コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

イストラ半島 イストラはんとうIstra

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

イストラ半島
イストラはんとう
Istra

イタリア語ではイストリア Istria。バルカン半島北西端,アドリア海の北部にある半島。面積約 4000km2大部分クロアチア,一部がスロベニア,半島基部のトリエステおよびその近郊はイタリアに属する。有名な港町のプーラは半島の突端近くにある。灌木林を伴うカルスト地帯。ボラと呼ばれる強い北風が吹く。家畜の飼育,穀物,オリーブ,ブドウの栽培が行われる。住民は大部分がクロアチア人で,スロベニア人,イタリア人は少い。海岸にオパティア,ロブランなどの保養地がある。イストラは西ローマの崩壊後,ゴート人の手に落ち,次いでビザンチン,フランクなどの領土となった。9~13世紀にはいろいろな国の一部となり,14世紀にはベネチアの支配下に入った。 1797~1919年の間はオーストリアの一部,以後はイタリア領となる。 45~91年にはトリエステとその近郊を除く地方全部が旧ユーゴスラビアに合併されたが,91年以降独立したクロアチア,スロベニアの一部となった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

イストラはんとう【イストラ半島 Istra】

クロアチア西部のアドリア海に面した半島。半島の基部はスロベニア領。ローマをはじめとし,古来諸民族の支配下に置かれた。南スラブ族が定住したのは6~7世紀。ドイツ,ベネチア,ハプスブルクの支配を受け,1809‐13年には,一時ナポレオンが〈イリュリア諸州〉として統治。その後,オーストリア領に組み入れられた。第1次世界大戦後,ラパロ条約により,イタリア領。第2次世界大戦後,海港トリエステを除く部分がユーゴスラビア領となったが,1991年のユーゴスラビア解体によりクロアチア領,スロベニア領となった。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

イストラ半島
いすとらはんとう
Istra

アドリア海の北西端に南へ向かって突出するほぼ三角形の半島で、大部分はクロアチア共和国に属し、トリエステのみイタリア領。面積約4000平方キロメートル。西はベネチア湾に臨んでトリエステ港を抱き、東側はグバイネル湾に臨んでリエカ港を抱く。その南方に散在する島々をあわせて、英語およびイタリア語ではイストリアIstriaとよばれる。半島は主として石灰岩からなり、カルスト地形を呈する高原である。気候は温暖でかつ乾燥している。穀物、オリーブ、ブドウが栽培され、コペル(イタリア名カポディストリア)はワインの産地として名高い。[三井嘉都夫]

歴史

紀元前2世紀のローマ支配をはじめとし、さまざまな民族の支配下に置かれた。スロベニア人やクロアチア人が移住したのは6~7世紀であるが、それ以後はランゴバルドやフランクやドイツの辺境伯領となった。13~14世紀以後、海岸部はベネチア共和国、内陸部はハプスブルク家の統治下に置かれた。1809~13年、イタリア諸州の一つとしてナポレオンの支配を受け、その後オーストリアの領土に組み入れられたが、実際にはイタリア人の支配を受けた。第一次世界大戦後、1920年のラパロ条約によりイタリア領となる。第二次世界大戦で43年にイタリアが降伏すると、当地の抵抗組織が旧ユーゴスラビアとの統一を宣言。戦後、47年のパリ講和条約により、トリエステを除く部分が旧ユーゴスラビア領となった。トリエステの帰属問題は54年に決着がつき、両国の国境問題は75年の条約で最終的に解決された。91年クロアチアが旧ユーゴスラビアから独立後は大部分がクロアチア領。[柴 宜弘]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

イストラ半島の関連キーワードビラアンジョリーナ聖ステパノ教会リムフィヨルドイストラ温泉ブリユニ諸島聖アンデレ島ダラピッコラスラボニアオパティヤポレッチモトブンクラスロビニ

今日のキーワード

歌舞伎町ブックセンター

東京都新宿区歌舞伎町にある、ホストやホステスが書店員として接客する書店。歌舞伎町でホストクラブを運営するスマッパグループの事務所1階にあるイベント・カフェスペース「jimushono1kai」に併設さ...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android