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ウラジオストク ウラジオストクVladivostok

翻訳|Vladivostok

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ウラジオストク
ウラジオストク
Vladivostok

ロシア南東部,プリモルスキー地方の行政中心地。ロシア極東部最大の港湾都市で,シベリア横断鉄道,北洋航路の終点。日本海西部にあるピョートル大帝湾の湾奥中央部に突出したムラビヨフアムールスキー半島の南端に位置する。

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百科事典マイペディアの解説

ウラジオストク

ロシア南東端,沿海州南部の都市。ロシア語で〈東方を征服せよ〉の意。ピョートル大帝湾に面する良港で,シベリア鉄道の終点。海軍・漁業の基地。気候は比較的温暖で,港は冬季も砕氷船で使用可能。
→関連項目沿海州ナホトカロシア

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世界大百科事典 第2版の解説

ウラジオストク【Vladivostok】

ロシア連邦南東端,沿海州の州都。人口64万8000(1992)。日本海に面し,ムラビヨフ・アムールスキー半島の南端,金角湾の沿岸に発展した太平洋方面における同国屈指の港湾都市。〈東方(ウォストーク)を征服せよ(ウラジ)〉というロシア語に由来する。中国名は海参崴。日本ではしばしば〈浦潮〉〈浦塩〉と呼ばれてきた。1860年にロシアの海軍基地として開かれ,19世紀末~20世紀初頭のロシア極東政策の活発化にともない,経済的にも軍事的にも重要性をました。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ウラジオストク
うらじおすとく
Владивосток Vladivostok

ロシア連邦東部、沿海地方の行政中心都市。人口61万3100(1999)で「ソ連極東」とよばれていた地域の第二の大都市シベリア鉄道幹線の終点で、太平洋岸におけるロシアの重要港。ピョートル大帝湾に北から突出するムラビヨフ・アムールスキー半島の南端にあり、半島の先端に深く湾入する「金角湾」沿岸の丘陵地とそれに続く同半島の西海岸(アムール湾の東岸)に位置する。シベリア鉄道と太平洋諸航路との連絡地で、北極海航路の東方の終点であり、空港がある。港は冬には結氷するが、砕氷船の援助で厳冬にも使用でき、ロシア海軍の太平洋艦隊および空軍の重要な基地がある。漁業やカニ漁の船団根拠地ともなっている。機械製造(造船、船舶修理、漁業・鉱山用機械、コンベヤー装置、ポンプ、電機)、建設資材(鉄筋コンクリート構造物、組立式建築大型パネル)、食料品(魚類と精肉の両コンビナート、乳業、菓子)などの工業がある。
 国立極東総合大学、単科諸大学(極東工業、漁業食品工業、芸術教育、医科、商科、海運技師)、科学アカデミーの極東支部、太平洋漁業海洋学研究所、地理学会沿海地方支部、郷土博物館、文化会館、劇場、テレビジョン放送局などがあって、学術研究、教育、文化の中心地でもある。ムラビヨフ半島の西海岸は極東の大保養地で、多数の憩いの家やサナトリウム、臨海公園、海水浴場などがある。新潟、秋田、函館(はこだて)各市と姉妹都市となっている。長く軍港として外国人立入り禁止となっていたが、1992年1月1日開放され、現在は新潟との間に定期航空路が通じている。96年4月には極東大学内に「日本センター」が開設された。[三上正利・外川継男]

歴史

1860年に建設され、71年にニコラエフスク・ナ・アムーレからシベリア艦隊の基地がこの地に移された。1879年オデッサおよびペテルブルグとの間に定期航路が開かれた。88年には沿海州(現沿海地方)の州都となる。1897年ハバロフスクとの間に鉄道(ウスリー線)が通じ、1903年からは直接モスクワとシベリア横断鉄道で結ばれるようになった。ロシア革命(1917)の直後、一時ソビエト権力が成立したが、1918年4月、日本とイギリス軍が上陸、進攻し、8月にはアメリカ軍も加わった。市の権力はめまぐるしく変わった。当初チェコ軍団の反乱の最中(1918年6月)に反ボリシェビキの臨時シベリア政府が成立し、ついでコルチャーク軍が市を支配した。だが1920年1月には市民の蜂起(ほうき)が成功し、ボリシェビキを中心とする体制が成立した。これは4月、日本軍により鎮圧されたが、秋には日本軍も撤退を余儀なくされ、市は親ボリシェビキ的な極東共和国軍の手に帰した。1921年5月、ふたたび干渉軍による反革命が成功するが、翌22年10月には再度、極東共和国軍により奪回され、11月、最終的にソビエト政権の下に入った。1991年ソビエト政権は解体された。[外川継男・栗生沢猛夫]

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世界大百科事典内のウラジオストクの言及

【沿海州】より

…面積16万5900km2,人口228万(1990)。州都ウラジオストク。1860年の清国との北京条約によって,ロシア帝国の領土となった。…

【国際電報】より

…国際通信上,最も基本的なサービスである。日本でも1871年(明治4)にデンマークのグレート・ノーザン電信会社が,長崎~上海間,長崎~ウラジオストク間に海底電信線を敷設したときから取り扱われている(無線では,1915年の落石無線局とペトロパブロフスク無線局間が最初)。現在,日本と世界の主要対地との間には通信衛星海底ケーブル等による電報用回線があり,世界中のどことでも国際電報の送受ができる。…

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