ウィリアム4世(読み)ウィリアムよんせい(その他表記)William IV, Duke of Clarence

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウィリアム4世」の意味・わかりやすい解説

ウィリアム4世
ウィリアムよんせい
William IV, Duke of Clarence

[生]1765.8.21. ロンドン
[没]1837.6.20. バークシャー,ウィンザー
ハノーバー朝第5代のイギリス王 (在位 1830~37) 。ジョージ3世の3男として生れ,1789年クラレンス公となる。 79年以来海軍に勤務,99年海軍大将,1811年同元帥,27年海相。以上の経歴から"Sailor King"と呼ばれた。 30年長兄ジョージ4世の死により即位。 32年の第1次選挙法改正法案成立に際し,同法案に反対する上院 (貴族院) の多数派を屈服させるため,必要な人数の新貴族の叙位を C.グレー内閣から要請されたが,これを拒否。しかしウェリントン (公)組閣に失敗すると,これに同意し,法案成立の決定的要因をつくった。 1791年頃より女優 D.ジョーダンと同棲し,10人の子をもうけたが,1818年ザクセンのマイニンゲン公女アデレードと結婚。しかし2人の王女はいずれも若死にしたため,王の死後は姪のビクトリア王位を継承した。

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改訂新版 世界大百科事典 「ウィリアム4世」の意味・わかりやすい解説

ウィリアム[4世]
William Ⅳ
生没年:1765-1837

ハノーバー朝第5代のイギリス王。在位1830-37年。ジョージ3世の三男で,早くから海軍に勤務。1789年クラレンス公に叙せられ,1827年海軍司令長官。30年,長兄ジョージ4世の死去により即位。32年,第1次選挙法改正法案が貴族院の反対にあった時,法案賛成の多数派を同院に創出するための新貴族叙爵の要請には応じなかったが,トーリー貴族に投票棄権を促した。王妃アドレードとの間に後継ぎがないため,王の死後は姪のビクトリアが即位。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ウィリアム4世」の解説

ウィリアム4世(ウィリアムよんせい)
William Ⅳ

1765~1837(在位1830~37)

ハノーヴァー朝第5代のイギリス国王ジョージ3世の3男として生まれ,兄ジョージ4世のあとをうけて即位。選挙法改正(第1次)当時の国王。死後,姪のヴィクトリア女王が王位を継承した。

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367日誕生日大事典 「ウィリアム4世」の解説

ウィリアム4世

生年月日:1765年8月21日
イギリスのハノーバー朝第5代目の王(在位1830〜37)
1837年没

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世界大百科事典(旧版)内のウィリアム4世の言及

【ハノーバー朝】より

… 1820年,皇太子はジョージ4世(在位1820‐30)として登位,審査法の廃止(1828),カトリック解放法の成立(1829)などがこの王の下で実現する。次のウィリアム4世(在位1830‐37)は,ジョージ3世の三男(ジョージ4世の弟)で,長期間女優と同棲し,10人の子どもをもうけるなど奔放な青年時代を送った。32年の選挙法改正をめぐる混乱に際しては,不承不承ながら貴族院の反対を抑えるためにトーリー貴族に棄権を促した。…

※「ウィリアム4世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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