アレクサンデル[6世]
Alexander Ⅵ
生没年:1431-1503
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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アレクサンデル6世
アレクサンデルろくせい
Alexander VI
[生]1431.1.1. バレンシア,ハティバ
[没]1503.8.18. ローマ
スペイン出身の教皇 (在位 1492~1503) 。本名 Rodrigo Borgia。叔父カリクスツス3世の門閥主義で登用され,教会の世俗化に乗じ買収などの手段によって教皇となった。みずから重用した4人の私生子のなかには C.ボルジアがいる。 1498年急進的世俗化に反対したサボナローラを処刑。 93年スペイン,ポルトガル間のアメリカ大陸の国境紛争を調停。史上最悪の教皇に数えられるが,学問,芸術を愛し芸術家たちを庇護した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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アレクサンデル6世(アレクサンデルろくせい)
Alexander Ⅵ (本名 Rodrigo Lansol Borgia)
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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アレクサンデル6世
生年月日:1431年1月1日
教皇(在位1492〜1503)
1503年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のアレクサンデル6世の言及
【ボルジア】より
…ルネサンス・イタリアの政治家。アルバノ司教で枢機卿のロドリゴ・ボルジア(後の教皇アレクサンデル6世)の庶子。1482年教皇シクストゥス4世の首席秘書官を皮切りに,最初は聖職者の道を歩み始める。…
【ボルジア家】より
…このときすでに77歳で多くをなしえなかった。その後同家の地位を上昇させたのは彼の甥ロドリゴ(1431‐1503)で,彼が92年に教皇アレクサンデル6世となったときには同家はほかに4人の枢機卿を擁し,絶頂期を迎える。新大陸発見後のスペイン・ポルトガル間の世界分割の調停,サボナローラの破門宣告,フランス軍のイタリア侵入からのローマの救済などのヨーロッパ外交で手腕を発揮し,ラファエロ,ミケランジェロやブラマンテに絵や建築の仕事を与え,ローマのルネサンス文化を確立させた。…
※「アレクサンデル6世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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