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イラン・イラク戦争 いらんいらくせんそう Iran‐Iraq War

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知恵蔵2015の解説

イラン・イラク戦争

イラン、イラクの両国間で、1980年から88年までの8年間にわたって行われた戦争。発端は80年のイラクによるイラン侵略。やがて戦局が逆転、82年以降はイランがイラク領土へと侵攻した。イラクの体制の崩壊がイラン革命の拡大につながると懸念した周辺諸国や地域外の大国は、イラクを支援。結局、88年夏までに国連安保理の停戦決議を両国が受諾して、戦争が終結した。この戦争では双方が、ミサイルで相手国を攻撃した。第2次大戦末期にドイツロケット兵器で連合国を攻撃した例はあるが、交戦国の双方が長距離ミサイルを撃ち合うという前例はなく、初歩的な形ながら史上初めてのミサイル戦争であった。このパターンは、この戦争の停戦から3年後に戦われた湾岸戦争でも継承された。多国籍軍巡航ミサイルでイラクを攻撃し、イラクはスカッド改良型ミサイルで反撃した。またこの戦争でイラクが国際法に違反して化学兵器を大量かつ頻繁に、ほぼ公然と使用した。しかし国際社会は何の制裁措置もとらなかった。以来、化学兵器などの大量破壊兵器の拡散阻止が国際社会の重要な課題となっている。この戦争でのイランの勝利を米国を中心とする国際社会は許さず、イランの革命輸出路線をくじき、革命をイラン一国に封じ込めることに成功した。しかしそのために、国際社会は強大なイラク軍の育成に手を貸すこととなり、これがイラクのクウェート侵攻の伏線となった。イラン・イラク戦争は90年に始まる湾岸危機・戦争への序曲であった。

(高橋和夫 放送大学助教授 / 2007年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

イラン・イラク戦争

両国の石油輸出の要衝であるシャトルアラブ川の河口付近の領有問題をめぐり、イラク軍が1980年9月22日、イラン軍に攻撃を仕掛け、全面戦争に発展した。88年8月20日の停戦までに両国で100万人以上が犠牲になったといわれる。イランでは79年のイスラム革命で国内が混乱。イラクにはそのすきに乗じて領有問題を解決し、イランの油田地帯も確保する狙いがあったとされる。

(2010-09-15 朝日新聞 朝刊 2外報)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」
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百科事典マイペディアの解説

イラン・イラク戦争【イランイラクせんそう】

1980年6月ころから散発していた,シャット・アルアラブ川の領有をめぐるイラン・イラクの国境紛争は,9月22日イラク空軍の本格的な攻撃を契機についに全面戦争化した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

イラン・イラク戦争
いらんいらくせんそう

イラン・イラク戦争は、1980年9月22日、イラク空軍機によるイラン領土攻撃によって開始された。戦争の直接の引き金は、9月17日、イラクがイラン前国王パーレビ(パフラビー)との間で締結したアルジェ協定(両国国境線を定めたもの。1975年締結)の無効を宣言したことであった。イラク軍は緒戦で、イラン西部国境を突破し、南部の港湾都市フニーンシャフル(ホッラムシャフル)を占領、さらにイラン最大の石油基地アバダーンを包囲するなど、電撃的にイラン領内深く進撃した。だが戦線は以後しだいに膠着(こうちゃく)状態に陥った。81年反攻に転じたイランは、9月にはイラク軍のアバダーン包囲を打破。82年5月、フニーンシャフルを奪回するや、戦局はイラン側に有利となった。
 ところで、この戦争は二国間戦争でありながら、一方で、全中東の政治情勢に及ぼすイラン革命の影響力を食い止めようとする周辺諸国のねらいとも結び付いていたといえよう。イスラム教シーア派住民が国民の半数を占め、絶えず少数民族のクルド人を弾圧してきたイラクにとり、正義とイスラム教徒大衆の解放を唱えるイスラム・イラン革命は、大きな衝撃であった。しかも、イラン革命は、現実主義的イスラムの論理や秩序のもとで暮らすアラブ諸国のイスラム教徒においても、一様に共感を喚起した。メッカ寺院襲撃事件(1979年12月)、旧ソ連軍の侵攻と同時に活発化したアフガニスタンのイスラム教徒ゲリラ抵抗運動(1979年末以降)、エジプトのサダト大統領暗殺事件(1981年10月)、あるいは、イスラエルの占領に徹底抗戦を続けるレバノンのイスラム教徒ゲリラ活動(1983年6月以降)などは、いずれもイラン革命の場合と同様の、急進的イスラム変革志向に貫かれていた。
 戦争が開始された当時、イランは、金融的・経済的締め付けによるイランの孤立化を図る欧米およびアラブ産油国に対し、アメリカ大使館占拠で対抗していた。旧王制下で中東最大の軍事拠点を確保してきたアメリカにとっても、イラン革命打破は重要課題だったのである。イラクが侵攻に際し計画した、イラン内アラブ住民の蜂起(ほうき)は起きず、イスラム諸国会議、パレスチナ解放機構(PLO)などによる、「イスラム教徒」「イスラエルに対決する同胞」などの枠組みでの和解の試みも失敗したように、イラン懐柔策はすべて挫折(ざせつ)した。イラン側の戦局の有利と、エジプト・イスラエル国交樹立などの影響からくるイスラム住民の反体制的急進化が重なるなかで、湾岸諸国は、1982年5月、軍事的・経済的結束を固め、イラク支援強化を打ち出した。戦争は、全中東の政治情勢に大きく左右されて泥沼化し、停戦交渉は難航したが、88年、国連の停戦決議を両国が受諾、いちおうの終結をみた。[藤田 進]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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