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アラスの和約 アラスのわやくTreaty of Arras

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アラスの和約
アラスのわやく
Treaty of Arras

(1) フランス王シャルル6世とブルゴーニュ公ジャン (無畏公) との和約 (1414) 。 (2) フランス王シャルル7世とブルゴーニュ公フィリップ (善良公) との和約 (1435.9.21.) 。百年戦争を終結へと導いたものとして重要。 (3) フランス王ルイ 11世とのちの神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世との和約 (1482.12.23.) 。旧ブルゴーニュ公領をめぐる争いで,これによりルイ 11世はすでに入手していたブルゴーニュ地方に加え,ピカルディー地方を獲得。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アラスの和約
あらすのわやく

1435年、フランス王シャルル7世とブルゴーニュ侯フィリップとの間に締結され、実質的に百年戦争を終結させた条約。アザンクールの戦い(1415)以後イングランド軍がノルマンディーを支配した。1419年、追い詰められたアルマニャック派はブルゴーニュ侯ジャンを謀殺して、ロアール河畔に逃れ、ブールジュに政庁を構えた。新ブルゴーニュ侯フィリップ2世はイングランドのランカスター王家との同盟策をとり、1420年トロアTroyesの和約を実現せしめた。1422年、その和約に基づいて、イングランド国王ヘンリー5世の息子ヘンリーが「イングランドとフランスの王」を称した。ヘンリー6世である。1420年代、フィリップはネーデルラント方面に関心を移し、パリにはヘンリーの名代ベドフォード侯ジョンが政庁を構えた。ブールジュの王太子シャルルはしだいにその党派的色彩を洗い落とし、フランス王としての自覚に目覚めた。1429年のオルレアンの攻防が転換点となって、シャルルは攻勢に転じたが、ランカスター家との性急な対決は避け、まずブルゴーニュ侯との和解を図った。
 1435年夏、アルトア(フランス北部)のアラスArrasで国際会議が開かれた。いわば「15世紀のウィーン会議」である。会議をリードしたのは王太子、いまやバロア王家のシャルル7世であり、そのねらいとしたブルゴーニュ・バロア単独講和が実現され、ランカスター家は局外に置かれた。まずブルゴーニュ家と和してのち、ランカスター家にあたる。この方針は、同時に、ネーデルラント方面に伸張してフランス王国から離脱しようとする傾きをみせたブルゴーニュ侯家を、王家の統制内につなぎ止めることをねらったものであった。9月20日に成立した和平協定は、バロア家がブルゴーニュ侯ジャンの謀殺について謝罪し、フィリップ一代についてフランス王家への臣従礼を特免し、ソンム川流域諸都市に対する上級領主権の譲渡を含む領土の割譲を侯家に約するものであり、バロア家としては、この譲歩によって、侯家のフランス王国からの離脱を阻止しえたのである。[堀越孝一]

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世界大百科事典内のアラスの和約の言及

【シャルル[7世]】より

…1429年,ジャンヌ・ダルクの奇襲により,イギリス軍に包囲されていたオルレアンが解放され,同年ランスでフランス国王として正式に戴冠された。アルマニャック派とブルゴーニュ派の内戦はアラスの和約で解決(1435),翌年パリを奪回,一時休戦(1444‐49)の後,ノルマンディー,ギュイエンヌからイギリス勢力を追い,カレーのみを残して百年戦争は終結した(1453)。内政面でも官僚制の整備,財政機構の改革(塩などの専売税),常備軍の創設(騎兵軍団や弓兵隊),ガリカニスムの振興(ブールジュの国事詔書)など,国民国家の形成に重要な段階を画した。…

【百年戦争】より

…オルレアン解放ののち,ジャンヌ・ダルクを含む若手の将官団が提言したノルマンディー進攻策を排し,ランスに進駐してフランス王(シャルル7世)として戴冠するという儀式を演じてみせたのも,ブルゴーニュ公との合意のうえでのことであった。この路線の延長線上にアラスの和約が位置する。 35年アルトアの主都アラスで開かれた国際会議は,バロア家とブルゴーニュ家の和議を承認した。…

※「アラスの和約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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