イスマーイール派(読み)イスマーイールは(英語表記)Ismā‘īlīya

改訂新版 世界大百科事典 「イスマーイール派」の意味・わかりやすい解説

イスマーイール派 (イスマーイールは)
Ismā`īl

イスラム十二イマーム派分派で過激シーア派。シーア派第6代イマーム,ジャーファル・アッサーディクJa`far al-Ṣādiq(699ころ-765)は長子イスマーイールIsmā`īl(?-760)を後継イマームに任命したが,飲酒などの悪癖があったため任命を取り消して弟のムーサーMūsā al-Kāẓim(745ころ-799)を任命した。長子は父の存命中760年に没したが,任命取消しを認めない一部の者たちは,イスマーイールこそ第7代イマームであり,最後のイマームであると主張し七イマーム派と呼ばれた。他方,イスマーイールの死後,イマームの位は息子ムハンマドに伝えられたと主張する一派が現れ,ムバーラクMubārak派と呼ばれ,この派がイスマーイール派の主流になった。イスマーイール派運動の起源は明らかでないが,通説では同派の創始者はイラン人マイムーン・アルカッダーフMaymūn al-Qaddāḥ(生没年不詳)と息子アブド・アッラーフ`Abd Allāh(生没年不詳)とされている。同派は9世紀後半から,初めバスラ,次いでシリアのサラミーヤに秘密の根拠地を設けて活発な活動を行い,各地にダーイーを派遣して布教と勢力の拡大に努めた。10世紀初めに創設されたファーティマ朝の創始者ウバイド・アッラーフは,預言者ムハンマドの娘ファーティマの血統を引くと称し,イスマーイール派を国教とした。同朝はその後エジプトを根拠地としてスンナ派と鋭く対立し,イスラム世界を二分するほどの大勢力となった。一方,この家系をイマームとして認めないカルマト派も生まれた。イスマーイール派はコーランの〈内面的意味(バーティン)〉を重視・強調したので,バーティンBātin派とも呼ばれた。精緻な宗教哲学体系で知られる同派に理論的根拠を与えたのは,10世紀に活躍したイフワーン・アッサファーであった。ファーティマ朝第6代カリフ,ハーキムは自らを神格化する新たな宗派をつくり,この派は初期指導者ダラジーの名にちなんでドルーズ派と呼ばれ,その信徒は現在,シリア,レバノンイスラエルに数十万いる。同朝第8代カリフ,ムスタンシルの死後,後継イマームをめぐって同派は大きく分裂した。第9代カリフ,ムスターリーを支持した派は主流としてムスターリー派と呼ばれ,12世紀後半の同朝の滅亡後も存続し,その末流はボホラ派としてインドミャンマー東アフリカに現存する。一方,第8代カリフにイマームとして任命されたが,後に廃されたニザールNizār(?-1096)を支持する派はニザール派と呼ばれ,ハサン・サッバーフによってイラン,シリアで勢力を拡大し,13世紀半ばモンゴル軍に滅ぼされた。同派の子孫はホジャ派としておもにインド,パキスタンで商人として活躍している。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「イスマーイール派」の意味・わかりやすい解説

イスマーイール派
いすまーいーるは
Ismā‘īlīya

イスラム教シーア派の一分派。七(しち)イマーム派ともよばれる。シーア派の第6代(イスマーイール派では第5代)イマーム(指導者)、ジャアファル・サーディク(699/702―765)の没後、十二イマーム派が次子ムーサー・カージムを第7代としたのに対し、この派は、イマーム位は先に没した長子イスマーイールに伝わっていて、その息子ムハンマドが第7代目で最後のイマームであると主張した。そして、ムハンマドは死んだのではなく将来、救世主(マフディー)としてこの世に再臨すると信じる。彼らは9世紀後半以降、秘密結社的な革命的宣教活動を活発に展開した。この運動の指導者、ウバイド・アッラー‘Ubayd Allāhは自分こそがそのイマームであると宣言し、10世紀初めに北アフリカにファーティマ朝を創設し、スンニー派イスラムに教義的、政治的に挑戦した。教義は時代とともに改変されたが、聖典解釈における秘教的比喩(ひゆ)的解釈の重視、神と人との仲保者であるイマームへの絶対的服従を特徴とする。一支派のニザール派は十字軍に暗殺者教団(アサシン派)として恐れられた。現在、信者は少数ながらシリア、インドなどにいる。

[鎌田 繁]

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百科事典マイペディア 「イスマーイール派」の意味・わかりやすい解説

イスマーイール派【イスマーイールは】

イスラムのシーア派の一分派。シーア派の6代目イマーム,ジャーファル・アッサーディク〔699ころ-765〕の後継者について,その子ムーサー〔745ころ-799〕を立てようとする多数派と,それを認めない派とが対立した。後者はムーサーの兄イスマーイール〔?-760〕の子ムハンマドこそ7代目であり,正統でしかも最後のイマームであるとした。これがイスマーイール派である。同派は9世紀後半から,インド,中央アジア,北アフリカに勢力をもち,ファーティマ朝では国教となったこともある。のち分裂をかさねてカルマト派,ドルーズ派などを生じた。同派の理論的支柱がイフワーン・アッサファーと呼ばれる思想家集団である。
→関連項目アサッシンアラウィー派ドルーズ派

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イスマーイール派」の意味・わかりやすい解説

イスマーイール派
イスマーイールは
Ismā`īlīyah

イスラム教シーア派の一分派。七イマーム派ともいう。シーア派はアリーの子孫をイマーム (教主) として立てていたが,7代目のイマームを6代目の息子ムーサーとすることを主張する者と,ムーサーの兄イスマーイールの子ムハンマドを主張する者とに分れ,前者は十二イマーム派としてシーア派の本流をなし,後者は七イマーム派すなわちイスマーイール派と呼ばれるにいたった。この派は9世紀末以来,インド,北アフリカ (ファーティマ朝) ,中央アジアに勢力を伸ばし,ムスターリー派,ニザール派などの分派を生じた。ニザール派は十字軍時代の暗殺団アサッシン派として知られている。教義はギリシア哲学やキリスト教の影響を受けており,能動知性を通して英知界にのぼり,そこで一者と交わるイマームによって人間の救済があるとした。正統派イスラムの敵のようにいわれるが,独自の解釈ではあるが彼ら自身はイスラムの宗教的義務の履行を重視している。現在ニザール派 25万,ムスターリー派二十余万,そのほか数千の信徒がいるとされている。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「イスマーイール派」の解説

イスマーイール派(イスマーイールは)
al-Ismā‘īlīya

シーア派の一分派。新プラトン派の強い影響や「7」という数字を鍵とする周期的歴史観を特徴とする神学を持つ。また,コーランの内面的意味(バーティン)を重視することからバーティン派とも呼ばれる。ファーティマ朝アサッシンなどの政治勢力を生んだが,現在は南アジア,東アフリカなどを中心に数百万人規模の信徒を擁するにすぎない。

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旺文社世界史事典 三訂版 「イスマーイール派」の解説

イスマーイール派
イスマーイールは
Ismā‘īl

シーア派内の一派
十二イマーム派内の分派で,第6代イマームの長子イスマーイールをイマームと認める一派。9世紀後半より活発な活動を開始し,10世紀にはウバイッドラーがファーティマ朝を建て,イスマーイール派を国教とした。のちに暗殺教団として知られる過激な分派が生まれた。彼らは「山の老人」とも呼ばれ,12世紀イラン北部の山中を拠点に,テロ的な暗殺行為をくりかえした。

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世界大百科事典(旧版)内のイスマーイール派の言及

【イスラム】より

… 長い歴史の間に,ハワーリジュ派,シーア派とも極端な行動と主張に走るものがあった。アズラク派は無差別な殺戮で恐れられ,イスマーイール派は,コーランには文字どおりの(ザーヒルẓāhir)解釈のほかに隠された(バーティンbāṭin)奥義的解釈があり,それはムハンマドからアリーを経て代々のイマームに伝授されたと主張し,バーティン派とも呼ばれた。このような主張は,イスラムと無縁な個人崇拝を容認するものとして,スンナ派から厳しく非難されたが,シーア派の一派にはイマームに超人間的な性格を付与し,最も極端な論をなすものは,アリーおよびその子孫のイマームを神の化身とみなすにいたった。…

【シーア派】より

…シーア派の諸傾向のうちザイド派は,イマームに超自然性を認めず,スンナ派に近い立場をとる。イスマーイール派は〈生きイマーム〉信仰が強く,イマームに服従する。イマームを神格化する派は極端派(グラートGhulāt)と呼ばれ,カルマト派,ヌサイリー派(アラウィー派)がある。…

【ファーティマ朝】より

…エジプトとマグリブを中心としたイスマーイール派の王朝。909‐1171年。…

※「イスマーイール派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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