改訂新版 世界大百科事典 「イワシ」の意味・わかりやすい解説
イワシ (鰯/鰮)
clupeoid fish
herring-like fish
ニシン目ニシン科のマイワシ,ウルメイワシ科のウルメイワシとカタクチイワシ科のカタクチイワシの総称,またはこれらに近縁種を含めたものの総称。なかでも代表的なものはマイワシである。
世界に産するイワシ類は十数種知られており,各地で重要な漁場を形成している。とくに,北アメリカ西岸のサーディンSardinops caeruleus(英名sardine),南アメリカ西岸のアンチョビーEngraulis encrasicolus(英名anchovy),ヨーロッパのピルチャードSardina pilchardus(英名pilchard)などがよく知られている。
マイワシSardinops melanostictaはニシン科マイワシ属の1種。体側に明りょうな7個程度の黒点のあることからナナツボシとも呼ばれている。また,大きさによっても呼名が変わり,白くまだ半透明の35mm以下の稚魚をシラス(白子),35~45mmの幼魚のものをカエリまたはアオコ,体長6cm以下のものを小イワシ,6~11cmのものを小羽(こば)またはコベラ,11~16cmのものを中羽(ちゆうば),16cm以上を大羽(おおば)という。それぞれ利用方法に大きな違いがあるため,また,人々の身近で親しまれてきたためこのように細かく呼び分けられてきた。小羽イワシまでは当歳魚,中羽は2歳魚,大羽は3歳以上と考えられる。
カタクチイワシEngraulis japonicaはマイワシよりやや小型で,下あごが上あごより著しく短く名まえの由来となっている。ウルメイワシEtrumeus teresはマイワシよりやや大型になり,胴は丸みを帯びており体側には黒い点がない。やや沖合に生息する傾向がある。いずれの種も沿岸付近に生息する表層回遊魚で,日本では沿岸から5~約50km以内に主漁場が形成される。大量に群れをなし,繊細で小型のため大型魚のよい餌となっている。〈ウルメイワシ〉〈カタクチイワシ〉についての詳細はそれぞれの項目を参照されたい。
マイワシの産卵期は地域によって異なり,北ほど遅く九州西部で12~3月,能登付近で4~5月,房総近海で3~5月である。卵は分離浮性卵で,直径1.2~1.6mm程度であり,水中にかざして見ると美しい虹彩を放つ。雌1尾で4000~2万個の卵をもち,日没前から水面近くに浮上してきて夜半前までに大半が産卵する。孵化(ふか)は15~20℃の水温で50~60時間である。その孵化仔魚(しぎよ)は3~5mm程度で腹部に卵黄をもっている。大量に孵化するが,孵化仔魚や稚魚の生残率はきわめて低く,再び産卵に参加できるものは2~4匹程度とごく限られている。とくに,卵黄吸収後,自然の餌をとりはじめるころにもっとも死亡率が高く,critical periodとして資源変動の大きな要因として考えられている。孵化仔魚は浮遊性甲殻類であるコペポーダ(橈脚(じようきやく)類)の幼生ノウプリウスをおもに摂餌し,成長するにつれより大型のプランクトンを摂餌するが,成魚になり鰓耙(さいは)が発達すると,より小さいケイ藻などの植物プランクトンをもとるようになる。
幼期には,沿岸性が強く水深10~30m程度の底層付近に大群をなしており,成長するにつれしだいに深くまで生息できるようになる。成魚は水深0~110mを自由に泳ぎ回る。季節に応じて北上,南下を行い,それぞれ索餌回遊群(上りイワシ),産卵回遊群(下りイワシ)と呼ばれる。
漁業
そのときどきに日本の各地で,きんちゃく網,定置網,地引網,流し網などさまざまな漁法で漁獲される。
マイワシの漁獲量は過去に大きく変動しており,1930年代には160万tにも達したが,70年には0.9万tに落ち込んだ。かわるようにしてカタクチイワシが多く漁獲された。この傾向は日本だけでなく北アメリカ西岸のサーディンにもみられた。しかし,70年代以降急増し,78年には100万tを超える漁獲があり復活の兆しをみせ,80年代後半には450万t近い漁獲になったが,90年代後半には減少し最高時の1割にも満たなくなってしまった。この資源量変動の原因として二つの説があり,海況の変化により産卵場の環境に閾(いき)値を超える異変が生じ産卵に不適当になったり,孵化仔魚の餌が十分に供給されず初期生残率を下げ再生産に失敗したか,または回遊経路に変化が生じ漁獲されにくくなったとする環境による影響をあげる説と,もう一つは人為的な乱獲により資源の枯渇を招いたとする説とがある。いずれにせよ,食物連鎖の中での第一次生産と大型魚を結ぶ,重要な餌としての位置を占めるイワシ類の資源量の変動の原因を解明することは大きな意味をもっている。
イワシの利用
日本では,マイワシの骨が貝塚より見いだされるなど古くから利用されていたことがわかる。江戸時代から昭和初期にかけて,九十九里浜のイワシの地引網が盛んで,生食用,干物,または灯火用の油,その搾りかすで肥料としての〆粕(しめかす),ほしか(干鰯)などに利用していた。現在も地名にそのころにぎわった漁村集落のなごりが見られる。
値段が安く大衆的な魚としてさまざまな利用法で用いられているが,高級魚志向の現代においては鮮魚としてよりも加工品として用いられることのほうが多くなってきている。とくに高級魚養殖用の餌料,オイルサーディンなどの缶詰類,肥料としての乾燥粉末(フィッシュミール)などへの用途が大きい。カツオの一本釣りの生き餌としてきんちゃく網で漁獲される。
執筆者:松下 克己
料理
貝原益軒が《日本釈名》(1700)で〈いやし也,魚の賤(いやし)き者也〉としたように,イワシを下賤(げせん)のものとする観念は古くから日本人の中にあった。しかし,室町期ころから宮廷でも食べていたもので,〈むらさき〉〈おむら〉という女房詞はアユ(アイ)にまさるの意によるものであった。西鶴の浮世草子には赤鰯の語が頻出する。これは塩漬のイワシのことで,正月を迎える大坂の庶民にはなくてはならぬものだった。しばしば油焼けして赤黒くなっていたためであろう,赤さびたなまくら刀を赤鰯とあざけるようにもなった。料理書には青鰯というのも見えるが,これは薄塩で青いものをいった。現在,加工品としては,マイワシとウルメイワシが目刺し,丸干し,みりん干しなどの干物やオイルサーディンの缶詰にされる。〈ひしこ〉とか〈しこいわし〉とも呼ばれるカタクチイワシはごまめや煮干しのほか,稚魚は白子(しらす)干しやたたみイワシにされる。また,大羽イワシは秋田名物しょっつるの原料ともされる。生のイワシは塩焼き,酢の物,煮つけ,南蛮漬,すり身にしてつみいれなどにするが,きわめて鮮度のよいものは生食がいい。包丁で頭を落として指先で腹をさき,中骨と腸を除いて酢洗いし,これをワサビじょうゆなどで食べる。
〈いわしこい〉などと呼び歩いたイワシ売は,第2次世界大戦ころまでは東京でもよく見られたものであった。御伽草子の《猿源氏草紙》の主人公は伊勢のイワシ売に設定されており,《本朝食鑑》によると,江戸時代初期の京都で見られたイワシ売は岸和田(大阪府)や桑名(三重県)のものが多かったという。
執筆者:鈴木 晋一
ほしか
鰯は日本でつくった文字で,この魚は水から出るとすぐ死ぬ弱い魚の代表だからといわれる。古くから食用とされたが,とくに多くとれた場合には煮て魚油をとり,残りはほしかとしておもに商品作物の肥料とした。このため,近世中期以後の京阪地方で木綿,タバコ,アブラナ,サトウキビなどの生産が増加するにつれ,ほしかの需要も増大し,これを供給するために西は四国の宇和海沿岸,東は房総半島の銚子から九十九里浜を経て三崎方面で,地引網を使用した大量のイワシの漁獲が行われ,京阪地方に輸送されるに至った。大漁節はこれに伴って起こった民謡であり,また,出稼ぎの関西漁民に随行した商工業者によって銚子,野田のしょうゆ製造も発展した。
執筆者:千葉 徳爾
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報