イーゴリ軍記(読み)イーゴリグンキ(その他表記)Slovo o polku Igoreve

デジタル大辞泉 「イーゴリ軍記」の意味・読み・例文・類語

イーゴリぐんき【イーゴリ軍記】

原題、〈ロシアSlovo o polku Igoreve》ロシアの叙事詩作者未詳。12世紀末成立イーゴリ公率いるロシア同盟軍の遊牧民討伐史実骨子とし、ロシア統一を訴えたロシア中世文学代表作ボロディン作曲のオペライーゴリ公」はこれに基づく。イーゴリ遠征物語

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精選版 日本国語大辞典 「イーゴリ軍記」の意味・読み・例文・類語

イーゴリぐんき【イーゴリ軍記】

  1. ( 原題[ロシア語] Slovo o polku Igorjevje ) 中世ロシア文学の代表作。作者不明。一二世紀末の成立。一一八五年春にノブゴロド・セーベルスキー公イーゴリが東方遊牧民に試みた遠征の史実を骨子として作られた叙事詩的な文学。イーゴリ遠征物語

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改訂新版 世界大百科事典 「イーゴリ軍記」の意味・わかりやすい解説

イーゴリ軍記 (イーゴリぐんき)
Slovo o polku Igoreve

キエフ・ロシアの叙事文学の代表的作品。南ロシアの諸公のひとりイーゴリIgor'(1151-1202)が1185年にチュルク系遊牧民ポロベツ族に対して行ったステップへの遠征を題材としている。戦いに敗れて捕らえられたイーゴリがロシアへ帰還したのち,遅くとも87年までに成立した。作者の名前と身分は不明。作者は上記史実の文学的記述に加えるに,父祖の公たちの輝かしい事跡を回顧し,イーゴリの敗北と異民族の侵入という災いをもたらす原因となった諸公間の内紛を非難しつつ,〈ルーシの地のため〉奮起するよう個々の公を名ざしながら呼びかける。次いでイーゴリの后ヤロスラーブナが,風と太陽とドニエプル川に向かってわが身の不幸を嘆き,夫への助力を求める抒情的な場面が描かれる。その願いが聞き届けられたかのように,イーゴリは脱出に成功し,公と従士への祝福の言葉とともに物語がとじられる。全体として詩的なリズムに富んだスタイルをもち,アニミズム的な自然観にもとづく口承文学特有の表現とともに,比喩や形容の点で高度な修辞技法を駆使している。長いあいだ埋もれていて18世紀末に発見され,1800年に現代語訳とともにテキストが刊行された。しかしその唯一の伝来写本も,12年のモスクワ大火で焼失して現存しない。19世紀以後のロシアの詩人たちによって,しばしば現代語に訳されている。少数意見ながら偽作説がある。なお,ボロジンの歌劇《イーゴリ公》は,この物語に取材したものである。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イーゴリ軍記」の意味・わかりやすい解説

イーゴリ軍記
イーゴリぐんき
Slovo o polku Igoreve

ロシアの古代叙事詩。作者も作者の身分も不明だが,現在では,イーゴリ公 (1151~1202) あるいはキエフの大公スビャトスラフに仕えていた吟遊詩人か従士の一人の作と考えられている。成立年も 1185~87年頃と考えられるが正確にはわかっていない。 1790年頃ある写本収集家によって偶然発見された。その写本は 1812年のナポレオン軍の侵入によるモスクワの大火で焼失。現在残るのは 1796年に書き写された写本原稿と,1800年にモスクワで刊行された最初の活字本だけである。内容は,1185年イーゴリ公が軍を率いてポロベツ族の討伐に遠征したときの事件をうたったもので,ロシア年代記にも記録されている。独特のリズムをもった詩的言語と口碑的様式とを混然と融合させて,ロシア軍の敗北の原因が大公たちの内紛であると指摘しつつ,ロシア民族の統一を呼びかけ,一方では,イーゴリ公の妻の嘆きと祈りを抒情的繊細さをこめてうたいあげ,「古代ロシア文学の真珠」的な作品となっている。

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百科事典マイペディア 「イーゴリ軍記」の意味・わかりやすい解説

イーゴリ軍記【イーゴリぐんき】

ロシアの中世叙事詩。《Slovo o polku Igoreve》。1185年―1188年の作だが,作者は不明。ノブゴロド公イーゴリの遊牧民ポロベツ討伐(1185年)に寄せてロシア統一の思想を語る。芸術的価値もきわめて高く,中世ロシアの誇りうる最大の文学遺産。ボロジンのオペラ《イーゴリ公》の原作。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「イーゴリ軍記」の解説

『イーゴリ軍記』(イーゴリぐんき)
Slovo o polku Igoreve

1185年ノヴゴロド・セーヴェルスキー公イーゴリ2世が行った,遊牧民ポロヴェツ人に対する遠征を主題にした中世ロシアの記念すべき叙事詩。作者不詳。12世紀に書かれたというが,18世紀末に存在が知られた。偽作説がある。

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世界大百科事典(旧版)内のイーゴリ軍記の言及

【キエフ・ロシア】より

…モノマフ公のような文武両道の英主も人気があった。その反面1185年ポロベツ人の捕虜になって脱走,生還したイーゴリ公を神の名において祝福する《イーゴリ軍記》のような作品も生まれた。長兄の刺客に無抵抗で殺され,十字架の死に至る従順さを貫き通したボリスとグレープの兄弟(ウラジーミル聖公の子)の物語も好まれた。…

【ポロベツ人】より

…それ以来ロシア,ハンガリー,ビザンティン帝国にたびたび侵入したが,とくに11世紀末,先住のペチェネグ族を滅ぼしてからは,ロシアとの敵対的関係が激化した。ロシアの英雄叙事詩《イーゴリ軍記》は,このポロベツ人とロシア人との戦いをテーマにしたものである。1220年代に侵入を開始したモンゴル人の前に敗れ,一部はハンガリー方面に逃れて,そこで17世紀ごろまで独自の生活様式を維持していた。…

【ロシア文学】より

…それゆえ11世紀から13世紀半ばに至る200年間は〈キエフ時代〉と呼ばれている。この時期の代表的作品は《原初年代記》(《過ぎし年月の物語》)と《イーゴリ軍記》(《イーゴリ遠征物語》)である。前者は11世紀半ばからキエフの修道士たちによって書きつがれ,12世紀の10年代に完成したもので,さまざまな資料や異教時代の伝説を取り入れ,文学的価値の高い部分が多い。…

※「イーゴリ軍記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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