1979年のイラン革命など地域の脅威に対処するため、ペルシャ湾岸の6カ国が81年に設立した地域協力の枠組み。防衛や経済をはじめ幅広い分野での調整、連携を目的としている。本部はサウジアラビアの首都リヤドにある。2023年7月、岸田文雄首相(当時)とブダイウィ事務局長が日本とGCC加盟国の外相会合を定例化することで一致した。林芳正外相(同)が出席して23年9月に初めて外相会合を開催し、今回が2回目。(クウェート市共同)
更新日:
出典 共同通信社 共同通信ニュース用語解説共同通信ニュース用語解説について 情報
略称GCC。ペルシア湾岸6か国(アラブ首長国連邦、バーレーン、クウェート、オマーン、カタール、サウジアラビア)による軍事・経済・文化・情報・社会・司法などの協力機構。事務局はサウジアラビアの首都リヤド。1981年5月、アラブ首長国連邦のアブ・ダビで開いた6か国首脳会議で設立を決定。1979年末から80年にかけてのイラン革命、ソ連のアフガニスタン侵攻、イラン・イラク戦争などへの危機感が契機となった。加盟国間の緊密な協力と協調を目ざし、集団防衛によって大国の介入なしに石油航路の安全を確保すること、また経済的統合などをも目的としている。1990年8月からの湾岸危機では反イラクの共同防衛体制をとり、91年の湾岸戦争後はアメリカ主導の軍事同盟に傾いた。しかしサウジアラビア・カタール、カタール・バーレーン間など加盟国内に領土紛争があり、1992年11月の国防相・外相会議にカタールが不参加。これを発端に1995年12月の首脳会議ではサウジアラビア国王が病気を理由に欠席、カタール首長も共同宣言の採択を拒否。1996年12月の首脳会談をバーレーンがボイコットするなど、内部対立をさらけ出した。2003年のイラク戦争でも、その対応について各国間で意見の統一ができなかった。一方、経済問題については、2003年に関税同盟の結成が決定している。また、日本はGCC諸国から大量の原油、天然ガスを輸入しており、日本とGCCの間で自由貿易協定(FTA)交渉が進められていて、2006年にその初会合が行われた。
[奥野保男]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...
1/16 デジタル大辞泉プラスを更新
1/16 デジタル大辞泉を更新
12/10 小学館の図鑑NEO[新版]魚を追加
10/17 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典を更新
8/22 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新