イラン=イラク戦争(読み)イラン=イラクせんそう(英語表記)Iran-Iraq War

翻訳|Iran-Iraq War

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イラン=イラク戦争」の意味・わかりやすい解説

イラン=イラク戦争
イラン=イラクせんそう
Iran-Iraq War

1980年9月から 88年8月までイランイラクとの間に行われた戦争。 1979年2月のイスラム革命によりイランの最高指導者となったホメイニ師は,周辺アラブ諸国のシーア派イスラム教徒に対しても,抑圧者の政権を倒してイスラムの原理に基づく政治体制に変革するよう呼びかけた。これは湾岸産油諸国の支配者層に脅威を与え,とりわけ人口の過半数をシーア派が占めるイラクのバース党政権にとっては大きな脅威となった。さらに,革命後のイランは各勢力間の抗争や少数民族の反乱によって極度の混乱状態に陥っており,79年 11月アメリカ大使館占拠事件を契機に国際的にも孤立状態にあった。このような状況のなか,80年9月 22日にイラク軍がイランに大々的に侵攻しイラン=イラク戦争が開始された。イラクのフセイン大統領のねらいは,シーア派革命のイラクへの波及を防ぐとともに,この機会にかねてから係争となっていた領土 (特にシャットルアラブ川全部への支配権) を奪い返し,湾岸地域における自己の主導的地位を確立することにあった。 87年7月,イラン軍のバスラ攻略作戦にイラク軍が必死で防戦するなか,即時停戦を求める国連安保理決議 598が採択された。イラクはこれを受諾したが,あくまで戦争責任者フセイン大統領の処分を求めるイランは受諾を拒否した。 87年夏以降,クウェートのタンカー護衛を契機に米,英,仏,ソ連などの海軍力がペルシア湾内に展開,特にアメリカの軍事介入により戦争は国際化の様相を呈した。 88年に入るとイラクが攻勢に転じ,イランの石油施設や都市へのミサイル攻撃を強化するとともに,イラン軍に占領されていた領土の大半を奪回した。このためイランもホメイニ師の決断によって同年7月,ついに決議 598の受諾に踏切り,8月 20日,停戦が成立した。この戦争ではイラン軍の人海戦術やクルド人の反抗に悩まされたイラクが,化学兵器の使用に踏切ったことが特徴的である。8年間にわたる双方の死傷者の数は 150万人をこえ,経済的にも莫大な損害をこうむった。

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