ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イーゴリ公」の意味・わかりやすい解説
イーゴリ公
イーゴリこう
Igor' Ryurikovich, knyaz'
[没]945. イスコロステン
ロシアのキエフ大公 (在位 912~945) 。リューリクの子。父の死後,傍系のオレークに奉じられてキエフ入りを果す。妻オリガはスカンジナビア系の名をもち,息子にはスラブ系のスビャトスラフという名がつけられている。スビャトスラフがイーゴリを相続して以後,リューリク朝の系図からスカンジナビア系の大公の名が消えるので,彼はバリャーグ人がルーシ (→ルス ) 化する過渡期の公として注目されている。オレークの死後イーゴリはリューリク朝3代目の大公となり,913年トゥムトロカンに軍を進め,その地のルーシを合せてオレーク以来懸案のカスピ海西岸への進出を企てたが,ドレブリャーニン人の反乱の報に接して軍を2分し,みずからは少数の兵とともにキエフに返して彼らを鎮定し,貢租を増加した。他の一軍はカスピ海域を攻略したが,その帰途ハザール人に襲撃されて全滅。続いてペチェネグ人と対決したが,休戦協定が成り,彼らを西方ブルガリアへ向けることに成功した。オレークが 911年に結んだ通商条約をビザンチン皇帝が破棄したので,944年クリビチ,チベルチ,スロベン人などのスラブ諸族の加勢を得て大遠征軍を起し,ドナウ河畔でコンスタンチノープルからの使節に新条約の締結に同意させ,通商関係を再開した。「巡回徴租 (ポリュージェ) 」のためドレブリャーニン人を訪れたとき,誅求を恨む彼らに殺害された。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報