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イタロ・ビザンチン様式 イタロ・ビザンチンようしきItalo-Byzantine style

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

イタロ・ビザンチン様式
イタロ・ビザンチンようしき
Italo-Byzantine style

字義に従えばビザンチン美術の影響を受けたイタリア美術一般の様式をいうが,特に 11世紀後半から 14世紀初めまでの様式をさす。初期キリスト教時代にもイタリアとビザンチン帝国の芸術上の交流は盛んであった。特に 6世紀初めユスチニアヌス1世ラベンナを東ゴート族(→ゴート人)から奪回し,ユスチニアヌス1世の没後にはビザンチン太守領となったため,ビザンチン様式の直接の流入をみた。また 7~8世紀の教皇の多くはビザンチウムの出身であり,多くのギリシア人画工を擁していた。だが特に 843年イコノクラスムの終結以後ビザンチン美術は第2の黄金期を迎え,ヨーロッパに対する影響は急速に強まった。イタリアではモンテカッシーノ修道院長デジデリウス(1058~86)が先鋒となりビザンチン美術の導入が行なわれた。カプアのサン・タンジェロ・イン・フォルミスの壁画(1072以後)はその好例。カッシーノ風様式はさらに北イタリアを経て北方に伝わり,ロマネスク様式(→ロマネスク美術)の形成に重要な役割を演じた。ジェノバベネチアを経由した十字軍に伴うビザンチン美術の流入も著しいが,特にベネチアではサン・マルコ大聖堂の建設(1063着工)を機に多数のビザンチン工人が活躍し,ルネサンスにいたるまで東方様式の拠点となった。次いでノルマン王治下のシチリア(→シチリア島)でもビザンチン工人の指導のもとに次々と聖堂の装飾が行なわれた。例としてはモンレアーレ大聖堂(1180~94)などがある。イタリアのロマネスク絵画は長くビザンチン様式の影響のもとにあったが,13世紀後半に始まるゴシック絵画(→ゴシック美術)の新潮流はその前世紀に東方に現れた新たな情熱に富んだ表現形式を敏感に反映する。なかでもローマ派の作品(ヤコポ・トリーティ,サンタ・マリア・マジョーレ聖堂,祭室モザイクなど)とドゥッチオ・ディ・ブオニンセーニャのいくつかの作品は異なった仕方で新しいビザンチン様式を反映している。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

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