面に対する月の赤道の降交点と白道の昇交点とはつねに一致している。この三つの法則は,17世紀のイタリアの天文学者G.D.カッシニによって観測結果から経験的に求められたもので,カッシニの法則と呼ばれている。この第1法則から,月は地球に対していつも同じ面を向けていることになる。第2,第3法則によれば,月の赤道と白道との傾斜角は,いつも5°8.′7+1°32.′1=6°40.′8になっている。

 しかし,月の自転運動をもっと詳しく調べてみると,カッシニの法則は必ずしも成り立っていない。この法則からのはずれは秤動(ひようどう),少し詳しくいえば物理的秤動と呼ばれている。この秤動の量は,月の中心からみて2′以下,地球からみて0.″54以下である。これよりも詳しく月の自転運動のようすを知るためには,秤動を表す数式を知らなければならない。この理論は多くの人によって求められている。

 さて,一般に秤動といえば,月面はいつも地球に同じ面を向けているというのも正確ではなく,全体として月面の59%を地球から見ることができるということを指している。こちらは,前記の秤動と区別して幾何学的秤動と呼ぶが,物理的秤動に比べてはるかに大きい。

 すなわち,(1)月の赤道と白道面とが6°40.′8傾いていること,(2)月の公転運動は一様ではなく,振幅6°17′の中心差のあること,(3)地上の観測者は地心で見る月を違った方向で見ているという三つの理由のために,幾何学的秤動が起こる。(1)のために1ヵ月の周期で月面は南北にゆれているように見え,(2)のために同じような周期で東西にふれて見える。(3)による見かけの動きは1日周期のもので,主として東西方向のゆれである。

月はあばた面といわれ,月の表面には大小さまざまなクレーターがある。いちばん大きなものは直径230kmもあり,直径1km以上のものは,月の表側だけでも30万個ある。クレーターは全面にくまなく見られるのであるが,全体として月は二つの部分に分けられ,暗い平らな部分を海,やや明るい少しぎざぎざした部分を陸と呼んでいる。月全体として光の反射率は悪いのであるが,そのなかでも海の部分はとくに悪いといえる。月面には,このように暗い黒く見える部分とやや明るい部分があるために,月面でウサギが餅をついているとか,いろいろな話が生まれたのである。

 月の表側には15ほどの海がある。海は円形で,北東部にある危難の海が卵形に見えるのは,これがへりにあるための見かけ上のことである。北西部にある嵐の大洋なども有名で,直径は250kmから300kmもある。海は少し高い山脈にとりかこまれていることが多いが,山脈にはアルプス,コーカサス,アペニンなど地球上のものをまねた名まえのついたものと,ライプニッツ,ダランベールなど有名な科学者の名まえのついたものがある。南極や,月のへりには山も多く,6000mから8000mの高さのものまである。山はだいたいにおいて山脈をなしているのだが,北海の雨の海のなかのピコとかピトンなど,孤立した山もある。

 クレーターにも有名な科学者の名まえがつけられている。大きなクレーターはえぐられたように,まわりは円形の周壁でとりかこまれている。月面上で最も大きい直径230kmのクラビウスと名づけられたクレーターでは,周壁は外側で測ると4900mの高さ,内側で測ると1600mの高さである。クレーターの内部は平原であるが,その中央に山がきり立っていることが多い。ところが小さいクレーターとなるとこんなことはなく,ただのくぼみにすぎない。

 月面で特徴的なのは,いくつかのクレーターから四方八方にのびる光条で,嵐の大洋中のコペルニクス,ケプラー,アリスタルコスといったクレーター,南極に近いチコと呼ばれるクレーターからのものがとくに目をひく。光条は満月のときにとくに明るくなる。

地球から月面の59%しか見ることができず,残りの41%は見ることができない。この裏側をのぞきこむことができるようになったのは,1959年10月にソ連のルナ3号が月に向かい,月から6500kmのところを通りすぎて月の裏側の一部の写真をとってからである。その後,月のまわりを回るルナ・オービター,あるいはアポロが月面の写真をくまなく撮影し,月の裏側のようすもわかってきた。月の裏側も表側と本質的に差はないが,裏側では陸が多い。海も表側と同じ程度あるが,円形でないものまである。しかし,これをよく見ると,いったんでき上がった海に一部重なって出現したものがあるように思える。

陸にも海にもクレーターがくまなく見られるが,陸のほうがクレーターの数は多い。クレーターは大小さまざまの隕石の落ちたあととすれば,陸のほうが海より古い地形であるといえる。クレーターが多いにもかかわらず陸のほうが光の反射率の高いのは,陸はカルシウムやアルミニウムに富む岩石からできているからである。この陸の岩石の大部分は隕石の月面への衝突によって破砕混合されてできた角レキ岩の組織を示している。月の岩石中の放射性同位元素の割合を調べて年齢を推定すると,46億年から38億年の古いものまであることがわかる。46億年というと月自体の年齢で,月ができたときに起こった大規模な融解分化によって形成された月の表面の一部がまだ残っていると考えられている。

 海は陸に比べて若い地形で,海に見られるクレーターは海ができた後にできたものである。海の面もほぼ平たんであるが,39億年前から32億年前にかけて月内部から流出した溶岩流でできていると思われる。海ももともとは大きな隕石によってつくられた円形の低地に,溶岩流が流れでたものと考えられている。海のまわりをとりまく山脈は,この大きな隕石の衝突のときにとび散った岩石でできたものであろう。溶岩は鉄およびマグネシウムに富む粘性の低い玄武岩で,したがって黒く,光の反射率も低いのである。同じ海でも,溶岩流はいくつか見られ,チタンの含有量も違い,このために生じた火山に特有な地形もいくつか見られる。

 クレーターのなかにも重なり合っているものがあり,これと海との重なり合うようすを眺めれば,月面の模様の年代を推定することができる。

月面の模様の年代は,雨の海に激突したレンジャーのとった写真によってまず調べられたので,雨の海を中心として年代が分類されている。雨の海は月面の中心から北30°のあたりにあり,雨の海に隕石が大きな孔をあけたときにとび散ったと思われる物質が月面のはるかかなたにまで見られる。これが〈インブリアン代〉の地質である。インブリウムは雨の海のことである。雨の海のまわりの山脈がこれにあたる。インブリアン代の物質が上にのっている地形は〈先インブリアン代〉のものである。雨の海のなかに見られる古い溶岩流もインブリアン代と分類する。同じころに嵐の大洋もでき上がる。そしてここに溶岩流が流れ出たあとに出現したのがコペルニクス・クレーターであり,雨の海の周辺にはエラトステネス・クレーターが雨の海の溶岩流と前後して出現した。エラトステネスもコペルニクスも光条を伴ったクレーターであるが,光条の明るさからコペルニクス・クレーターのほうが新しいことがわかる。ここで,〈エラトステネス代〉と〈コペルニクス代〉の分類がでてくる。おのおのの地質時代の場所で,アポロによって月の岩石が採集され,放射性同位元素によって年代が測定された。この結果,インブリアン代のものは40億年,エラトステネス代のものは,雨の海のなかの溶岩流から32億年前のものであることがわかった。コペルニクス・クレーターの年齢は,その上にある小さなクレーターの数から10億年と推定されている。この地質年代も,さらに詳しい地形の重なり合いから,もっと細かく分けることもできる。
執筆者:

アポロ計画によって月の表面の6ヵ所から月の岩石や表土が地球にもち帰られ,詳しく調べられた。また,ソ連の無人探査機も3ヵ所から少量の月の表土や岩石片をもち帰っている。これらの標本によって月の表層を形成している岩石の性質がかなりよくわかってきた。月の表面で黒く見える海の部分をつくっている岩石は主として玄武岩と玄武岩の角レキを含んだ角レキ岩である。月の海の玄武岩はチタンに著しく富むもの(TiO2 9~13重量%)と富まないもの(TiO2<4重量%)とがある。いずれの玄武岩も地球の玄武岩に比べて鉄が多く,アルカリ,とくにナトリウムが少ない。主要構成鉱物はカンラン石,輝石,斜長石,チタン鉄鉱などで地球の玄武岩と同じである。しかし,金属鉄やトロイライトを含んでいて,地球の大部分の玄武岩より還元的な環境で生じたことがわかる。また,準輝石の一種であるパイロクスフェロアイトアーマルコライトなどの月の岩石で初めて発見された新鉱物もある。角セン石や雲母などの含水鉱物はまったく見つかっていない。月の表面の白く見える高地をつくっている岩石はいずれも斜長石に富む岩石である。すなわち,大部分斜長石よりなる斜長岩,斑レイ岩と斜長石の中間の斑レイ岩質斜長岩,斜方輝石と斜長石よりなるノーライト,カンラン石と斜長石よりなるトロクトライトなどである。また,斜長石に富む細粒の玄武岩もある。その一部はとくにカリウム,希土類元素,リンに富み,クリープkreep玄武岩と呼ばれている。そのほかに,上記の岩石片を含む角レキ岩も多く存在する。まれな岩石として,大部分カンラン石よりなるダンカンラン岩や花コウ岩質岩石も見つかっている。
執筆者:

アポロ11号や12号が月面におりたって撮った写真を見ると,風景は意外に単調である。これは,月の半径が地球の4分の1で,月面に立つと視野が限られてしまうせいでもあるが,月面図をたよりに月表面の断面図をかいてみると,斜面の割合はとても少ないことがわかる。大きなクレーターの中にたつと,周壁など見えないこともあり,クレーターのなかの平らな部分だけが目だつ。

 一方,満月のときの月がとくに明るいということは,月の表面では,光が入ってきた方向にとくに強く光を反射する性質のあることを示している。月の表面が滑らかな鏡面のようなものであったなら,光の反射法則はこうはならず,光の入射角と反射角がひとしくなるはずである。また,後で述べるように,月の表面近くでは,熱の伝導率も電気の誘電率もとても弱いことがわかっている。このようなことを考えると,月の表面の物質は,ミクロン程度のスケールではきわめて複雑で,孔もたくさんあいていると推定されている。このことは,月面は光の反射率も低いという事実からも裏づけられる。ところで,若い地質年代のクレーターや,そこからの光条のもとになっている物質では,光の反射率も,熱の伝導率も少しは高いことも知られている。新しい地形では,ミクロンの大きさの孔などは少ないのであろう。

1960年代から70年代にかけて,月のまわりを回ったルナ・オービターやアポロの軌道を調べることによってマスコン(mass concentrationの略)というものが発見された。マスコンは重力がまわりに比べて強いところで月の表側の海に対応している。すなわち,海にはまわりよりも密度の高い物質が存在していることになる。まわりのものよりも密度が0.5g/cm3だけ大きいと仮定すると,この重力異常を生ずるためには,厚さが8kmにもなることになる。これが,海の表面をおおう玄武岩状の溶岩にあたる。しかし,月の表側でも静の海や,月の裏側にある大きなクレーターでは,逆にまわりよりも重力が弱く,ここに負のクレーターがあるということがある。いずれにしても,30億年以上にわたって,マスコンの原因となる重い物質が支えられているのだから,月の内部はかなり固いということができる。

1969年から72年にかけて月面に送りこまれたアポロ11号から17号までは,月震計(月の地震計)を月面においてきた。月震計によって月の自然の地震を観測したほか,とびあがったアポロから宇宙船の一部を月面におとして人工の地震を起こすことによっても月の内部の状態が調べられた。これでわかったことは,月の表面には,厚さが5mから10mのレゴリスと呼ばれる層があり,ここでは地震の縦波は秒速100mで走る。この下に秒速が250~300mになる層が50mから300mの深さのところまであり,その下の1kmほどの深さまでは秒速が1130mまでになる。この下になると,地震波の速度は急激に増え,秒速4kmにジャンプする。さらに深くなるにつれて,速度は速くなるが,25kmと65kmの深さのところに地震波速度の不連続面があることが,嵐の大洋の下で見つかっている。深さ65kmの不連続面は地球の地殻とマントルとの境に対応し,この上と下とを月の地殻,月のマントルと呼んでいる。25kmの深さでの不連続面は玄武岩の層の下面に対応している。月のマントルは厚く,月の中心から700kmの半径の核がある。

月には大気がないといわれている。月面での重力の強さが地球の6分の1であること,月面の温度は130℃から-170℃で変化することで,月では大気が支られないといわれている。例えば水素原子が月面にあっても,昼には2時間,夜には3.6時間でなくなってしまう。しかし,少し重い酸素分子となると,月の昼の部分で100万年月面にとどまることができるが,月の年齢の45億年も月面にとどまれる分子はない。

 実際,地上から見ても月に大気があるとは思えない。月の暗い部分と明るい部分の境がはっきりしているのも,その証拠の一つである。大気があれば,昼と夜との間に薄明があり,この部分がぼんやり見えるはずだからである。地上からいろいろな観測をした結果,月に大気があったとしても,地上の10億分の1以下ということになっていた。とすると,密度は10⁻12g/cm3ということになり,地上180kmの大気の密度ということになる。

 この薄い大気を通して,隕石は抵抗を受けることなく月面にぶつかり,月面の物質をとび散らせるし,太陽からの太陽風もたえず月面にあたっている。したがって,月の大気への物質の補給はいつもあることになる。

 アポロ12号,14号,15号にのせられた真空計の測定によれば,月面に存在するガスの全濃度は2×105分子/cm3である。その組成は質量分析計で測られた。これらの測定は,アポロから出されるガスをさけるために夜間行われたが,水素分子,ヘリウム,ネオン,アルゴンからなり,アルゴンを除けばほぼ太陽風のものと一致する。アルゴンは,月の地殻からでてきたものと思われ,昼になると増加する。月の大気はやはり太陽風と地殻からのガスによって補給されていることがわかったが,火山性のガスは見つかっていない。

月面での昼と夜の温度の大きな差は,大気のないことからも推察される。これらの温度は,月面から放射される赤外線の強さの測定から推定される。月面での光の反射率は7%で,あとの93%の光は月面に吸収される。吸収された光は熱となって月面を暖めるが,月の温度に相当した赤外線の放射を放出する。これを受けて温度を測定するのだが,入ってくる光も放出される赤外線も大気などさえぎるものがないから,光が入ってくると温度が上がり,太陽の光があたらなくなると温度が下がる。そこで赤道地帯で太陽が頭上近くにくるころには温度が110℃になり,それから2週間たった真夜中には-150℃まで下がり,さらに太陽の出てくる直前には-170℃にもなる。1年に1,2回起きる月食のときには,太陽の光が短時間に消え失せるので,温度の変化がもっと急激に起こる。この際,温度差が多少小さいのは,チコ・クレーターなどの比較的新しい地形である。

太陽の光によって暖められた月面は,赤外線を出すだけでなく,熱を月面下に伝える。こうして暖められた月面下の物質も,その温度に相当した放射を放出するのであるが,その多くは月面下の物質に吸収されてしまう。しかし一部の電波は表面まで達し,地球でも受信することができる。そして,電波の波長から,それを放出した深さがわかり,その強度からそこでの温度もわかる。こうして調べてみると,月面下でも1ヵ月の朔望周期で温度は変化するが,深さによってその変動の幅は急激に狭まり,また月面の中央で温度がもっとも高くなる時期は満月からしだいにおくれてくる。そして波長10cmの電波で観測すると,月齢による温度差がなくなる。これは,1mの深さになると,温度が-30℃の恒温層のあることを示している。南極や北極に近い付近での深いクレーターの底には,同じような恒温な場所があると考えられている。

 一方,アポロ15号と17号には熱流量の測定装置が積み込まれ,月面に直径2cm,深さ3mの孔が掘られ,孔の中の温度の変化と,まわりの熱の伝導率が測定された。熱伝導率のほうは,3mの深さの点をヒーターで暖めることによってなされた。この温度の測定によっても,月面下45cmのところでは明らかな温度変化があるのに,91cmの深さでは月齢による変化は認められないことがわかった。一方,月面での平均熱流量は1m2当り70mWで,これは地表での値の4分の1で,あまり小さい値とはいえない。こう考えると,月面下1mで恒温層のあるのは,月の内部に放射性同位元素による熱源があり,ここから上に向かって熱が伝わってきているということになる。月の内部のモデルをあたえて計算すると,300kmの深さで温度は1000℃にもなっていると推定されている。

月には磁場がないと考えられていたが,アポロ計画によってもち帰えられた月の岩石には,地球の岩石に見られるような残留磁場が見つかった。しかも,これらの残留磁場は0.02ガウスから1ガウス程度の比較的強い磁場(東京付近での磁場の強さは0.45ガウス)の下でのこされたものと考えられ,その原因についてはかなりの議論がある。一方,アポロが月面上で測定した磁場の強さは300分の1ガウス以下であり,月全体として北極と南極をもつ磁場は非常に弱いこともわかっている。

以上述べてきたように,昔から月は望遠鏡を使って観測されており,月面の温度の測定なども行われていた。また,いくつかの月面図もつくられていた。月面での位置の基準となっていたのは,月面の中央に近いメスティングAという小さなクレーターで,このクレーターからたくさんのクレーターや,へりの点までの距離や位置角が測られ,月面図づくりが行われた。このような測定によって,月のへりにはかなり高い山がたくさんあることが見いだされたのである。クレーターをとりまく周壁や,クレーターの中央にある山の高さは,太陽の光の影の長さから推定された。

 月の位置の測定は,子午環という器械を使って,子午線通過の時刻やそのときの高度の測定,あるいは月が進むにつれて恒星をかくす現象の測定が利用されてきた。この位置の測定は,アポロ11号が月面にレーザー光逆反射器をおいてきてからは,これを利用して行われ,位置測定の精度は格段に向上したし,月の物理的秤動のようすも明らかになってきた。
執筆者:

月の成因や生成の時期,あるいは月の構成物質を調査し,そして人類の他の天体への飛行を目ざして,月へ直接探査機を送る計画が1950年代末からアメリカとソ連により開始された。月へ到達するもっとも経済的な方法は,地球を回る人工衛星の楕円軌道の遠地点を月の公転軌道に接するようにして,遠地点において衛星と月を会合させるもので,この場合月までの所要時間は約120時間となる。地球からの出発速度を上げていくと,やがては地球からの脱出速度(約11.2km/s)に達し,軌道は放物線となる。この場合の所要時間は約50時間となるが,探査機を月に軟着陸させたり,月を回る軌道に投入し孫衛星とするためには,月に近づいた時点で減速の必要がある。探査機を直接月へ送り込もうという試みは,1959年1月,月面への衝突を目ざして打ち上げられたソ連のルナ1号に始まるが,主要な探査機およびプロジェクトを以下に述べる。

ソ連の無人月探査機。ルナlunaは月の意。1~3号は重量300kg級,4~14号は1.5t級,15~24号は約5.6t。1959年1月,月面への衝突を目ざしたソ連のルナ1号は,重量361kg,月には命中せず,月から約5000kmを通過,史上初の人工惑星となった。59年9月の2号(重量390kg)は,アルキメデス・クレーターの近くに命中,人類が他の天体に送った最初の物体となったばかりでなく,衝突直前までデータを送信,月に強い磁場や放射線帯のないことを示した。59年10月,月を回って地球にもどる楕円軌道に打ち上げられた3号は,初めて月の裏側の写真を電送,この30枚の写真には月の裏側約70%が写っており,裏側には,海と呼ばれる平たん部の少ないことがわかった。4~8号までは軟着陸に失敗したが,その後重量約1.5tの新しいルナ探査機を月面に軟着陸あるいは孫衛星とする計画が開始され,66年1月,ルナ9号が史上初の軟着陸に成功,着陸時に放出された100kgのカプセルのふたが開き,テレビカメラによって,以後4日間着陸点付近のパノラマ写真を電送した。10号(1966年3月)は近月点350km,遠月点1017kmの月周回軌道に入り,初の孫衛星となった。観測機の重量は245kg,放射線と微小流星体の観測を56日間にわたり行った。さらに69年7月の15号からは重量がゾンドと同じ5.6tとなって第3世代に入り,16号(1970年9月)は,いったん月周回軌道に入った後,豊の海に軟着陸,100gの表土や石のサンプルを収めたコンテナーは月を離陸,スキップ方式でソ連領に帰還,回収された。17号(1970年11月)はルノホートと呼ばれる無人月面移動車を月面に運び込むことに成功した。ルノホートは重量756kg,太陽電池駆動の8輪車で,搭載テレビカメラによる画像を地球に電送,また遠隔操作により運転され,約11ヵ月にわたり10.5km移動して各地点の表土調査を行うとともに2万1000枚の月面写真を撮影したほか,搭載された鏡を利用して,地球からのレーザー光線による地球と月の距離の測定(精度40cm以内)も実施された。19号(1971年9月)は月を回る円軌道にのり,軌道変更実験を実施,20号(1972年2月)は月の高地の表土サンプル約50gを採取して地球に帰還,21号(1973年1月)では,重量840kgのルノホート2号が4ヵ月にわたり約37kmを走破,クレーターの底と高地の表土調査や写真撮影を行った。ルナは以後76年8月の24号まで打ち上げられたが,ソ連の月探査機はこの24号以降発射されていない。

元来,惑星探査機であるゾンドを月探査に用いた重量950kgの3号と,ソユーズ宇宙船を改造,有人月探査の準備飛行が主目的と考えられる重量5.6tの4~8号からなるソ連の無人月探査機。ゾンドzondは探針,探査機器の意。1号および2号はそれぞれ金星,火星へ向けて発射されたが失敗,1965年7月月探査機として打ち上げられた3号は,ルナ3号の未撮影の月の裏側部分の写真を電送した後人工惑星となった。その後アメリカが68年1月のサーベイヤー7号によりアポロ準備のための無人月探査を終了したのに対し,ソ連は68年3月ゾンド4号,9月に5号,11月に6号を打ち上げた。4号は月の近傍を通過して人工惑星となったが,5号は月の周囲を一周した後,史上初めて地球に帰還,インド洋に着水,回収された。6号は,5号と同じような経路をたどったが,地球帰還の際,1回大気圏に突入した後,再上昇して再び大気圏に入るスキップ方式と呼ばれる方法を採用,ソ連領内にパラシュートで降下した。計画は70年10月の8号まで実施され,探査機にはコムギやマツの種,バクテリア,カメ,ハエなどが乗せられていた。

アメリカの月探査計画のごく初期に,パイオニアの名を冠した月探査機が打ち上げられているが,成功したのは1959年3月に打ち上げられ,バン・アレン帯や惑星間磁場の測定を行い月から約6万kmを通過して人工惑星になった重量6kgの4号のみで,1958年4月から12月までに発射された0~3号の4機および59年9月から60年12月の間に月の孫衛星を目ざして打ち上げられた4機のパイオニア・オービターはいずれも失敗しており,その後,月探査にパイオニアの名は使用されていない。
パイオニア計画

月面に重量300~370kgの探査機を命中させ,衝突直前まで月面のクローズアップ写真を撮るとともに,衝突による振動を搭載した地震計で計測するなど,月軟着陸のための準備的性格をもつアメリカのNASAによる計画。NASAの月探査は,このレンジャーをはじめ,サーベイヤー,ルナ・オービターのいずれもアポロ計画の準備的性格をもつ。1号,2号(1961)は失敗,1962年1月の3号は月に命中せず月から3万7000kmを通過,同年4月重量330kgの4号がアメリカとしては初の月命中に成功,ただし,データは送信しなかった。62年10月の5号,64年1月の6号は失敗したが,同年7月の7号は雲の海に衝突する直前まで合計4300枚の月面の写真を電送,65年8号と9号がそれぞれ静の海とアルホンサス・クレーターに命中,同じく月面の写真の電送に成功した。これらの写真の解析結果から,月の海が探査機の軟着陸に適することが判明し,アメリカはサーベイヤー計画に進んだ。

アポロ計画の準備として,月面に無人探査機を軟着陸させ,月の地質調査,写真撮影を行うことを目的に行われた。1966年6月嵐の大洋に着陸した1号から,68年1月チコ・クレーター近くに着陸した7号までが打ち上げられ,このうち2号,4号は軟着陸に失敗した。
サーベイヤー計画

サーベイヤーと並行して,アポロ計画準備のため,月周回軌道上から月面の写真撮影を行うことを目的としたNASAによる計画。ルナ・オービターluna orbiterは月周回機の意。探査機は重量約390kg。いったん近月点200km,遠月点1850kmの月周回軌道にのった後,近月点を50kmまで下げて月面の写真撮影を行うのが代表的ミッションである。1966年8月に打ち上げられ,211枚の画像を送った1号,184枚の画像を送った2号(1966年11月),3号(1967年2月,画像182枚),4号(1967年5月,画像163枚),5号(1967年8月,画像213枚)がある。

 この結果,アポロ着陸候補地点をはじめ月面の99%の写真が得られるとともに,探査機の軌道の変化から月の重力分布が判明,重い物質の存在によるいわゆるマスコンが発見された。

月面に有人宇宙船を着陸させ,地球に帰還させるNASAの計画。1969年7月16日発射,同20日静の海に軟着陸したアポロ11号により,初の人間の月面着陸に成功,事故のため月着陸を行わず帰還した13号を除き,72年12月の17号までの間に12名の飛行士を月面に送った。アメリカの月探査も,これ以後は73年1月電波天文衛星エクスプローラー49号機を月の周回軌道にのせたのみである。
アポロ計画
執筆者:

月は地球に近い天体であるので,潮汐などを通して地球に大きな影響をあたえたが,月のために日食が見られ,月食という現象も人々に深い印象をあたえた。

 地球と太陽との距離は地球と月との距離のほぼ400倍である一方,太陽の半径は月の半径のほぼ400倍である。すなわち,この二つの天体の見かけの大きさはほぼひとしくなり,角度で16′程度である。そこで,新月のころ,地球,月,太陽がこの順に並んで日食が起こるのだが,太陽と月との見かけの大きさの違いによって皆既食になったり金環食になったりする。また,部分食にしかならない日食もある。黄道と白道とは傾いているために,新月のときにいつも日食になるとはかぎらない。黄道と白道との交わりから18°31′以上はなれたところで新月になると,日食は絶対に起こらない。黄道と白道との交わりから15°21′以内で新月になれば,世界中のどこかで日食が見られることになる。皆既日食とか金環食が見られるのはごく限られた地域に限られ,最長でも270kmの幅の日食帯は東から西に走る。この幅は一般にはもっと狭い。皆既日食が1地点から見える継続時間も7分以上にもなることがあるが,ふつうは2分から4分ほどである。同じように見える日食が18年ごとに起きることは大昔から知られ,これをサロス周期と呼んでいる。1サロス周期たつと,同じような日食でも見える場所は経度にして120°西にずれる。したがって3サロス周期たつと,同じ場所で同じような日食が見えることになる。さて,1年ごとの日食の回数であるが,太陽が白道との交点から交点まで進む周期である1食年(346.62日)には,日食は2回から3回世界のどこかで見られる。このうち,皆既食や金環食に1回もならない年もあるし,2回まで起こる年がある。

 一方,月食は満月のころにおきる。月食は月が地球の影にはいる現象であり,月が地平線上に見られる地域では同時に観測できる。この影のなかを通り抜けるのが月食の継続時間で,部分食を含めると最大4時間,皆既食は最大2時間続くことがある。しかし,月食が起こるための条件は日食に比べて少しきびしく,1食年中に起こりうる月食の回数はせいぜい2回で,1回しか起こらない年がある。しかし,暦年にすると3回月食の起こる年がある。

潮汐は月と太陽との引力によって起きる。月より81倍重い地球のそのまた32万倍重い太陽による潮汐の作用は,しかしながら,月の潮汐の作用のほぼ半分である。これは,潮汐を起こす力は距離の3乗に逆比例するからである。潮汐の力は,直接の月や太陽の引力ではなく,地球の中心と地球の表面での引力の差で,このために,月の直下の点と,その反対の側で満潮になる。したがって,1日に2回満潮になるので,動く月の方向を基準として測った地球の自転周期の半分の12時間25分ごとに月による満潮が起こる。

 地球と月,太陽がほぼ1直線上に並ぶ新月や満月のころには,月と太陽との潮汐の作用が重なり合い,満潮と干潮との差の大きい大潮となる。一方,半月になると月と太陽との潮汐の作用は打ち消し合い,干満の差の小さい小潮となる。

 一方,海水は潮汐を起こす力どおりに動くわけではなく,入口が広く,奥部が狭い湾などでは満潮がとても高くなることがあり,カナダ南東端のミナス湾で大潮のときには,干満の差は14mにもなる。ふつうの海岸ではこの差は1m以下である。海面だけでなく陸地も潮汐による上下動を繰り返すのだが,この動きは潮汐の力によるものの3割程度で,干満の差はせいぜい25cmほどである。

 また,海水に限らず陸地でも,満潮や干潮になる時刻は,潮汐の力から計算されるものより少しおくれる。これは海水と海岸,海水と海底との摩擦のためである。この摩擦のために,地球の自転運動のエネルギーは時間とともにゆっくりとへってくる。すなわち,地球の自転速度は減少してきており,したがって1日の長さは少しずつ長くなってきていて,その長さは100年間に1000分の1秒ずつ長くなるといった割合で変化している。この反作用として,地球のまわりの月の公転運動のエネルギーは増え,したがって,軌道の平均半径は100年に3mずつの割合で大きくなり,公転周期も長くなってきている。

月は現在地球から遠ざかっている以上,大昔は月は地球のそばにいたはずである。そこで,月の成因についてはいろいろな説がでてくる。まず,月は地球から分かれてできた天体であるという説がある。大昔,地球はもっと速い自転速度で自転をしていたということも事実である。このように速く自転をしていると,赤道部のふくらみがちぎれることがあるという説にもとづいている。ただし,このためには地球は2.6時間よりも短い周期で自転をしていなければならないので,はたして,こんなに短い自転周期だったことがあるかという疑問がある。また,こうして月がとびだしても,地球による潮汐の作用が自分の固まる重力より強く,ひきさかれてしまうという反論がある。

 次に,月は太陽系のどこかで生まれ,時間がたってから地球にとらえられて,地球のまわりを回りだしたのだという説がある。月が地球のまわりを回りだす以上,月の運動のエネルギーがこのときに突然へってしまわなければならない。このためには,地球の作用で月に大きな潮汐が起こり,しかもこの潮汐に大きな摩擦が起きていなければならない。そして,大きな熱が発生したはずであるが,そのような大きな摩擦がおきたはずはないというのがこの説の大きな弱点である。それを補うために,地球のまわりにたくさんの隕石が回っており,月はこれらにぶつかって運動のエネルギーを失ったのだという説をとなえている人たちもいる。月がどこかで生まれたとすると,地球と月に化学組成の違いがあってもかまわないので,この説には支持者も多いのだが,欠点もまだ残っている。

 一方,月は地球のそばで,地球のできたころに独立に生まれたのだという説もある。太陽系初期のちりやガスが固まったのが地球や月とすれば,同じような化学組成になってもよいのであるが,その組成が現在では二つの天体で違っているのがこの説の欠点である。いずれにしても,月の成因についてはまだ確固たる説がないといってよい。

地球と月とで化学組成に違いがあるとたびたび述べたが,その違いは次のような点にある。すなわち,月には揮発性のある元素がなく,アルミニウムとかカルシウムとかいう揮発性の乏しい元素が多いし,鉄とかニッケルといった金属は,月よりは地球にたくさんある。地球に鉄のような金属の多いのは,地球には半径3000km以上の鉄を主成分とした核があるためで,月の核の半径は700kmしかない。また,月の石をとって調べてわかったのは,月の表面に近い100kmから300kmの層は,月の歴史のなかのごく初期にとけていたらしいということである。この層が地殻である。月の加熱と,その後の冷却,地殻とマントルの分離は,月が生まれてまもなく起きたらしい。

 月の陸地に多くの隕石がぶつかったのは40億年ほど前であることが,アポロの調査で明らかになった。その後の隕石の衝突の割合はぐっとへってきている。

 月の海に玄武岩のような溶岩ができたのは39億年前から32億年前のことである。この溶岩流を長い間にわたって月面は支えてきたのだが,溶岩が流れ出たのは100km以上の深さの層からである。月の内部は放射性同位元素からの放射線で暖められているが,ここ20億年間には月の内部にとけている部分はなかったといわれている。月に揮発性物質の乏しいのは,月からは大気がなくなってしまったのと同じ原因で,地球はまだ水をたくさん保っているのに対し,月の水はもはやなくなってしまったのである。
執筆者:

月の崇拝,月の神話は世界的に分布している。ことに豊穣の源泉あるいは象徴,変化や周期性をもとにした時間の尺度や女性との密接な関係,死あるいは不死との関連などが,ここに頻繁にみられるテーマである。また月の起源,月の満ち欠け,月と太陽との関係なども多くの神話でとり扱われている。

月が豊穣の源泉であるという考えは,夜露が月から下るのだという観念ばかりでなく,地域によっては農耕起源神話にも表れている。セレベス(スラウェシ)の西トラジャ族の神話によると,月のなかに不思議な木が生えている。これは巨大なガジュマルの木で,月中の影はこの木と,その下に座る1人の老女である。この木にはあらゆる種類の実がなっており,ことに稲とビーズがなっている。1羽の小鳥が月にまい上がり,この木の1本の枝にとまる。するとこの枝が折れ,実が落ちて地上に広がり,こうして稲やビーズは人間のものになった。月と食物との関連は次の神話にもみられる。ニューギニア北東部のウォゲオ島民の神話によると,原初の文化英雄たちは,1日の前半は太陽の光で,後半は満月の光で連続的に働くことができた。しかし飢饉となり,文化英雄のうちの1人はどうしても家族のための食料がいるので,月を槍を投げて落とした。月は大きな鳥のようなものだったが,これを食物籠に入れておいた。英雄の娘と息子が留守番中,食物を籠からとったところ,籠の目から月が外に出て,鳥となって天にもどってしまった。以来,月は,仕返しのために満ちたり欠けたりして,一部の時間しか光を放たないようになったという。この神話には,容器にとじ込められた月が昇天するというニューギニアに多いモティーフが見られる。次の神話もその一例であるが,月と水(海)との関係も出ている。

 ニューギニアのアストロラーブ湾岸に住むボング族の神話では,月は海といっしょに発生したという。昔,1人の老女が月を壺に入れ,またすべての海の動物を内蔵した海にパンの木の葉をかぶせて所有していた。ところが好奇心の強い連中が壺のふたをあけたので,月は外に出て天に飛んでいってしまい,いたずら小僧どもが,海にかぶせた葉をやりで突き破ったので,海は中から流れ出してしまった。アフリカのチャガ族の伝承でも,かつては太陽も月も神も,人間の近くに住んでいた。ところが,武器の使い方のわからない1人のヌドロボ人が,月を突いて傷つけてしまった。そこで日,月,星ばかりでなく,神も大母神や神の使者を連れて天に逃れてしまった。ブラジルのカシナウア族の神話によると,原古にマリナウアはクタナウアに首を切られたが,その首は天にのぼって月となった。昇天に先立って首は仲間たちに向かって,〈友よ,私の首は月になるだろう。私の目が星になり,私の血が虹になったときには,お前たちの妻も娘も血を出すだろう〉と予言した。首が月になって以来,月経が始まり,女は妊娠するようになった。死と月が人間の生殖力の前提となっているという観念がここにある。

月と死あるいは不死との関連は,ことにアフリカの神話によく見られるが,大きくみて2形式に区別できる。その一つでは,人類は以前は死ななかった。年とると閉めてない墓に横たわり,月と同様に,数日後には新たな生命をもって起き上がった。ところがあるできごとのため,人間は永久に死んで墓にとどまるようになったが,月は人間の元来の不死性をわがものとして,いつも墓から復活するのである(例えばコンゴ川下流のビリ族)。第2の形式では,以前,人間は死ななかったが,原古におけるあるできごとのために月と同様に死ぬようになった。しかしそれ以来,人間は繁殖するようになり,月が繰り返し,新しい生命をうけとるように,子どもたちが人間の生命を新たにしていくのである(例えばマダガスカルのタナラ族)。第1の形式では,人間の個人としての死を月と対照をなすものとして見ているのに反し,第2の形式では,種としての人間の超個体的な永久の生命を月の現象に比しているのである。インドネシアのセラム島ウェマーレ族の神話では,原古において殺害により最初に死に,その死体から作物が発生した少女ハイヌウェレは,月の女ラビエと同一視され,ラビエ=ハイヌウェレと呼ばれることがある。月と死との関係については,ニューブリテン島の先住民によれば,月は死者の精霊を星の世界につれていき,そこからまた一時的に地上を訪問させに連れていく。人間が死ぬのは,大部分満月のころであって,このころは死霊たちが地上から立ち去り,また地上に向かう移動が,もっとも頻繁であるという。月光の蒼白(そうはく)さについても死と結びつけた神話がある。ポリネシアのハーベー諸島民によれば,両親によって1人の子どもが二つに分割され,これが太陽と月になった。月になった半身からは血が流れ出してしまったので,月は青白いのだという。

月の満ち欠けは,いろいろな形で説明されている。オーストラリアのエンカウンター湾の先住民によれば,月はたいへんな悪女で,男たちの間でふしだらな生活を送っていたため,肺病になってやせこけてしまい,そのために男たちの仲間から追い出された。追放中,彼女は栄養のある野生の芋類を食べてまたふとり,男たちとの愉快な生活を再開するものの,度が過ぎてまたやせてしまうのである。月の満ち欠けは,月の病気(アフリカのナマクア族)とか,月が死んでまた再生するのだというところ(アフリカのコイ・コイン,オーストラリアのビクトリア州先住民,インドのコンド族など)が多い。変わっているのは,ブラジルのバカイリ族で,月を運ぶさまざまな動物の大きさや外形によって,月の満ち欠けを説明している。

 月の表面の斑点,つまり月の影については,日本ではふつう月中のウサギだといわれている。月中のウサギの観念は,そのほか中国,インド,モンゴル,中央アメリカに分布しており,おそらく日本へは中国から入ったものであろう。月の斑点は何かの理由でつけられた汚れだという観念は分布が広い。北アメリカのエスキモーや南北両アメリカの若干のインディアンのところでは,妹(太陽)のところへ毎夜兄(月)が忍んでき,この恋人の正体を知ろうとして,妹は手にすすを塗り,男の背中にこすりつけた。後に妹は男が兄であることを知り逃げたが,兄は追ってきた。2人は天に昇って,太陽と月になった。ケニアのルイヤ族によれば,神はまず月を,次に太陽を創造した。最初は月のほうが太陽よりも大きく明るかったので,太陽はこれをねたんで月を攻撃した。格闘の末,太陽は負けて月に許しを請うた。それから2人はまた格闘し,月は泥のなかに投げ込まれ,身体に泥がついて前ほど明るくなくなった。神がけんかの仲裁に入って,太陽のほうが明るくなり,日中,王や仕事をする人たちのために輝き,月は夜,泥棒や邪術師のために輝くことになった。

 北方ユーラシアには水くみ女型の伝承がある。ブリヤート・モンゴル族の伝承によると,昔,森の中に夫婦が住み,母は娘を水くみにやったが,帰りがおそいのを怒り,太陽と月に連れていってしまってくれと願った。まず太陽が娘をつかまえたが,月が自分が夜間に移動するとき,番をしてくれる人が必要だからといって,譲ってもらった。日月に襲われた衝撃のため,娘は片手で水桶をもったまま,片手で近くの灌木の枝にしがみついた。今でもこのかっこうをした娘が月中の影として見ることができるという。この形式の異伝は沖縄の宮古島にもある。そのほか,月の影は南アメリカのフエゴ島のヤガン族とオナ族によれば,太陽が加入儀礼の秘密を発見したとき月をなぐった跡といい,同じく南アメリカのグラン・チャコのマタコ族とチャマココ族は,月がガチョウをとらえようとしたところ,反対にずたずたに裂かれてしまった。月中の影は,そのとき月の腹から露出した内臓なのだという。

月に関して多くの神話があることは事実であるが,すべての人類の神話,とくに農耕民の神話は,どれもみな月の運行や満ち欠けなどを象徴的に表したものであるという。20世紀初期に主としてドイツ語圏で流行したいわゆる月神話学説は,今日では支持することはできない。

 月の祭祀は,おそらく太陽祭祀よりも早くから発達したものと思われる。採集狩猟民のところでは,例えば喜望峰サンは,月を笑ってはならない,もし笑うと月は怒って月食となるといい,また野獣を射たときには月を見てはいけない,見ると獲物が失われてしまうという。農耕民的な月祭祀の一例は南アメリカのウイトト族のオキマ祭で,これはマニオクと祖先の祭りであり,至高神であるとともに月神であり,かつ作物の根源であり,また死者の国の主であるマモ神の祭りである。このオキマ祭のとき女たちは月女のステップを模して,1本の杖(神話ではヤムイモでできているという)にすがって踊る。王権と月との結びつきは,太陽との結びつきほど多くないが,アフリカのルンディ族はその例である。支配者氏族は月から由来し,最後の支配者は死後,月中に生きつづけているという。月は多くの伝統的社会においては,時間を決める重要な基準であるので,新月や満月のときに儀礼が行われることが多い。しかし,それがいつも月崇拝を意味しているとは限らない。アフリカのヌエル族では新月のときに営まれる儀式があるが,それは月ではなくて至高神を対象としているのである。
執筆者:

古代の神話では,太陽が男神(オシリス,ヘリオス,アポロンなど)であるのに対し,月は女神(イシス,アルテミス,ディアナなど)である。この性別は西洋のシンボリズムの体系にそのままもち込まれた。一般に,月は太陽の能動性を受けいれてはらむ多産な受動性を表すとされるが,錬金術でも月は女性的原理を表す。男性的原理としての太陽が,硫黄,不揮発性物質,熱,乾を象徴するのと対照的に,月は水銀,揮発性物質,冷,湿を象徴するのである。物質の結合と変容が,王=太陽=硫黄と,王妃=月=水銀との婚姻・交合の図で表されたのは,この合一から生ずる両性具有的物質が探求されたことを示している。また,太陽が,卑金属を黄金に変える完全な〈賢者の石〉(大錬金薬)のシンボルであるのに対し,月はその前段階として卑金属を銀に変える〈小錬金薬〉のシンボルとされることも多かった。これは,占星術で月が銀に対応するのと符合する。

 月は,占星術的には,吉位にあれば健康を授け,思いやりが深くいくぶん浮気な性格を与えるが,凶位にあれば健康を乱し,疑い深くて小心,虚栄心の強い人間にするといわれる。人体の支配部位は,味覚,のど,胃,腰部,子宮,身体の左半分で,貧血性の体質をつくるとされる。月はまた,英語lunatic(ラテン語で月を意味するlunaに由来する)などの語に見えるように,しばしば精神の異常と結びつけられるが,これは月の霊気が人間に流入して狂気におもむかせるという伝統的な観念にもとづく。
執筆者:

月は太陽と並ぶ主要な天体であると同時に,その運行と月齢によって日を数え,潮の干満の度やその時刻がわかることから,太陽とは別の意味で日常生活のよるべき基準として尊崇されてきた。夜間の照明手段の貧弱な時代には,月明への関心度はきわめて高かった。〈世間おそろし闇夜(やみよ)はこわい,親と月夜はいつもよい〉との子守歌は,その間の事情をよく示している。記紀神話で日神を天照大神と呼び,月神を月読尊と名付けている。月よみとは月齢をよむ(数える)ことの神格化と考えられている。朔日の月は見ることはできない。三日月となり初めて夕方に西の空に姿を見せる。朏と書き〈みかづき〉とよむのはこのためである。人は三日月を見て逆算し,2日前が新月であったことを知る。月の1日を朔日と書くゆえんである。〈朔〉とはさかのぼって数えるからで,三日月にアズキや豆腐を供えて拝む風があるのも,これが月初めの具体的な目印だからである。満月や上弦,下弦の月が目印になるのはいうまでもない。盂蘭盆(うらぼん)は仏教受容以前,初秋の満月の晩に行われた魂祭(たままつり)に始まる。正月も小正月の15日のほうに素朴な由緒ある行事が見られる。このことも初春の満月の晩が,初秋のそれに対応する魂祭であったことを示している。

 古い神社の祭りも村々の素朴な行事も,満月や上弦,下弦の月を目当てになされることが多い。旧暦8月の十五夜,中秋の名月に月見だんごとススキの穂を供えて月見の行事をするところが広く見られるが,里芋を供えて〈芋名月〉と呼び,また綱引きなどをするところもある。9月の十三夜は〈豆名月〉〈女名月〉と呼び,ともに古い時代の収穫祭のなごりが見られるという。それは稲作以前のことも含めてであるが,名月の晩にはお供えのだんごを子どもたちが無断でいただいてもしかられない風習が昔は広く分布した。また,十九夜や二十三夜を〈月待〉と呼び,村で近隣の同信者が集まって飲食し,歓談しながら夜を更かし,月の出を拝んで散会する風がある。十九夜は〈十九夜さん〉とか〈十九夜観音〉と呼び,出産と育児の安全を願って女性のみで集まることが多い。子安講とか子安観音の講などと呼ばれるものである。二十三夜は〈三夜講〉といい,正月,5月,9月,11月や,正月,6月,9月,または正月,11月の23日夜に行い,隔年に大祝いしたり,〈廿三夜塔〉と刻んだ石塔などを立て,近世には各地で盛大に行われた。このほか,満月と新月は潮の干満がもっとも大きく大潮と呼ばれる。また月の出の時刻はだいたい満潮が8割で,これを基準に1日に2度ずつの干満の時刻を計った。〈熟田津(にぎたづ)に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕(こ)ぎ出でな〉との額田王(ぬかたのおおきみ)の歌は,泊りには船を浅瀬に引きあげ,満潮を待って沖に漕ぎ出した古代の航法を示している。《万葉集》では月を〈月人壮子(つきひとおとこ)〉と呼んでいるが,これは唐の《酉陽雑俎(ゆうようざつそ)》に〈月中に桂(かつら)あり……高さ五百丈,下に一人ありて常にこれを斫(き)る〉とある伝説にちなむもので,月を〈桂男(かつらお)〉と呼ぶのも同様である。また中国では月中に月の都,月の宮殿があると信じられていた。日本の《竹取物語》なども,このような中国の思想を背景として生まれたと思われる。
太陽 →
執筆者:



月 (つき)
month

月の運動の周期性によって規定される時間の長さ。基準のとり方により,朔望(さくぼう)月分点月恒星月近点月交点月がある。暦では1年を12区分した暦月をいう。西洋の月名はローマに由来し,1,3,5,6月はローマの神の名,2月は贖罪の祭り,4月は不明だが一説に〈アフロディテ=ウェヌスの月〉からきたという。7,8月はユリウス・カエサル,アウグストゥスを記念して,後に挿入された。

 現在の暦では月の日数は2月を除けば30日か31日であるが,いわゆる旧暦では小の月が29日,大の月は30日と決まっており,1年は12ヵ月または13ヵ月であった。また何月が大で何月が小であるかは朔の時刻の計算を行って決まるのであるから,一般には暦を見るまでは来年の何月は大で何月は小であるかを知ることはできなかった。大の月が4ヵ月も続いたり,小の月が3ヵ月も続くことがあった。暦月は二十四節気のうちの中気によって決まった。例えば雨水を含む月が正月,春分を含む月が2月というように。したがって現在では春分は3月20日ころであるが,旧暦は春分が2月朔日(ついたち)のこともあれば2月晦日(みそか)のこともあった。とにかくある朔から次の朔の前日までの間に春分があればその月が2月であった。このため日付と季節は30日の範囲で変動して定まらなかった。

 暦月の第1番目は正月で和名はむつきである。ふつうは睦月と書く。正月はむつみ合う月であるからという説があるがそれが正しいわけではない。他の月についても同様であるが,意味の解説は後の人の推量にすぎず定説はない。字のほうも牟月とか陬月と書かれているときもある。各月の和名ともっとも一般的な字を表に示した。ふつう何月といえば朔日に始まる暦月をいうが,旧暦時代には各月が二十四節気のうちの節から始まる節月があった。例えば正月節立春から2月節啓蟄の前日までを正月というのが節月である。日の吉凶を示す迷信的暦注の日を選ぶ場合は,月といえば,とくにことわりのないときは節月である。
執筆者:


出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「月」の意味・わかりやすい解説

月(衛星)
つき
the moon

地球のただ一つの自然の衛星。地球にもっとも近い天体である。

月の観測

月の観測には、その性状に関する観測と、運動に関する観測がある。性状に関する観測の歴史は3期に分けて考えられる。第1期は太古から1610年にガリレイが望遠鏡を使って月を観測する前までの期間である。第2期は肉眼観測とともに、望遠鏡も使って地球上から月を観測していた期間である。この期間、月の裏側は人類が見ることのできない世界であった。第3期は1959年のソ連のルナ1号に始まる月探査機を利用した観測の時代である。この時期には、月探査機を月の近くに接近させる(ルナ1号など)、月面に衝突させる(ルナ2号、レーンジャー)、月の周囲を回る孫衛星にして月面の写真撮影、磁気・重力などの測定を行う(ルナ・オービタ、ひてん、クレメンタイン、かぐや)、または月面に各種の測定機あるいは月面車を降ろして探査させる(アポロ宇宙船、ルノホート、サーベイヤー)、または宇宙飛行士を月面に着陸させて探査し、月震計などの観測装置を月面に設置する(アポロ宇宙船)、または有人・無人の宇宙機を月面に着陸させ、月面物質を採集して地球に持ち帰り、これを地球の実験室で分析・調査する(アポロ宇宙船)などの多様な方法がとられるようになった。

 以上は月の性状に関する観測であるが、月の運動についての観測は、20世紀前半までは子午環(しごかん)などの測定装置によるものが主であった。アメリカのマルコビッチは1960年ごろから「マルコビッチカメラ」という特殊カメラで、月と恒星の相対位置を測定した。近年は星食(掩蔽(えんぺい))を利用する方法が有力になっている。ここで「月の運動」という場合、それは月の重心点の運動を意味する。月の重心点は月の表面の形から計算した中心にあるのではなく、また月の表面の形も真の球形でなく、凹凸がある。したがって、月の縁(ふち)の位置を測って月の重心を決める方法では縁辺の形の不規則性を補正する必要がある。以上は月の見える方向という二次元的位置についてであるが、月の三次元的位置を知るためには、月とわれわれとの距離も知る必要がある。月と地球との重心間の距離は、月と地球との平均距離がわかると、各瞬間の値が理論的に明らかになる。逆に、各瞬間の距離がわかれば月との平均距離も決められる。月の距離測定の目的は、月の平均距離を決めることにあるといってよい。このため20世紀前半までは、膨大な数の子午環観測の結果を集積してその距離を求めていた。1950年代からは、月へ電波を発射し、これが月面に反射して戻ってくる時間を測定して月までの距離を求めるようになった。この方法は短時間での測定を可能にしたが、その精度は従来のものと同程度である。その後、アポロ宇宙船などによって月面上に反射器が設置され、これと地球上の観測点との距離をレーザー光線で求める方法が開発され、1982年には50センチメートル以下の精度で月までの距離が決定できるようになった。月と地球の平均距離は38万4400キロメートルで、ちなみに地球の赤道半径の60.2682倍である。地球上の多数のレーザー観測所が活動すれば、月の運動はもとより、地球上の各大陸相互の変位の状況も明らかになると期待されている。

[関口直甫]

月の誕生と形成

各種の月探査機によって月の探査が行われ、月面の岩石が地球に持ち帰られ、地上の実験室で調査・分析も行われるようになった。地球の誕生の時期については地球内部から採取された各種の放射性同位元素の分析によって46億~45億年前とほぼ確定されている。積極的な証拠はないが、月も地球とほぼ同時期に天体としての形成を完了したとみられる。しかし形成後の進化のようすや時間尺度は地球とは異なり、約30億年前には月の地質活動はほぼ終えたとみてよい。

 月の誕生については19世紀以来いくつかの説がある。その一つは分裂説で、地球と月とが同一の天体から分裂して誕生したとする。イギリスの地球物理学者G・H・ダーウィンの潮汐(ちょうせき)進化説もこれに属する。これについては力学的な困難が指摘されていたが、近年の月の岩石の分析からその組成が地球のそれとあまりに異なるという結果が出て、兄弟説とあわせ否定されるようになった。兄弟説とは、地球と月とが同時に形成されたとする説で、地球が原始太陽系雲中の物質を取り入れて自らを形成していく間に、月もその近傍で形成されていったとする。第三の説は捕獲説である。これは、地球と月との岩石組成のかなりな差異や、また地球に対する月の質量比が81分の1という、母惑星に対する衛星の質量比が太陽系のなかでは他に例をみない大きな値である点などから、月はもともとは太陽系の惑星の一つであり、たまたま地球に接近して地球に捕獲されたとする考え方である。しかしこれを力学的に説明することは困難である。

 月探査機の探査結果によれば、月には地球ではみられないほどの大規模な溶岩の噴出と流動があり、月の海といわれる部分はこの溶岩流によって形成されたとみられる。同位元素の分析測定によれば、その年代は38億~30億年以前で、当時、月は非常に高温であったことを示している。しかもこの30億年前以降は、月における目だった地質活動はほとんど終息してしまったとみられる。また月の山地の地形形成はおそらく35億年以前に完了したと思われる。これに対し、地球では現在も大陸移動などの地質活動が続いている。

[関口直甫]

月の軌道

月はおもに地球から引力を受けるが、太陽やその他の惑星からも引力を受ける。月・地球・太陽をそれぞれの重心に質量が凝集した質点とみなし、月の地球に対する運動を論じる問題を「主要問題」という。精密に月の運動を論じるためには、地球が質点ではなく扁平(へんぺい)な楕円(だえん)体であることの影響、他の惑星からの引力の影響、地球が潮汐力によって変形するための影響などを考慮に入れなくてはならない。現在でも月の軌道上の位置について数百メートル程度の理論上の不確実さがある。

 月は、大まかにいって、黄道と5度8分43.43秒だけ傾いた面の中でほぼケプラーの法則に従う楕円運動をしている。しかし月の軌道面と黄道面との交わりの線は、18.6年の周期で逆行(黄経の減る方向に運動すること)している。また軌道上で月が地球にもっとも近づく点(近地点)は、8.85年の周期で軌道上を順行している。

 前述のように、月は地球や太陽から複雑な力を受けるため、地球から見て一様に動くものではない。一様な運動からの外れを不等という。その最大のものは、中心差とよばれる6.29度の半振幅で、1近点月(27.55日)で振動する。これは、月の軌道が楕円軌道で、その離心率が0.0549と比較的大きいことにより顕著に観測される。中心差のほかには、半振幅が1.27度で周期が31.8日の出差(しゅっさ)、半振幅が0.66度で周期が半朔望(さくぼう)月(14.8日)の二均差(にきんさ)、半振幅が0.186度で周期が1近点年(365.26日)の年差(ねんさ)、半振幅が0.0348度で周期が1朔望月(29.53日)の月角差(げっかくさ)の不等などが知られている。1919年につくられた『ブラウンの月行表』では、月の黄経は832項の三角関数の級数として表されている。

 月は太陽の光を反射して輝いているため、月・太陽・地球の三つの天体の位置関係によって、見かけの形が変化する満ち欠けの現象を起こす。地球から見て月が太陽と同じ方向にあるとき、すなわち月と太陽との視黄経が一致するときが新月(朔(さく))で、昼間に空に現れる。月が太陽の反対方向にくるとき、すなわち月と太陽との視黄経の差が180度になるときが満月(望(ぼう))である。満ち欠けは朔から朔までの時間、朔望月を周期として変化し、満ち欠けの程度は、朔の瞬間から経過した時間を日単位で表した月齢で示される。したがって満月のときの月齢は15に近い。なお、視黄経などのように天体位置をあらわす用語に「視」という接頭語がついた場合は、地球中心からのある方向を示すとき、光行差(こうこうさ)による偏移を加えた位置のことを意味する。

[関口直甫]

月の形状と自転

月を地球から眺めたときの表面の形は、ほぼ円形で、多少の不規則性がある。しかし、表面の凹凸により、完全な円形から角度で1秒程度のずれがあり、観測者の見る位置によってその凹凸のようすが違う。この月の縁辺の凹凸の表が作製されており、1952年に出版された『ワイマーの月縁図(げつえんず)』、1963年に出版された『ワッツの月縁図』がよく使用されている。

 月の表面の高低は、アポロ宇宙船からの写真、レーザーやレーダーによる高度測定により詳しく調査された。その結果によれば、概して月の地球に向いた側は地形の起伏が単純であり、裏側は複雑で、月の最低点も裏側にある。また月の重心は月の表面の平均の形の中心より約2キロメートル地球に寄った位置にある。このことは、月の地球に向いた側と反対側とでは内部の地質構造が単純でないことを示す。月の表面の形を、慣性主軸を使って地球に向いた軸(x軸)、月の自転軸(z軸)、それらに直角な軸(y軸)の3方向に軸をもつ三軸不等の楕円体で近似すると、x軸は1736.1キロメートル、y軸は1737.7キロメートル、z軸は1738.0キロメートルで、地球へ向いた軸がもっとも短く、月の極に向いた軸がもっとも長いという奇妙な結果となった。しかし、この三つの慣性主軸の周りの慣性能率をA、B、Cで表すと、Aが最小、Cが最大で、これは理論から予想されることであるが、その差は、
 (C-B)/A=0.000397±0.000008,
 (C-A)/B=0.000628±0.000001,
 (B-A)/C=0.000230±0.000006
と、地球の力学的扁率(へんりつ)より1桁(けた)程度小さい。しかし、もし月が現在の位置で力学的平衡状態のまま固化したとすると、これらは大きすぎる値である。このことから、月は現在位置から比べて地球からの距離が約3分の1ぐらいの場所で誕生して固化し、その後潮汐摩擦の作用で、現在の位置まで後退していったと考える説もある(このことが真であるとしても、三つの主慣性能率の比は理論的には説明できない)。

 月の形状という場合、もう一つの意味は、月の表面に近いところの等ポテンシャル面の形という意味がある。これは、月の周りを回る孫衛星の運動の解析、とくに1971年のアポロ14号の軌道の微細な変化から、月の所々に重力の強い部分があることが発見された。これは丸い形の表面の海の部分に相当することが多く、その地下に密度の高い物質が存在していることを示す。これをマスコンという。たとえば雨の海、晴(はれ)の海などは220ミリガルも正の重力異常が観測された(1ミリガルは0.001cm/sec2の加速度の重力値)。月の表面の重力は地球のそれの約6分の1であるから、月表面の平均重力の約800分の1にあたる。

 月の自転運動については、カッシーニの三法則が知られている。第一法則は「月はそれ自身に固定した軸の周りに一様に回転し、その回転周期は地球の周りの月の軌道運動の周期に等しい」(このため、月はいつも同じ半面を地球に向けている)。第二法則は「月の赤道面は黄道面と一定の角度(約1度32分1秒)だけ傾いている」。第三法則は「黄道に対する月の赤道の昇交点は、つねに黄道に対する月の軌道面の降交点に一致する」ということである。カッシーニの法則は力学的に説明できる。しかし、月には地球・太陽の引力が複雑に働くので、カッシーニの法則は厳密には成立しない。こうした原因による法則からの外れを物理秤動(ひょうどう)という。物理秤動のうち、地球や太陽の引力によっておこる部分は、半振幅が角度の1分ぐらいの大きさで、天体暦に毎日の値が記載されている。このほかにきわめて小さい自由秤動があり、その最大の経度方向の秤動は、半振幅が角度で18.7秒、周期が2.8年と測定されている。

 なお、地球上の観測者それぞれが地球のどこにいるかによって月を見る方向が異なるので、月の模様が全体として上下左右に変動して見えることを光学的秤動という。

[関口直甫]

月の明るさ

月は、地球から平均距離にあるときに満月になると、その実視等級はマイナス12.6等であるが、満月から外れると急激に明るさは落ち、上弦または下弦のときにはマイナス9.9等となる。これは満月の明るさの12分の1に相当する。このように満月のときに急激に明るくなる現象を衝(しょう)効果という。衝効果は非常に粗い表面をもつ物体で生じるが、月の場合にはきわめて極端であって、細かい岩石の粉がふんわりと堆積(たいせき)しているためと考えられる。

 月の表面はきわめて特異な光学的性質をもっている。月の表面に垂直に光が入射した場合、その光はある地点で反射していろいろな方向に散乱するが、光がきた方向に散乱する光がもっとも強い。さらに、月面に斜めに入射した場合にも、やはり光がきた方向に返っていく光がもっとも強く、その強さは直角に入射した場合とほぼ同じ強さである。ある地点から、ある方向に発する反射光の強さに比例する長さをもつ、反射光の方向のベクトルを考えると、そのベクトルの先端のつくる曲面の形は、垂直に入射した光の場合も、斜めに入射した光の場合もあまり変わらない。この性質があるため、満月は月の中心でも縁でもほとんど同じ明るさに見える(縁のほうがすこし明るい)。これは非常に粗い面で生じる性質であるが、月面のようにこの性質が完全に成立する面を人工的につくることはむずかしく、森林を飛行機から眺めた場合にこれに近い光学的性質が得られる。人工的に月の模型をつくり、月の表面と同様な形にし、明暗の色をつけても、実際の月を見たのと同じ感じにならないのは、月面と同じ光学的性質をもつ物体を人工的につくることが困難だからである。なお、太陽系の天体のなかでも、月と同じ光学的性質をもつ天体は水星などごく少数で、ほとんどの天体は写真を撮れば縁のほうが暗く見える。

 月の表面は、入射光と反射光の方向が同じでも明るい所と暗い所があり、概して海の部分は陸の部分より約1等級暗い。月面でもっとも明るい場所はアリスタルコスという火口の付近である。またティコなどの火口は光条をもっているが、これは満月のときにはよく光って見え、満月から離れるにつれて見えにくくなる。

[関口直甫]

月の温度

月の表面の温度は満月のときの月面中央で125℃に達することもあるが、夜明けのいちばん寒いときには零下170℃になる。しかしこれは表面の温度で、深さ1メートルぐらいの部分はつねに零下30℃ぐらいに保たれている。これは月の表面の物質がきわめて熱伝導率が小さいことを示している。地上でこのような熱伝導率の小さい物質は、岩石の粉を真空の中に入れると得られる。

[関口直甫]

月の化学組成と内部構造

1969~1972年に行われたアポロ宇宙船の月面着陸で、地球上に多くの月の表面の物質がもたらされたが、これらを大別すると次の4種に分けられる。(1)海型の玄武岩、(2)カリウム、希土類元素およびリンを多く含むいわゆるクリープという玄武岩、(3)20~24%の酸化アルミニウムを含むいわゆるVHAという玄武岩、(4)24%以上の酸化アルミニウムを含む斜長岩的な岩、である。このうち、(4)の岩石がもっとも古く、約46億年前に結晶して月の山地を形成し、そのあと(2)と(3)の岩石が噴出して固化し、最後に(1)の溶岩が約39億~36億年前に広範に噴出して海を形成した。その後の月面の地質学的活動は小規模のものとなり、いままでに発見されたもっとも新しい岩石でもティコの火口壁のものなどごく小部分が31億年前のもので、このころまでに月の表面の形成は終わったと考えられる。

 月の内部のようすは、おもに月面に配置された地震計で調査された。月の地震(月震)は地球の地震に比べて、始めは小さく、しだいに振幅が大きくなり、それから徐々に減衰していく。地球の地震は長くても数分しか続かないが、月の地震は1時間以上も続くことがある。地球の地震はP波やS波などがあって複雑な形をしているが、月の地震の形は単純なものが多い。月の地震のエネルギーはきわめて小さい。観測された月震のうち最大のものはマグニチュード4であるが、地球ではきわめて軽微のものである。月震によって1年間に放出されるエネルギーは、地球の地震で1年間に放出されるそれの1000億分の1の程度である。月震は大部分が表面から700キロメートルの深さのほぼ一定の場所でおこる。地球において観測されたもっとも深い地震は地球表面から700キロメートルの深さでおこっていることを考えると、月では半径の小ささに比べ深い所で月震がおきている。また月震のおこる頻度には14日および206日の周期があるが、これは地球や太陽の潮汐力の影響で月震がおきやすいことを示している。

 月の内部は、まず表面から数メートルから数10メートルの深さまではレゴリスといわれる表土からなっている。その下には玄武岩質の岩石があるが、深さ1400メートルから下はとくに固い玄武岩質で、約25キロメートルまでこの状態が続き、この下約65キロメートルまで、性質の異なる玄武岩か、または斑糲(はんれい)岩あるいは斜長岩質斑糲岩であろうと考えられている。65キロメートルから150キロメートルまでは、地震波速度からパイロキシナイトと橄欖(かんらん)岩のような輝石と橄欖岩からなる岩石である。深さ800キロメートルまでは完全に固体であるが、それより下は部分的に溶融しているらしい。中心の半径約700キロメートルの部分は完全に溶融していると考えられている。

[関口直甫]

月面地形とその成因

月面は1960年代の後半から、地球から見えない部分も調査できるようになり、月の裏側は表側とかなり異なるようすをしていることが明らかとなった。月の表面は大別して、海とよばれる比較的平坦(へいたん)な部分と、複雑な起伏に富んだ山地とに分かれるといわれている。しかし、海はおもに月の地球に向いた半分に集中し、裏側には、いままで月の秤動によってわずかに見えていた縁に近い部分にある東の海、縁の海、それから地球からまったく見えないモスクワの海しかない。海には、地球から望遠鏡で見える程度の大きさの火口は少ないが、直径数百メートル以下の小さな火口は非常に高い密度で存在している。このほか、しわやひびが数多くある。しわはリンクル・リッジといわれ、晴の海には海岸線に並行した顕著なものがある。また細かい縄のような構造もある。たぶん溶岩があふれて生じたものであろう。ひびはリルといわれ、比較的直線に近いものや蛇行するものがあるが、底が平らな陥没した溝のようなもの(アリアデウス谷)、小火口の連鎖のようなもの(ヒギヌス谷)、中央に小火口列のような細い割れ目をもつもの(アルプス谷)、シニュアス・リルという非常に長く蛇行するもの(プリンツの付近の谷)など、千差万別である。海は、約三十数億年前に月の内部から大量の溶岩があふれ出てできたものであろう。なお、月の表側の海では前述のように地下に密度の高い物質、マスコンがある。

 月の裏側には顕著なマスコンはない。月には大小さまざまな火口があり、とくに山地に密集している。地上から望遠鏡で見えるものは、形態によって次のような種類がある。(1)壁平原(かべへいげん)――城壁のような丸い壁で取り囲まれた平地。例はプラトーなど。(2)山環(さんかん)――海の中に山が環のように連なったもの。壁平原が海中に没しかけたように見える。(3)環平原――もっとも月の火口らしい形のもので、ブリアルドス、コペルニクスなど中央に丘をもつものが多い。(4)噴火口――環平原より数が多く、直径は50キロメートル以下で、縁はすべすべして丸い。ベッセル、バートなどがその例。(5)小火口――直径1キロメートル程度で、地上の望遠鏡でやっと認められる。(6)凹孔――周壁の高さが全然ないもの。たとえばヒギヌスなど。(7)火口丘――険しい円錐(えんすい)形の山で頂上に凹孔をもつもの。アルフォンズスの中央丘がこれである。地球上の火山と同じもの。(8)まぼろし火口――海の中にかすかに見えるもので、周囲と多少色が違うからわかるもの。(9)くぼみ――不規則な形の小さいくぼみ。

 月の火口の成因は、種類によって異なるようである。古くから、月の内部の地質活動または火山活動によって生じたとする内因説と、外部から隕石(いんせき)などが衝突して生じたとする外因説とがあった。月探査機による調査の結果を総合すると、次のようにいえる。まず、地上から望遠鏡で見ることがむずかしい小さな海の火口は、大部分は内因的起源をもつものであるが、個々の火口が内因的なものか外因的なものかを区別することはむずかしい。確実に外因的なものであると断定できる豊かの海のメシエとメシエAでも、その底に溶岩があふれていることが認められる。環平原はたとえ外因的な事件がきっかけで成立したとしても、その外壁や内部には顕著な溶岩流があり、現在の形になるまでに活発で大規模な地質活動があったことがうかがわれる。

 月の裏側は、月の表面の山地の地質層が非常に厚い。またサラッソイドという巨大な中心対称の地形が多く、東の海などはその典型的なものである。

[関口直甫]

地球に及ぼす影響

月は地球から見て太陽に次いで明るい天体であり、人工衛星以外では地球にもっとも近い天体である。月は世界各国で宗教的な信仰の対象として、また文学の素材として人類の文化に深い影響を与えてきた。そのうえに、月の満ち欠けの周期は暦上の時間尺度としても利用されてきた。灯火のない時代には、月があることは夜間の活動に大きな影響を与えたであろう。また月は地球に大きな潮汐力を及ぼす。月は太陽に比べて質量は小さいが、距離が近いので、月の潮汐力は太陽の潮汐力の2倍くらい強い。月が満月または新月のときは、月と太陽との潮汐力は重なり合って互いに強め合うので、潮汐力は強くなり、海の満潮と干潮との差は大きくなる。これを大潮(おおしお)という。これに対して、月が上弦と下弦にあるときは、月と太陽との潮汐力は弱め合って、満潮と干潮のときの海面の高さの差は小さくなる。これを小潮(こしお)という。大潮や小潮は海浜で漁業を営む者にとっては重要な関心がある。したがって月の満ち欠けの周期はこれらの人たちの生活に重要なかかわりがあり、暦のなかに月の周期を設けることは必要なことであった。季節の移り変わりを示す1年も人間生活に大きなかかわりがあるので、1年の太陽の運動と月の運動とを折衷した太陰太陽暦は、東洋では近代まで用いられてきた。イスラム教国などで1年の季節の変化が少ない国では、純粋に月の満ち欠けのみに基づく純太陰暦が用いられている。ヨーロッパでは、月の満ち欠けの周期は痕跡(こんせき)的に現行のグレゴリオ暦のなかに残っているが、実際には月の満ち欠けと関係のない太陽暦となっている。月の地球に及ぼす影響はおもに潮汐力によるもので、海の潮汐の最大の原因となっている。このほか、地球本体がゆがむ地球潮汐も月の潮汐力が最大の原因である。このため、地球の表面と地球の中心との距離は、最大で平均より21センチメートルも変化する。また潮汐力は地球表面の鉛直線の方向も変化させる。地球潮汐や鉛直線の偏差の研究は地球の内部構造の研究に役だつ。

 月の潮汐力は、また地球に偶力を及ぼし、地球自転軸の歳差や章動の原因となる。歳差も章動も、太陽の潮汐力も原因となるが、月の作用のほうが大きい。章動項のうち最大のものは、18.6年周期(月の交点が黄道を1周する周期)のものである。

[関口直甫]

月の神話と伝承

月にまつわる神話、伝説は、全世界でさまざまな形でみられる。まず、月の表面の陰影の部分はどのように解釈されているだろうか。日本では月の中にはウサギがいると説明されるが、この考え方はインド、内陸アジア、中国、中央アメリカでもみられる。また月の中の影は水をくむ人を表すとする観念は、北方ユーラシア、沖縄、北アメリカ北西海岸の諸民族の間でみられる。たとえば中国北方の少数民族ホジェンには、姑(しゅうとめ)にいじめられた嫁が昇天して月の嫁になり、月に住んで水くみをしている姿だという伝承がある。このほか、月の中の影が機織(はたお)り女や、樹皮布をたたく女に見立てての伝承もあり、インドネシアからポリネシアにかけて広く分布している。ポリネシアでは、月の女神ヒナがタパという樹皮布をたたいてこしらえているのだという。このほか中国では、伝説上の人物羿(げい)が西王母からもらった不死の薬を、妻の姮娥(こうが)が盗んで飲み、仙人となって月に逃げ込んだ姿であるとか、呉剛という男が、罰として、伐(き)っても伐っても伐り口のふさがってしまうカツラの木を伐り倒すために、斧(おの)を振るい続けている姿だという伝えもある。

 月の起源については、人類の起源に先だつ創世神話のなかでしばしば語られている。中国神話では、大昔、原初の巨人、盤古(ばんこ)が死んだとき、その頭は四岳となり、目は日、月となり、脂は江海、毛髪は草木となったという。ニュージーランドのマオリの神話では、世界の最初には混沌(こんとん)状態があり、そのなかにイオという名の至高神が生まれ、次に太陽と月と星が生まれ、太陽の系統から20代を経て天が生まれ、一方、月の系統から20代を経て大地が生じたという。フィリピンのマンダヤ人の神話では、昔、太陽と月は夫婦であったが、けんかをして妻の月は家出してしまった。残った子供たちは、世話をしてくれる母親がいなくなったのでみな死んでしまった。月はかわいそうに思って子供たちの死体を集め、細かく切り刻んで空中にまいた。水中に落ちた破片は魚となり、地上に落ちたのは蛇や獣となり、天に行った破片は星となったという。マヤの神話「ポポル・ブフ」によれば、双子の文化英雄フンアフプーとイショパランケーがさまざまの悪を退治し、最後に天に昇って太陽と月になったという。

 月の満ち欠けの現象は、月の死と再生であると考えられて、人類の死の起源神話と結び付いて語られることがある。アフリカの遊牧民コイ人の神話によると、昔、月が人類に不死を授けようとしたが、人間に伝言を伝えたウサギが、人間は死すべきものだと伝えたことによって、人間は死ぬようになったという。

 月食もまた月の特徴の一つであるが、インド神話には、日食と月食の起源が次のように語られている。神々はあるとき不死の飲料であるアムリタをつくるためにマンダラ山を引き抜いて、これで大海を攪拌(かくはん)した。すると大海から太陽と月とそのほか幾たりかの神々が出現し、最後にアムリタができあがった。神々がこうしてつくりだしたアムリタを飲んでいると、魔族のラーフが神に変装してアムリタを飲み始めた。アムリタがラーフののどに達したとき、日神と月神がそれをみつけてビシュヌに告げたため、ラーフは首をはねられた。しかし首はすでに不死となっており、以来ラーフの首は太陽と月を恨んで、これらをとらえてはしばしば日食、月食をおこすようになったという。

[清水 純]

日本の習俗

夜間の照明の十分に発達しなかった時代においては月夜はなによりの恩恵であった。したがって月についての年中行事や伝説は多い。古く平安時代には観月の宴が宮廷で開かれ、名歌が今日まで伝えられている。

 現代においても年中行事は月齢によって行われているものが多い。たとえば小正月(こしょうがつ)という正月15日は1年中でもっとも多くの行事の行われる日で、どんど焼きなどの火祭が全国的に行われる。八月十五夜は名月といい、観月の宴が催される。月見団子にススキを供え、また芋(いも)名月といって芋をあげる。九月十三夜は後の月見、豆名月といい、筑前(ちくぜん)(福岡県)糟屋(かすや)郡ではこれを女名月とよぶ。信州(長野県)北安曇(きたあずみ)郡では小麦の月見といい、この日天気がよければ麦が豊作だと伝える。また、月見の晩には他人の畑の作物を盗んでもよいなどともいわれている。10月10日の月見を8月、9月の月見と並べて三月見といい、この夜晴天なら稲が豊作だという。

 月に関連した行事として綱引きをする習俗がある。東日本では小正月に、西日本では盆綱引きといって7月または8月の15日にする所が多い。二つの集落が対抗して行う例が多く、勝ったほうがその年豊年だという年占(としうら)行事となっている。九州ではこれは初収穫の祝いとしている。また沖縄でも8月15日の綱引きをやり、この日新米でご飯を炊き、これを先祖に供えている。

 月に関連した行事として全国的に行われているものに月待講(つきまちこう)がある。土地によって日を異にして、十七夜、十八夜、十九夜、二十二夜、二十三夜、二十六夜などがある。行う月は正月だけという所もあるが、正、5、9月の3回という例がかなり多い。また土地によって男女が日を別にしている例もある。群馬県多野郡では二十二夜は女、二十三夜と二十六夜は男がしている。月についての言い伝えとして、日本では月面の黒い斑点(はんてん)を兎(うさぎ)が餅(もち)を搗(つ)いているというが、中国でも兎とはいうが、餅を搗いているとはいわず、兎と蟾蜍(せんじょ)(ヒキガエル、転じて月の異称)がいるという。

[大藤時彦]

月と文学

花鳥風月、雪月花、花月など、早くから自然美の典型的な風物として意識されてきた。神話の世界では、太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ)に次いで、月読尊(つきよみのみこと)として神格化されている。文学の面では、『万葉集』や『懐風藻(かいふうそう)』などでは、船や鏡に見立てたり、桂(かつら)の木があると想像したり、無常を感じたりする、漢詩文の影響による趣向がみられ、平安時代の詩歌にも受け継がれていく。『竹取物語』では、月の都からきたかぐや姫が主人公となるが、「月の顔見るは忌むこと」という禁忌が記され、無常を感じるものとの共通性もあるが、この禁忌は『源氏物語』『紫式部日記』『更級(さらしな)日記』などにもみられ、『白氏文集(はくしもんじゅう)』の「月明ニ対シテ往時ヲ思フコト莫(な)カレ、君ノ顔色ヲ損ナヒ君ノ年ヲ減ズ」などとの関連もいわれる。平安時代には月に対する美意識がいちだんと深まり、「あたら夜の月と花とを同じくはあはれ知れらむ人に見せばや」(『後撰(ごせん)集』春下・源信明(さねあきら))などと詠まれた。四季それぞれもてはやされたが、とりわけ「秋の夜の月」は情趣深いものとされ、「長月(ながつき)の二十日(はつか)余りの有明(ありあけ)の夜の月」はその極致として賞美された。月の満ち欠けにより、新月と満月との間に、三日月(みかづき)、弓張月(ゆみはりづき)、望月(もちづき)、十六夜(いざよい)月、立待(たちまち)月(17日)、居待(いまち)月(18日)、寝待(ねまち)月(19日)、更待(ふけまち)月(20日)、有明月などの異名があり、夕方の月も「夕月(ゆうづき)」「夕月夜(ゆうづくよ)」とよばれ、それぞれ趣(おもむき)深いものとされた。

 春のおぼろの月も愛され、『源氏物語』の朧(おぼろ)月夜などという女君も生み出された。「師走(しわす)の月」は「すさまじきもの」といわれたが、あえて異見も唱えられた。季題としては四季折々にあるが、やはり秋が中心で、数も多く、ただ「月」といえば秋の季語となる。「名月や池をめぐりて夜もすがら」(芭蕉(ばしょう))。

[小町谷照彦]

『関口直甫著『月面裁判――月面地形の起源』(1960・恒星社厚生閣)』『広瀬秀雄編『新天文学講座4 地球と月』(1963・恒星社厚生閣)』『古在由秀他編『現代天文学講座2 月と小惑星』(1979・恒星社厚生閣)』『NASA協力・小尾信彌訳・著『月 写真集』普及版(2004・朝倉書店)』『宇宙航空研究開発機構編・著『月のかぐや』(2009・新潮社)』『宇宙科学研究倶楽部著『月の謎と不思議がわかる本――もっとも身近な天体の真実に迫る!』(2010・学研パブリッシング)』



月(周期)
つき

地球の衛星である月(太陰)が天球上を1周する周期で、天文学的に5種類の月がある。暦法上重要なものは太陽に対して月が1周する周期で、朔望月(さくぼうげつ)という。朔・上弦・望・下弦の位相はこの周期で繰り返す。春分点に対して1周するのを分点月(回帰月)、月の近地点に対して1周するのを近点月、同一恒星に対して1周するのを恒星月、月の天球上の径路白道と黄道の昇交点に対して1周するのを交点月という。その平均の長さは次のとおりである(2000年1月1.5日の黄道と春分点に準拠した値)。

朔望月 29.530589日=29日12時43分48.0秒
分点月 27.321582日=27日7時43分12.0秒
近点月 27.554550日=27日13時18分36.0秒
恒星月 27.321662日=27日7時43分12.0秒
交点月 27.212221日=27日5時5分24.0秒
 太陰暦・太陰太陽暦では朔望月の端数を切り捨て、切り上げて29日・30日を、また、太陽暦では28日から31日までの4種を1か月として用いる。

[渡辺敏夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

普及版 字通 「月」の読み・字形・画数・意味


常用漢字 4画

(旧字)
4画

[字音] ゲツ・ガツ(グヮツ)
[字訓] つき

[説文解字]
[甲骨文]
[金文]

[字形] 象形
月の形に象る。〔説文〕七上に「闕(か)くるなり。太陰のなり。象形」という。〔釈名、釈天〕に「日は實なり」「は闕なり」とあり、当時行われた音義説である。卜文の字形は時期によって異なり、月と夕とが互易することがあるが、要するに三日月の形である。

[訓義]
1. つき。
2. 月の盈虚する期間。一ケ月。
3. 年月、としつき、時間。
4. 月経。

[古辞書の訓]
〔名義抄〕 ツキ・ヨル・カクル

[部首]
〔説文〕に(朔)・(覇)・(期)など七字、〔新附〕として二字を属し、〔玉〕に臘など九字を加える。また〔説文〕はの部を次に加え、(有)の字形に含まれるを日月の月の意とするが、有は肉をもつ形で侑の初文。牲肉を薦める意の字である。

[語系]
ngiuat、闕giuatは古くは声の近い語であった。また日njiet、實(実)djietも、かつては声の近い語であった。

[熟語]
月域・月陰・月宇・月暈・月影・月盈・月円・月宴・月下・月・月華・月芽・月娥・月・月客・月額・月檻・月・月輝・月・月吉・月脚・月宮・月給・月御・月窟・月桂・月・月計・月経・月結・月闕・月圏・月弦・月午・月光・月痕・月彩・月朔・月参・月子・月・月祀・月次・月児・月事・月日・月・月樹・月出・月初・月書・月城・月色・月食・月・月信・月水・月正・月成・月清・月精・月夕・月扇・月前・月・月朶・月台・月旦・月池・月朝・月汀・月天・月点・月纏・月殿・月・月頭・月波・月白・月魄・月尾・月眉・月表・月評・月斧・月餠・月浦・月望・月貌・月奉・月俸・月峰・月明・月面・月夜・月余・月要・月落・月裏・月亮・月輪・月林・月廩・月令・月霊・月齢・月露・月老・月楼・月籠
[下接語]
雲月・越月・閲月・掩月・花月・佳月・嘉月・海月・隔月・看月・寒月・観月・玩月・季月・期月・吉月・客月・去月・極月・吟月・傾月・弦月・孤月・江月・皎月・今月・歳月・朔月・山月・残月・時月・日月・斜月・秋月・旬月・閏月・初月・暑月・小月・正月・上月・心月・晨月・新月・水月・夕月・先月・前月・素月・霜月・大月・吐月・年月・半月・眉月・風月・望月・毎月・満月・密月・無月・名月・明月・孟月・来月・落月・臨月・累月・例月・連月・弄月・朗月・

出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「月」の意味・わかりやすい解説


つき
moon

地球の衛星。半径 1738kmで地球の約4分の1,質量は約 81分の1で,太陽系の諸衛星中でも最大の部類に属する。比重約 3.34で地球の約 0.6倍,表面重力は地球の約6分の1,大気はほとんどなくアルベドは 0.073。地球との共通重心を焦点とする平均距離 38万 4400kmの楕円軌道上を 27.32日で1公転し,また地球と同方向に同じ周期で自転するので,いつも地球に対し同じ面を向けている。実際の公転速度は一貫しているが,月が日々描く日周弧は多少変化していくので,月が地球へ向ける面はそれに応じて変動する。地球上の観察者から見れば月はほぼ公転周期と等しい周期でわずかに変動することになり,この変動を秤動と呼ぶ。
1959年ソ連の宇宙探査機ルナ3号 (→ルナ ) により地球に向いていない月の裏側が初めて撮影され,1960年代の終りにはアメリカのルナオービターの探査活動によって月面の表側と裏側を含む全体の近接写真が撮影された。月の地形は,地球から見て白っぽく見える部分 (高地) と,黒っぽく見える部分 (月の海) の2つに大別される。 17世紀のイタリアの天文学者 G.リッチオリは,この暗い領域を「雨の海」や「神酒の海」のように月の海と名づけた。高地はおもに斜長岩質の角礫岩から成り,月の海の部分は玄武岩質の岩石から成っている。高地の部分が形成された年代は 40億年以上前であり,月の海の部分に玄武岩が噴出したのは 40億~33億年前であることがアポロ計画による月岩石の研究からわかった。月面は隕石小惑星の衝突によって表層が粉砕されて形成された岩石破片の微細粒子から成る表土層でおおわれているがその地形上のもっとも特徴的な形態はクレータである。クレータはおよそ 200kmあるいはそれ以上の直径にまで達するものがある。大小さまざまな非常に多くのクレータが月面上に散らばっていて,なかには互いに重なりあうものもある。大型クレータのほとんどは天体が高速度で月面に当たって形成されたものと考えられるが,比較的小さくてさしわたしが 1kmより小さなものの多くは,爆発性の火山活動により形成された可能性がある。ほとんどのクレータには外周輪があるが典型的なものでは周囲よりも 1500mも高いものある。また,多くの場合クレータ内には衝突時のはね返り現象による1つまたは数個の中央丘がある。海として知られる月面上の周囲より暗い領域には比較的クレータが少いが,これは海が大部分のクレータができたのち,その上へ広がった巨大な溶岩流であるためだと考えられている。その他の注目に値する地形的な特徴としてはリルと呼ばれる深い峡谷構造がある。リルは数百 kmも続くものがあり,海や大きなクレータの縁にある山脈や丘のなかに平行したグループの形で存在する傾向がある。また,アメリカの打上げた孫衛星の軌道データの解析やその後のアポロ計画の詳細な探査の結果,月面にはマスコンと呼ばれる重力の強い部分があることが判明している。
月の起源についてはいろいろな理論が提起されてきた。 19世紀末にイギリスの天文学者 G.H.ダーウィンが太陽潮汐の数学的理論をもとに,月は本来は地球の一部であったものが潮汐力により切り離されて地球から遠ざかったという地球放出説を唱えた。ほかに地球と月は原始の星間雲から同時に形成されたとする同時成長説 (地球周辺凝結説) や月は太陽系のどこか別の場所で形成され,その後地球により捕捉されたとされる軌道捕獲説があるが,どれもが物理学的にも地球化学的にも説明しきれない点がある。これらの従来の仮説に加えて,より矛盾の少い巨大衝撃説 (衝突岩屑説) が唱えられている。この理論によれば太陽系の歴史の初期に,火星ほどの大きさをもつ天体が原始地球に衝突した結果,破片の雲が地球周囲の軌道に飛出し,その後一体となって固まり月となったとされる。衝突前の地球は金属質の中心部とケイ酸塩に富むマントルが分化していたため,飛出した物質 (つまり原始月) はケイ酸塩が支配的な構成物となり,一方の地球では金属質の核ができあがったと考えられる。しかし,この説で月の起源が完全に究明されたわけではない。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「月」の意味・わかりやすい解説

月(天体)【つき】

太陰とも。地球の衛星。半径1738km(地球の約1/4),体積は地球の約1/50,質量は地球の0.0123倍,比重3.35,表面重力は地球の0.17倍。地球からの平均距離は38万4400km(地球赤道半径の約60倍),視半径15′33″で太陽とほぼ等しい。地球のまわりを恒星に対し周期約27.3日(恒星月)で公転しており,太陽光を反射して輝き,周期約29.5日(朔(さく)望月)で満ち欠けする。最大光度−12.5等(太陽の明るさの約50万分の1)。公転周期と同じ周期で自転するため,つねに地球へ同じ半面を向けているが,自転軸が公転軸に対して6°41′傾き,公転軌道面(白道面)も地球公転面(黄道面)に対し5°9′傾いているうえ,太陽引力の作用で月の公転運動が複雑に変動するため,地球からは月の全面の59%が見える。 月面には暗い平たんな〈海〉と呼ばれる部分と,明るく起伏に富む〈陸〉と呼ばれる部分があり,おもに後者に大小さまざまのクレーター,断層や亀裂などの構造線,クレーターから四方にのびる光条がみられる。月面には大気も水もなく,昼夜それぞれ約15日間続くため,昼間温度100℃以上,夜間温度−100℃以下になり,生物存在の可能性はない。表面は玄武岩に似た岩石からなる。月の年齢は地球(約45億年)と同程度かそれ以上と測定されている。月の成因については,地球から分離したとする潮汐(ちょうせき)進化説は否定され,太陽系生成の際地球とともにできたとする説が有力だが,他に遠方でできた小型惑星が地球の近くを通過するとき捕獲されたとする説がある。 1950年代から米国,ソ連によって始められた月探査によって,数多くの新データが得られた。(1)大気 月面に存在するガスの全濃度は,1cm3当りの分子数でいうと2×105程度で,太陽系空間の太陽風の圧力以上の大気が月にないことを示している。(2)月の重力異常(マスコン) 月を周回した探査機の軌道から,月面には重力がまわりに比べて強い場所があることがわかり,マスコンと名づけられた。表側ではマスコンと〈海〉の地域は一致するが,裏側では必ずしも一致しない。(3)月の形 慣性楕円体の最長軸を地球に向けているが,重力等ポテンシャル面の形は最短軸を地球に向けている。地球から測定した月の平均半径は1738kmであるが,実際はこれより小さく,1736kmに近い。(4)月の岩石 〈海〉の岩石は玄武岩質で36億〜39億年前に形成され,山地の岩石は斜長岩的な岩石で約46億年前に形成された。月から持ち帰った岩石で最も若いものは約31億年前のもので,この時期以降月の火山活動はほとんど停止したと推測される。(5)月の内部構造 月の地震の解析から,第1帯(深さ60kmまで,斜長岩質),第2帯(深さ300kmまで,カンラン石に近い超塩基性岩),第3帯(深さ800kmまで,ポアソン比の高い岩石),第4帯(中心近くまで,部分溶融している部分),第5帯(中心から半径170〜360kmの部分,鉄と硫黄からなり溶融している)に分かれる。表面の10mあたりまではレゴリスと呼ばれる細かい砂や泥,その下の厚さ100〜300mはレゴリスの少し固まったもの。(6)月の磁場 地球磁場の1000分の1くらいの磁場を記録したが,局所的なもので,一般磁場は未発見。 古代の神話では月は女神とされ,西洋のシンボリズムの体系の中では一般に,太陽の能動性を受け入れてはらむ多産な受動性を表す。錬金術でも女性原理を表し,水銀,揮発性物質,冷,湿を象徴。

月(時間)【つき】

(1)天文学では,月の運動の周期性によって規定される時間の長さ。基準を(さく),春分点恒星近地点昇交点にとった場合をそれぞれ朔望月分点月恒星月近点月交点月という。(2)暦では一年を12区分した暦月をいう。西洋の月名はローマに由来し,1・3・5・6月は神名(ヤヌス,マルス,マイア,ユノ),2月は贖罪の祭りであるフェブルア祭が語源。4月については不詳だが〈開く〉という動詞からきたともいう。7・8月はユリウス・カエサル,アウグストゥスを記念して挿入,このため7〜10番目の月を意味する語が2ヵ月ずつずれて9〜12月の名になった。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

知恵蔵 「月」の解説

衛星」のページをご覧ください。

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

占い用語集 「月」の解説

蟹座の支配星。占星術的には個人の私的な生活感情の土台になっている。幼児期に形成された基本的な性格や感情の現れ方は、この月の属するサインの場所とアスペクトによって判断する事が多い。快や不快といった感情はこの月から表現される。古代ローマの軍神ディアナ(ギリシア神話ではアルテミス)から命名。西洋ではそれに由来して、六月生まれの蟹座の女性にダイアナと命名することが多い。月はまた人類の暦の歴史を語る上でも欠かせない存在である。

出典 占い学校 アカデメイア・カレッジ占い用語集について 情報

デジタル大辞泉プラス 「月」の解説

2023年公開の日本映画。辺見庸の同名小説を原作とする。監督・脚本:石井裕也。出演:宮沢りえ、磯村勇斗ほか。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のの言及

【衛星】より

…現在約50個が知られているが(表1-I,II,IIIにおもな衛星の一覧を示す),今後さらに増える可能性がある。地球の月も衛星であり,衛星のことを単に月moonということもある。月以外の衛星はすべて望遠鏡を使って発見された。…

【ウサギ(兎)】より

…飼育箱の床はすのこ張りにして足をぬらさぬように注意する。生後8ヵ月くらいから繁殖に供用できる。妊娠期間は30日で5~6匹の子が生まれる。…

【ウシ(牛)】より

…最近はミルカーが普及して手しぼりは少なくなった。 ウシは品種によって差はあるが通例生後18ヵ月くらいから繁殖に供用する。周年繁殖が可能で,雌は妊娠しない限り21日ごとに発情を繰り返す。…

【岩石】より

…岩石とは地球の表層部(地殻とマントル上部)を構成する固体物質である。近年は地球以外の惑星や月の表層部を構成する固体物質も岩石と呼んでいる。岩石は一般に鉱物(おもにケイ酸塩鉱物)の集合物で,かつ固結したものである。…

【銀】より

…統制撤廃直前の政府買入値は1kg9700円。日本の銀価格は現在,毎月上旬,中旬,下旬ごとに発表される精錬会社建値が基準となっているが,その算出法はロンドン銀市場とアメリカの大手貴金属商であるハンディ・ハーマンHandy & Harman社が発表する建値の平均を為替レートで調整し,金利,輸入諸掛りを加算するというものである。写真フィルム,電子機器メーカーなど大手需要家は,この精錬会社建値を基準に購入している。…

【地震】より

…1755年リスボン地震はこの系統のもので,Mは9に近いと推測される。
【地震活動の性質】
 地震は1日のどの時間帯にも,1年のどの月にも,まんべんなく起こるものである。月の満ち欠け(月齢)や太陽活動の11年周期などとも,特に関係はない。…

【水銀】より

…一方,化学物質としての水銀は〈世俗の水銀〉の名で呼ばれ,シンボルとしての水銀から区別された。なお,硫黄を太陽で,水銀をで表す一対の図像は,錬金術の汎性論的性格を示すものである。占星術では水銀は水星と等置される。…

【日食】より

…太陽が月によって隠される現象。このときは,太陽,月,地球が一直線上に並び,太陽による月の影が地上にできる。…

【暦】より

…1日を単位として長い時間を年,月,日によって数える体系。その体系を構成する暦法,またはそれを記載した暦表,暦書をいうこともある。…

※「月」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

世界の電気自動車市場

米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...

世界の電気自動車市場の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android