日本大百科全書(ニッポニカ) 「アルバニア文学」の意味・わかりやすい解説
アルバニア文学
あるばにあぶんがく
おもにアルバニア語で書かれた文学。アルバニア語は、インド・ヨーロッパ語族に属する古代バルカンの言語イリリア語から発展、変化したものと考えられているが、近代アルバニア語による文献は、1462年の『洗礼信条』が現存する最古のものである。15~16世紀には主として宗教関係の文献が出版されたが、15世紀後半に国土がオスマン帝国の政治的支配下に置かれると、民族全体、そして文学の発展も著しく阻害された。多くのアルバニア人がイスラムに改宗するにつれて、17~18世紀には、ペルシア、アラビアなどの文学の影響が強まり、これらの言語で創作する詩文学が発達した。そのなかから、フラクラNezim Frakulla(1780―1860ころ)、カンベリHasan Zyko Kamberi(18世紀後半~19世紀初頭)などの詩人が出ている。
一方、15~16世紀にトルコの圧迫を逃れてイタリアに移住したアルバニア人(アルバレシュ人とよばれた)の間では、16世紀後半から世俗的な文学が発展し、19世紀にはデ・ラダJeronim de Rada(1814―1903)のような優れた詩人が出てアルバニア本国の民族文学復興にも寄与した。
アルバニア本国では、民族統一と独立の運動が進展するなかで、15世紀の民族英雄を主人公とした叙事詩『スカンデルベグ物語』(1898)によって近代文学の礎石を置いた作者ナイム・フラシャリその他の詩人、作家が活躍した。第一次世界大戦後には、アルバニア語で書かれた最初の近代小説が現れ、ポストリの小説『追憶の花』(1922)その他が発表された。1920年代にアルバニアが独立すると、文学の流れも多様化し、より豊かなものとなった。夭折(ようせつ)した作家ミギエニは、庶民の悲惨な生活を写実的に描いた短編小説により、リアリズム文学の発展に寄与した。またファン・ノリ、フィシュタGjergj Fishta(1871―1940)らの活躍によって新しい文学の伝統が確立された。
第二次世界大戦後は、社会主義体制の枠内に文学活動が押し込められ、マラショバSejfulla Malëshova(1900―1946)、パチュラミFadil Paçrami(1922―2008)、ニカイNdoc Nikaj(1864―1951)など一部の文学者は粛清の犠牲者となった。文学のテーマも、ドイツ・イタリア軍に対するパルチザン闘争、社会主義建設などが主流となった。シュテリチDhimitër Shuteriqi(1915―2003)の『解放者たち』(1952~1955)、ムサライShevqet Musaraj(1914―1986)の『夜明け前』(1965~1966)、マルコPetro Marko(1913―1991)の『最後の町』(1960)などはこの流れを代表する小説である。続いてプリフティNaum Prifti(1932―2023)、アゴリDritëro Agolli(1931―2017)、ジュバニDhimitër Xhuvani(1934―2009)、カダレIsmail Kadare(1936―2024)らが輩出した。とくに詩人としても小説家としても独創的な才能をもつカダレの作品『死者の軍隊の将軍』は、国の内外で高く評価され20か国語以上に翻訳された。
なお、アルバニア共和国の国土の外にありながらアルバニア人が人口の多くを占めるコソボ地方は、第二次世界大戦後、旧ユーゴスラビアを構成した6共和国の一つセルビア共和国の自治州となった。現在は独立国家コソボ共和国となり、首都プリシュティナを中心に独自の文学が発展している。その代表としては、スレイマニHivzi Sulejmani(1912―1975)、チョシャRexhep Qosja(1936― )、パシュクAnton Pashku(1937―1995)らがあげられる。マケドニア(現、北マケドニア共和国)でもムラト・イサクMurat Isaku(1928―2005)らが活躍した。
[直野 敦]
『工藤幸雄他編『世界の文学史7 北欧・東欧の文学』(1967・明治書院)』▽『イスマイル・カダレ著、平岡敦訳『誰がドルンチナを連れ戻したか』(1994・白水社)』▽『イスマイル・カダレ著、村上光彦訳『夢宮殿』(1994・東京創元社)』▽『イスマイル・カダレ著、平岡敦訳『砕かれた四月』(1995・白水社)』▽『Robert ElsieHistory of Albanin LiteratureⅠ,Ⅱ(1995, Columbia University Press, New York)』