翻訳|Umbria
イタリア中部の州。面積8456平方キロメートル、人口81万5588(2001国勢調査速報値)。ペルージアとテルニの2県からなり、州都はペルージア。ウンブリア‐マルケ・アペニン山脈の西側斜面に広がり、全面積の71%は丘陵地、残りの29%は山地である。テルニの製鉄とペルージアの食品以外に特記すべき工業はなく、農業も概して伝統的な生産方法で営まれている。観光業も、受け入れ体制の未整備もあり、十分に発展を遂げていない。
[堺 憲一]
古代のウンブリア地方は現在と違って、西はエトルリアと境を接しテベレ川でくぎられ、東はアドリア海まで延びていた。したがって現在はウンブリアに属するペルージアやオルビエートは、古代にはエトルリアの都市であった。ウンブリアは紀元前1世紀初頭ローマに併合され、西ローマ帝国が滅亡した(476)のちはビザンティン帝国、ランゴバルド王国に占領され、8世紀フランク王国がこれを教皇に献呈し、教会領となった。当地では中世を通じて自治都市が栄え、ペルージアがその最大の勢力であり、15~16世紀アッシジとともに美術の中心地となった。ウンブリアは1809年フランスに併合されたが、1814年ふたたび教会領に復し、1860年そのイタリア王国への併合が議決された。
[平田隆一]
イタリア中部の州。ペルージア県とテルニ県から成り,面積8456km2,人口83万(2001)。州都はペルージア。完全に内陸部にあり,気候は温暖である。農業が主で,小麦,ブドウ,タバコ,テンサイなどを栽培している。20世紀に入って工業化が目覚ましく,テルニ県では鉄鋼,化学工業,ペルージア県では食品,繊維産業が発達している。古代ローマ人が征服(前295)する以前はかなり高度な文明を誇るエトルリア人とウンブリア人が居住していた。6世紀に北方からランゴバルド族が侵入し,州の南部にある町スポレトに公国を建設したが,ペルージアやテルニは東ローマ帝国に帰属し,ランゴバルド族に抵抗した。10世紀以後多くのコムーネが台頭し,華やかな市民文化を発展させた。市民がはぐくんだ文化の隆盛は1549年,教皇パウルス3世により教皇領に編入されるまで続いている。
執筆者:町田 亘
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